雨は、予告なく降り出した。
窓を打つ音で、
最初にそれに気付いたのは私だった。
「…降ってきましたね」
カーテンの隙間から外を見ると、
細い雨が、真っ直ぐ地面に落ちている。
彼は、私の横に来て、同じように外を見た。
「…本当だ」
その距離が、
自然過ぎる。
「…買い物、行こうと思ってたんですけど」
私が言うと、
彼は少し考えてから言った。
「…一緒に、行きます」
「…雨ですよ?」
「…だから」
その言い方が、
どこか柔らかい。
玄関で傘を探す。
1本だけ、
少し大きめの傘。
「…1本しか、ないですね」
私が言うと、
彼は少しだけ困った顔をした。
「…じゃあ」
1拍、置いて。
「…相合い傘、ですね」
胸が、
小さく跳ねた。
外に出ると、
雨の音が一気に強くなる。
傘を差す。
2人で入ると、
自然と距離が近くなる。
肩が、
触れそうで触れない。
「…近いですね」
私が言うと、
彼は少しだけ傘を傾けた。
「…濡れますよ」
「…良いです」
即答だった。
それが、
どうしよもなく嬉しくて、
怖かった。
歩きながら、
雨が地面に弾く音を聞く。
街の音が、
少しだけ遠くなる。
「…雨、嫌いじゃないです」
彼が言う。
「…どうして?」
「音が、全部同じになるから」
その言葉に、
胸が締め付けられる。
(あなた、やっぱり音の人だ)
コンビニに着くと、
暖かい空気が迎えてくれた。
彼は、
無意識に私の後ろに立つ。
列に並ぶ距離。
近い。
レジの前で、
急に視界が揺れた。
「…っ」
ほんの一瞬。
床が、
遠くなる。
「…花田さん」
彼の声が、
すぐ耳元で聞こえた。
腕を掴まれる。
「…大丈夫ですか」
「…ちょっと、立ちくらみ」
また、
同じ言葉。
彼は、
何も言わずに、
私を支えたまま立っている。
「…外、出ましょう」
会計を済ませて、
すぐに外へ。
雨の中、
傘を差す。
彼は、
さっきよりも明らかに
距離を詰めてきた。
「…近いですよ」
私が言うと、
彼は、静かに言った。
「…今は、近い方が良い」
その言葉に、
何も言えなくなる。
歩きながら、
彼がぽつりと言った。
「…初めて会った気が、しないんです」
胸が、
強く鳴る。
「…前にも、言いましたね」
「…はい」
彼は、
少し困ったように笑う。
「…でも、今日の方が、強い」
(それ以上、言わないで)
心の中で、
必死に叫ぶ。
「…俺」
彼は、
言いかけて、
口を閉じた。
雨音が、
その隙間を埋める。
部屋に戻ると、
彼はタオルを差し出した。
「…濡れましたね」
「…ありがとうございます」
その距離で、
視線が合う。
一瞬。
ほんの一瞬なのに、
長過ぎる。
「…花田さん」
「…はい」
「…俺、ここに来てから」
1拍、置いて。
「…ちゃんと、息が出来てる気がします」
その言葉が、
胸に深く刺さる。
(それは、永遠じゃない)
でも、
今は言えない。
夜。
雨は、
まだ降っていた。
ソファに並んで座って、
テレビの音だけが流れる。
彼は、
ふと私を見て言った。
「…もし」
「…?」
「もし、僕が全部思い出したら」
胸が、
嫌な音を立てる。
「…それでも、ここにいて良いですか」
私は、
すぐに答えられなかった。
少しだけ、
考えてから言う。
「…それは、あなたが決める事です」
それは、
正しい答えだった。
でも、
正しいだけで、
優しくはなかった。
彼は、
少しだけ寂しそうに笑った。
雨の音が、
窓を叩く。
― この雨が、
いつか止む事を、
私は知っている。
でも今は、
傘の中で、
この距離を守っていたかった。
例え、
それが仮の物でも。






