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ゆ
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ゆ
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SWAPSAKENの青空は、相変わらず優しかった。
雲ひとつない空。
穏やかに揺れる木々。
頬を撫でる柔らかな風。
先ほどまでの騒ぎが嘘だったかのように、広場には静かな時間が戻っていた。
けれど――。
その静けさの中で、シクサーは一人、木の根元に座り込んでいた。
膝を抱え。
黒い帽子のツバを深く下げ。
小さな手を、じっと見つめている。
その手には、かつての面影がない。
世界中を震撼させたハッカーとしての力も。
自らにスクリプトを注入し、さらなる強さを求め続けた狂気も。
今のシクサーには、何一つ残っていなかった。
「…………ハァ」
長いため息。
そしてシクサーは、ぽつりと呟いた。
「俺が……強くなろうとしなきゃ……」
声が小さく震える。
「こんな平和だったのかな」
ヌーブは、少し離れた場所で黙って聞いていた。
シクサーは空を見上げる。
「最初から力なんて求めずに……」
「…………」
「お前と、ヘタクソなゲームでもして……ずっと遊んでれば……」
その口元に、寂しそうな笑みが浮かぶ。
「誰も傷つかずに済んだのかもな」
そして――。
「……俺が、バカだったんだ」
その瞬間。
カチリ。
何かが、ヌーブの胸の奥で冷たく鳴った。
「…………」
さっきまで、あれほど温かかった。
シクサーを守りたい。
傷つけたくない。
弱くなった彼を、自分が支えてあげたい。
そう思っていた。
なのに。
その熱が――。
一瞬で消えた。
「…………あぁ」
ヌーブが小さく呟く。
黒いキャップの陰。
そこから覗く瞳から、温度が消えていた。
ここは優しい世界。
誰も傷つかない。
誰も悲しまない。
誰も怪物にならない。
シクサーはただのサバイバーとして、穏やかに生きていける。
きっと、それが正しい。
きっと、それが幸せなのだろう。
――でも。
(違う)
ヌーブの心が、静かに拒絶した。
(違うよ)
胸の奥から、冷たい声が響く。
(僕が欲しかったシクサーは……そんな人じゃない)
ヌーブの脳裏に蘇る。
かつてのシクサー。
孤独に苛まれ。
誰にも理解されず。
それでも強さを求め続けた。
何度傷ついても。
何度壊れかけても。
それでも前へ進もうとした。
愚かで。
不器用で。
危うくて。
そして――。
圧倒的だった。
恐ろしいほど強く。
誰にも屈しない。
その姿は、まるで人間の枠から外れてしまった怪物のようだった。
ヌーブは、その姿を恐れていた。
怖かった。
逃げ出したくなるほどに。
それでも――。
目を逸らせなかった。
あの眼差し。
あの力。
あの狂気。
そして――。
自分の心に刻みつけられた、あの日の傷。
自分を傷つけ。
自分を置き去りにして。
それでも己の道を進んでいった、あのシクサー。
「…………」
ヌーブの指が、ゆっくりと長剣の柄を握る。
あれが――。
自分が愛したシクサーだった。
悲劇も。
過ちも。
狂気も。
強さも。
全部ひっくるめて。
それなのに。
今のシクサーは、それらすべてを「間違いだった」と言っている。
(……やめて)
ヌーブの胸の奥で、何かが軋む。
(そんなふうに、全部否定しないで)
シクサーが俯く。
「……俺が、もっと普通に生きてれば……」
「…………」
その言葉を聞いた瞬間。
ヌーブの中で、最後の何かが切れた。
「……ねぇ、シクサー」
「…………」
声をかけられ、シクサーが顔を上げる。
「なんだよ?」
その声に――。
ヌーブは答えた。
「君は……」
一歩。
近づく。
「そんな風に、安全な場所で怯えるために……」
さらに一歩。
「……あんなに苦しんだの?」
「……え?」
シクサーの眉が寄る。
ヌーブは長剣をゆっくり持ち上げた。
その動きは、妙なほど静かだった。
「ヌーブ……?」
「僕を傷つけたよね」
「…………」
「僕を置いていった」
「……それは……」
「それでも、君は強くなろうとした」
声に感情がない。
だからこそ――怖い。
「怪物になるほど苦しんで」
「…………」
「怪物になるほど強くなって」
ヌーブの瞳が細くなる。
「それなのに……」
長剣の切っ先が、ズリ……と地面を擦る。
土を削る音が響いた。
「ここで『平和でよかった』なんて言うの?」
「…………」
シクサーの顔から、ゆっくりと血の気が引いていく。
「ヌー……ブ……?」
「それってさ」
ヌーブが笑った。
けれど――。
その笑顔には、もう以前の無邪気さはなかった。
「僕に対する裏切りだよ」
「…………っ」
シクサーの身体が強張る。
長剣の切っ先が、ゆっくりと彼の前で止まる。
「僕が欲しいのは……」
ヌーブは静かに言った。
「こんな無害な君じゃない」
「…………」
「僕が知ってる君は――」
一瞬。
ヌーブの瞳の奥に、狂気にも似た光が灯った。
「もっと怖かった」
「もっと強かった」
「もっと……どうしようもなかった」
シクサーは息を呑む。
「でも、それが君だった」
ヌーブは長剣を握り直した。
「僕を壊してくれた」
「…………」
「僕の心に、消えない傷を残した」
「…………やめろ」
「なのに――」
ヌーブが一歩、距離を詰める。
「その傷を作った君自身が、今さら『あれは間違いだった』なんて言うの?」
「……やめろ、ヌーブ」
「僕は嫌だ」
声が低くなる。
「そんな君は、知らない」
シクサーの身体が、無意識に後ずさる。
けれど、その背中は木の幹にぶつかった。
逃げ場がない。
ヌーブはその前に立つ。
巨大な身体。
長剣。
そして――。
冷え切った瞳。
「僕が欲しいのは……」
ヌーブが、ゆっくりと笑う。
「僕を壊してくれた、あの恐ろしい怪物だよ」
「…………」
「ねぇ、シクサー」
その声は、優しくさえあった。
だからこそ。
余計に恐ろしかった。
「返してよ」
シクサーは何も言えなかった。
青空は、まだ綺麗だった。
風も、まだ穏やかだった。
世界は何も変わっていない。
誰も傷つかない。
誰も悲しまない。
そんな優しい世界の真ん中で――。
初めて。
明確な殺意が生まれた。