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アラインの声は囁くように
しかし耳の奥へと染み渡る甘い毒だった。
「キミは、時也があそこまでして
探していた人材だ。
しかも、とても貴重な異能を持ってる⋯⋯
ボクはね、時也のために
できることはなんでもしてあげたいのさ」
木洩れ陽が差し込む
湿り気を帯びた森の小径。
その中心で、座り込むアビゲイルのすぐ前に
アラインは膝をつき、指先を伸ばした。
「この孤児院は
彼の協力のもとで成り立ってるからねぇ?
キミなら
ボクのこの気持ち⋯⋯わかるだろ?
ボクの愛しい〝天使様〟なんだよ、彼は」
細く冷たい指が、アビゲイルの頬を撫でた。
滑らかな皮膚にかすかに触れ
指先が線を描くようにゆっくりと下る。
「⋯⋯っ!」
アビゲイルの身体がぴくりと揺れた。
後ずさる脚にはもはや力が入らず
葉に濡れた地面を這うようにして距離を取る
だが、アラインはそれを許さなかった。
膝をつき、腕を木に添え
彼女の頭上に影を落とすように
覆いかぶさっていく。
その距離はあまりにも近く
髪の先が肌に触れそうなほどだった。
「キミがボクを推してくれるのなら⋯⋯
その異能で、ボクは奇跡を得て
彼の力にさらになれるだろう?
どう?悪くないでしょ?」
低く湿った声音は
胸元を撫でる風よりも生々しく
心臓の鼓動を乱した。
言葉の隙間から、仄かに薫る息さえも
アビゲイルの思考を掻き乱す。
「それに、ライエルだって⋯⋯
時也やアリアのために
キミが動いてくれるなら、大喜びするよ」
「⋯⋯ライエル様も⋯⋯?」
「──あぁ、そうさ。だから⋯⋯ね?」
アラインは微笑んだ。
慈しみとも
狂気ともとれる曖昧な表情を湛えて。
「ボクのことも⋯⋯
もっと、〝推してみない?〟」
その言葉と共に
アラインの手がアビゲイルの膝に触れた。
本格的なクラシカルメイド服──
濃紺のスカートは膝下丈で
裾にはレースが縫い付けられ
エプロンとコルセットが
腰を絞るように重なっている。
指先が、そのレースをなぞる。
そして、滑るように内側へと差し込み
ゆっくりと、たくし上げ──
「⋯⋯⋯きゃあああああああああああああっっっ!!!」
反射的に伸びたアビゲイルの手が
音を立ててアラインの頬を打った。
その瞬間、森が静まった。
「推しと、そのような関係になるのは──
〝解釈の不一致〟ですわあああああああああああああ!!」
怒声と共に、アビゲイルは再び立ち上がり
泥を蹴るようにして走り出す。
木々の間を縫うように逃げ
彼女の背中が葉の向こうに消えた時
ようやくアラインは打たれた頬に指を当てた
指先に、熱。
その表情は
一瞬だけ驚愕に染まり
やがて──愉悦へと変わっていく。
「⋯⋯初めて、女の子に打たれたよ」
頬を撫でた指を舐めるようにして
アラインの唇が歪んだ。
その双眸は、毒を孕んだ光を宿していた。
まるで──
〝試したくてたまらない玩具〟を見つけた
子供のように。
⸻
アビゲイルの靴音が
濡れた落葉を裂いて森を駆ける。
胸を焦がす羞恥と怒りを原動力に
枝を払い、息を切らせる暇もなく駆け抜けた
だが──
それは、アラインにとって
欠伸の種にもならなかった。
「んー、そろそろ、かな?」
悠然と歩いていた足を止めたアラインは
靴音もなく一歩踏み込み
宙を裂くように跳ねる。
風の音が巻き、次の瞬間には──
「⋯⋯ひゃっ!?」
背後から伸びた腕が
彼女の腰を優しく、だが確実に捕えた。
そして、そのまま──くるり。
アビゲイルの視界が回転する。
アラインは片手で彼女の指を絡め取り
まるで舞踏会のワルツのように軽やかに
優雅に回転して勢いを殺していく。
ふわりと風が踊り
彼女のスカートが揺れ
髪が宙に舞う。
次の瞬間には、アラインの胸元に
彼女の背がすっぽりと収まっていた。
「ごめんね?
そんなに怒るとは思わなかったんだよ」
声は囁くように甘く、耳元をくすぐる。
それでいて
指先には逃がさない意思が宿っていた。
「お詫びに、キミの言うこと⋯⋯
なんでも一つ、叶えてあげる。
ね?機嫌、直してくれないかな?」
振り返ろうとしたアビゲイルの顔に
アラインの整った横顔が重なる。
瞳が合えば、心が撫でられるようで──
怒りが言葉にならず、喉の奥で絡まった。
「⋯⋯櫻塚ご夫婦のためになることが
ライエル様のためにもなると
仰ってましたよね?」
「あぁ、言ったねぇ」
アビゲイルはぐっと唇を噛み、顔を背けると
一歩だけアラインから距離を取った。
そして、スカートの裾を掴み、姿勢を正す。
「でしたら⋯⋯
ライエル様専属のメイドとして
主人に仕える身として
願いを叶えない訳には参りません」
その瞳はもう
逃げる者のものではなかった。
羞恥を燃料に
信仰を意志に昇華させた、凛とした瞳。
「わたくし⋯⋯
喫茶桜に、働きに行きます!!!」
森にこだましたその宣言に
鳥たちさえも飛び立つ。
「⋯⋯⋯へ?」
アラインはぽかんと口を開けた。
あまりにも予想外の答えに
いつものような皮肉も、艶笑も、返せない。
目を瞬かせる彼の前で
アビゲイルは胸を張ったまま
真正面から言い切ったのだ。
──まるで
これこそが人生の天命であるかのように。