夢心地の中、瞳に一層強い光が送られる。そしてその強い刺激により思わず目を覚ましてしまう。
“んっ、んう……もう朝か”
シャーレの先生は先程まで、ソファの上でぐっすり眠っていた。ふと時計の方に視線をやる。既に時刻は6時を過ぎている。どうやら日の出まで寝過ごすてしまったらしい。
ここまでぐっすり眠られたことは、事変以前も、以来もそうそう無かった。これは昨夜の出来事による緊張感がほぐれてしまった反動からきたものだろう。
重い瞼を擦り、ゆっくりと起き上がる。どうやらカーテンが閉め切れておられず、隙間から強い日光が漏れ出ている。この前だったら眠気覚ましにその光の中入っていたが、今じゃ焼かれるのが怖くて直視すら出来ない。しかし後先面倒だと、鈍い頭でも分かってしまったので、先生は躊躇いながらもカーテンを閉めかかり、数分間苦戦したもののなんとか閉じることができた。
一仕事終わらせた彼が次に行ったのは、テレビの起動だ。情報は重要だから、聞き逃さないと起きてからすぐにつけるよう努力している。
テレビの電源をつけ、モニターに映像が映し出される。どうやらニュースの最中のようだ。
『速報です。昨夜未明、連邦生徒会は噂の範疇であった『来訪者』の存在を発見及び公認したと発表。えー、来訪者に対し、太陽の異常現象以上の危険を有してると結論づけ、迅速に発見そして処理を行うと声明を出しました』
先生がハッと口を開ける。遂に『来訪者』なる存在が、世間に知られ始めたようだ。
しかし、情報はここで終わらなかった。
『ここで来訪者の情報を公開します。連邦生徒会が回収した数は3体。獣人とロボットとヒトです。これらに共通した、来訪者特有の外見的特徴が発覚。どうやらどの個体も共通して、“常時目が赤く充血している”ようです。研究によると、来訪者は光に過敏なため目に炎症を起こしやすい様です』
“……え、そんな特徴が?”
あまりも相違点が相違点らしくなく、思いがけず拍子抜けた声を漏らしてしまった。
目が充血って、そんな特徴は普通の人間にもある特徴だろう。信じられず疑心暗鬼にもなってしまうのは当然のことだ。
『しかしこの調査はあくまでこの3体による標本調査のため、中には該当しない来訪者がいると言うことです。ですが来訪者は必ず相違点が現れるため、新しい情報を暫し待ってくださいということです』
どうやら神様は、人間達を相当悩ませたいらしい。来訪者の情報は思っていたよりも複雑であった。だから黒服の頭も悩ませるわけだ。
これらを踏まえ、先生自身が始めにやるべきことは一つ。昨日訪れた客を丁寧に検査させなければならない。
2階に足を踏み入れ、向かう先はラブ達が現在滞在している部屋。一度深呼吸をして、コンコンと小気味よくノックを鳴らす。
「どうぞ」
“……入るね”
中から了承の声が響くを確認し、慎重にドアを開ける。中は昨日と変わらず、ラブ以外のヘルメット団がベットの上で横たわっていた。そして声の主であるラブも同様、変わらず椅子に座ったままだった。
“おはよう。昨日は眠れたかな”
「ええ、ベットで眠れなかったけど野宿生活より遥かにマシな睡眠だったわ」
“そう。ならよかった”
無事に熟睡できたと伝えられ、先生は安堵する。
「ところで、急に来て何の騒ぎだ?朝食ならうちが1人でやるけど……」
“いや、それが……君たちを検査したくて”
「検査?なんの?」
状況が掴めないラブは聞き返すが、先生はその質問に答えない。それを見て、はてと疑問を抱くラブ。ふと、声が耳に届く。その声は先生のでも、ラブのものでもない。声をした方向に目を向けると、そこに設置さされていたテレビによるものだったと分かった。
現在流れているのは、先程先生も聞いた『来訪者』に関するニュースだった。
ラブは暫く画面に釘付けになり、初めて聞くニュースを黙って聞いていた。そしてそれが終わると、納得した顔で先生の方へと顔を向けた。
「……まだうちらを疑ってるのか」
“ほ、本当にごめん!夜中に訪れてきてたから無性に……!”
先生は、ラブからの憐れむ視線を向けられ、耐えられず頭を下げた 。
“でも、これは私一人の問題じゃない!みんなの為だから……!”
「……分かってるわ。先生も一度ぐらい疑ってしまうことだってあるもんな」
ラブは一つ溜息を吐くと、ベットで寝ている仲間達に声をかけた。
「おい、お前ら起きろ!先生がお目々の検査するってよ」
寝ぼけ眼の生徒たちは何事かと体を起こすが、ラブがテレビを指さして状況を説明すると、皆どこか諦めたような、あるいは面白がるような表情で先生の前に並んだ。
先生は一人ひとりの顔を覗き込み、その瞳を注意深く観察する。幸いなことに、彼女たちの瞳にニュースで報じられていたような『常時赤い充血』は見られない。澄んだ、あるいは少し眠たげな、見慣れた生徒たちの瞳があるだけだった。
“……ありがとう、全員に異常は見られなかったよ”
先生が安堵の息を漏らすと、ラブはニヤリと笑った。
「だろ?そんな事あり得ないって」
“ああ、疑ってすまなかった”
ーーこれで一つ、胸のつかえが取れた。彼女達は間違いなく本物だ。そう確信できた。
“それじゃあ、君達はここで休んでてね。それと何かリクエストはあるかな?”
「食料とかは自分で取れる。まあ、強いて言うならこの後も泊まらせてくれないか?」
“もちろん、好きなだけ泊まっていいよ”
別れの挨拶を交わし、先生は賑やかな声援を背に部屋を出た。一つ、大きな重荷が下りたような解放感があった。
さて、次だ。
廊下を進み、昨夜あのコーギーの男を通した部屋の前で足を止める。扉の前で一度、深く息を吸い込んだ。コン、コン、と指で扉を叩く。
「……どうぞ」
中から聞こえたのは、穏やかで、落ち着いた声だった。先生はわずかな躊躇いの後、慎重にドアノブを回した。
「これはシャーレの先生。いやはや、昨夜は本当にありがとうございました」
部屋の中央、ベッドに腰掛けた男は帽子を脱ぎ、柔和な笑みを浮かべていた。朝日が差し込む穏やかな部屋の光景に、先生の緊張も少しだけ和らぐ。
“困った時はお互い様ですよ”
先生がそう返すと、男はハハッと人の良さそうな笑い声を立てた。
「それで……一体どのようなご用件で?」
“お目覚めのところ大変申し訳ないのですが……身体検査にご協力いただけないでしょうか?”
「身体検査……ですか?」
男は当惑したように小首を傾げた。だが、その視線がふと部屋の隅に置かれたテレビ(電源は入っていない)に向けられた瞬間、彼の表情が変わる。
「……ああ、成程。『来訪者』の件ですね。承知いたしました。構いませんよ」
まるで全ての事情を察したかのような、不自然なほどの物分かりの良さ。そのことに先生は微かな違和感を覚えたが、今は目の前のタスクに集中しなければならない。
“ご理解いただけて助かります。では、早速……”
先生は男の正面に立ち、ごくりと唾を飲み込んだ。この検査で、全てが終わる。
“失礼。少し、目を見せてください”
男は何の抵抗も見せず、むしろ自ら顔を差し出すようにして、まっすぐに先生を見つめ返した。先生は張り詰める神経に耐え、彼の瞳を、その奥を覗き込むようにして凝視する。
そして――凍り付いた。
そこにあったのは、網目状に浮かび上がった無数の血管で、禍々しいまでに赤く染まった瞳だった。
「……っ!?」
息が、止まる。見間違いではない。ニュースで報じられていた特徴そのものだ。いや、それ以上に悍ましい。全身の血が急速に冷えていく感覚。指先が微細に震え始め、呼吸の仕方を忘れそうになる。
招き入れてしまった。この男が、『来訪者』だったのだ。
目の前の男は、先生の急変に気づいたのか、先程と全く同じ穏やかな表情で問いかけた。
「ど、どうかなさいましたか? 急に息を荒げて……」
その声には、純粋な心配の色しか浮かんでいないように聞こえる。だが、その瞳は変わらず赤いまま、じっと先生の顔を観察している。
先生は恐怖のあまり、一歩、後ずさった。彼の顔を直視できない。
ここから、どうする? 逃げるか? 叫ぶか? それとも――
腰に差した銃の、冷たく硬い感触だけが、この悪夢のような現実を先生に突きつけていた。
逃走は駄目だ。立て直すうちに、ラブ達の方まで被害が及ぶ可能性がある。絶叫も駄目だ。来訪者の力は計り知れない。
残った選択肢は一つーー。
不思議と、あれほど暴れていた焦りは凪のように静まり、思考だけがクリアになっていく。先生はゆっくりと顔を上げ、目の前の男を――『来訪者』を、再び直視した。
腰に差した銃のグリップが、自分の体温を奪っていくかのように冷たい。
“すみません……”
先生が絞り出した謝罪は、目の前の男に対してか、それともこれから生徒ではない誰かを殺す自分自身に対してか。
「えっ?」
男が間の抜けた声を上げた、その瞬間。
先生は腰から銃を抜き放ち、サイトを覗く間もなく、その銃口を男の胸へと突きつけていた。視界が極端に狭まる。世界の全てが、銃口の先にある一点へと収束していく。
そして――冷たい鉄の感触だけを残して、引き金が落ちた。
(バァンッ!!)
鼓膜を突き破るような轟音が、狭い一室で炸裂する。
腕を突き上げる強烈な反動。鼻をつく硝煙の匂い。マズルフラッシュが一瞬だけ世界を白く焼き、遅れてキィンという耳鳴りが思考を塗りつぶす。
震える腕で銃を構えたまま、先生は目の前の光景を、ただ呆然と見つめていた。
“あ……ぁ……”
声にならない呻きが、乾いた唇から漏れる。
発砲の反動で突き上げられた腕が、だらりと下がる。硝煙の匂いが鼻腔を刺し、まだ耳の奥で甲高い金属音が鳴り響いていた。
視線の先、銃弾を受けた男は、まるで糸の切れた人形のように吹き飛び、向かいの壁に叩きつけられていた。白い壁紙に、おぞましい血飛沫が扇状に広がっている。その中心で崩れ落ちた身体は、もはや擬態以前の形を保っていなかった。胸には、肉も骨も関係なく抉り取られた巨大な風穴が空き、そこから絶えず赤黒い液体が床のカーペットを汚していく。そして何より、虚空を見つめるその瞳には、もはや一切の光が宿っていなかった。
ガチャン、と重い音がして、先生は自分が拳銃を取り落としたことに気づいた。震える右手を見れば、べっとりと生温かい返り血が付着している。
戦慄が背骨を駆け上がると同時に、世界がぐらりと揺れた。激しい目眩に襲われ、立っていることができずにその場にへたり込む。
――殺した。
この手で、人を殺した。
危険を排除できたという、氷のように冷たい安堵。 命を奪ってしまったという、マグマのように熱い罪悪。
二つの相反する感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、思考を焼き切っていく。息が苦しい。吐き気がする。
その、混乱の渦の中心で。
不意に、甲高い声が耳に届いた。耳鳴りの向こうから、誰かが自分の名前を叫んでいる。ドタドタと複数の慌ただしい足音が、廊下を駆けてこちらへ近づいてくるのが分かった。
「おい、先生!しっかりしろ!」
バンッ!と乱暴にドアが開け放たれる。そこに立っていたのは、血相を変えたラブだった。
「先生! 今の、すっごい音したけど大丈夫か!? 一体、何が……」
言葉は、途中で途切れた。彼女の視線が床にへたり込む先生を通り越し、その背後にある――凄惨な光景に釘付けになったからだ。
ラブの顔から、急速に血の気が引いていくのが見えた。
「お、おい……先生……。なんで……あの男、死んでるんだ……?」
しかし先生は答えない。いや、答えられるはずがない。
ただ 意味のない呻き声を漏らし、虚ろな瞳で自分が作り出した凄惨な光景を見つめるだけ。右手にこびりついた血の感触が、脳に焼き付いて離れない。引き金を引いた瞬間の轟音と衝撃が、何度も何度も頭の中で繰り返される。
ラブは壊れてしまったかのような先生の姿を見て、はっと我に返った。今は呆然としている場合じゃない。
彼女は手っ取り早く先生の脇に腕を通し、この部屋から引き摺り出した。まずは安静に。彼女が必死に脳をフル回転させた結果の判断だった。
そして扉を力強く閉め、惨劇を強制的に遮断してやっと、先生が我に返った。
“ら、ラブ?一体どうして……ここに?”
「お、おう……急に銃音が鳴ってな、急いでここまで来たんだ」
“そ、そう……”
霞む瞳孔。乾いた唇に、大量の返り血。されるがままラブに引っ張り出された先生も、あの死体と大差ないほど酷い見た目をしている。
「……あの男を殺したのは、まさか先生か?」
先生は縦に首を振った。押しつぶされるような、重い罪悪感がひしひしと伝わってくる。
「……いや、先生がそんな事するわけない。だったら……アイツは『来訪者』って奴だったのか?」
“……皮肉にも、私が招き入れたはずの客を己の手で殺すなんて。こんなことになるなら……”
「先生は正しいことをやったんだよ、多分」
先生が無闇に人を殺さない。あまり関わりのないラブでも分かることだった。そんな気持ちを胸に必死に先生を宥めるラブを見て、先生はほんの少しだけ安堵を覚えた様な感覚に陥る。いつの間にか、先生は自分の足で立ち上がった。
“ありがとう、こんな私を認めてくれて……”
「いやっ、中に入れてくれた人に攻撃的になれる訳ないだろ!?」
そんなラブの当惑するセリフを聞き、先生は少し綻ぶ。だが手にこびり付く返り血が目を掠め、表情が強張る。
“とりあえず、この返り血洗いに行くね”
「お、おう……」
先生は返り血と罪悪感を水に流すために、ラブを置いて洗面台へと向かった。
2日目
“まったく……黒服も悪い奴だ”
物騒な事件もいつの間にか過ぎ去り、太陽が地面の中へ消えて数十分が経った。相変わらず、中も外も静かで不気味な雰囲気を醸し出している。
洗面台で用を済ませた後先生は死体のある部屋へと向かい、銃の回収と死体の調査を行った。
どうやら『来訪者』の血は従来の人間とは違い、即座に固まるらしい。つまり、人を撃ち殺した瞬間、人か『来訪者』かの嫌な答え合わせができる……というわけだ。最後まで罪悪感たっぷりの体の構造で嫌な気分になる。
さてその話は置いといて、今日も来客を迎えるとしよう。結局来訪者か否か、玄関前で尋問もあまり役には立たないし、見分ける事が出来ない。ただ先生にできる選択肢は、迎えてあげる優しさと、中へ入れて被害を及ばさないために処刑を下す慈悲だけ。
ふと夜景は恋しくなり、ちらりと窓から見える景色を眺めた。灼熱地獄と化している地上に反して、星々は綺麗に輝いている。そして地上の夜はというと、チンピラらしき生徒達が適当にぶらついていた。ヘルメット団といい、こんな世界で外で生きる人がまだこんなにも居るとは……。
(ピンポーン)
不意にベルの音が響く。来客だ。先生はその音を聴いてモニターに視線を向けると……。
モニターに映し出されたのは仕立ての良いスーツをまとった一体のオートマタだった。その佇まいはまるで高級店のドアマンのようだ。
『ああ、誰かいるかな?』
合成音声特有の感情の読めない声が響く。
“……こんばんは。何か御用でしょうか?”
『ふむ、ここが例のシャーレの先生が棲まう場所か』
“何やら棘のある言い方ですね”
『貴様の名を聞くと、あまり良い思い出が甦ってこなくてな』
その言葉で、先生は目の前のオートマタがかつて敵対した組織の一員であることを察した。正直、招き入れたい客ではない。だが今は彼の話を聞くしかない。
“……復讐ですか?”
先生が単刀直入に問うと、オートマタは光の灯らないカメラアイをふいと逸らした。
『復讐したいのは山々だがな。……運が良かったな、先生』
“運が良い?”
『つい先程、我々の組織は壊滅した。例の『来訪者』……奴らの仕業だ。アジトに何の予兆もなく現れ、一方的な虐殺が始まった。最初はどこの治安組織の生徒かと身構えたが……現れたのは、たった一体の獣人だった』
オートマタの声には、初めて微かな動揺のようなものが混じっていた。
『私は命からがら逃げ出し、ここに辿り着いた。もはや貴様に復讐する戦力など、私には残されていない』
“なるほど……。ですが、あなた一体だけでも丸腰の僕を制圧するには十分なのでは?”
先生が挑発するように言うと、オートマタはカメラアイを再び先生に向けた。その動きはまるで首を振る人間のようだった。
『馬鹿を言え。貴様を制圧したところで、次の瞬間には生徒に食い尽くされるのがオチだ。……先程から、2階の窓の灯りが見えるからな』
彼は全てを分かっていた。このシャーレが生徒たちの巣であり、自分は敵地に単身で乗り込んできているということを。
『だから取引だ、先生。次の夜まででいい。私をここに匿え。そうすれば手出しはしないと約束しよう』
今の先生にとって最も重要な判断材料、それは『来訪者』か、そうでないか。ただそれだけだ。たとえ目の前の存在がかつての敵であったとしても、それが『人間(あるいはそれに準ずる知的生命体)』である限り、助けを求める手を振り払う理由にはならない。モニター越しのオートマタからは、あの赤い瞳の男が放っていた悍ましい気配は感じられなかった。
“……入って結構ですよ。ただし条件を付け加えてください。宿泊する間は、与えられた個室から一歩も出ないでください”
『ふん、元よりそのつもりだ。……だが、礼は言っておく』
先生は躊躇いなく解錠ボタンを押し、かつての敵を、一夜限りの同居人として迎え入れた。
(ピンポーン)
オートマタを客室に案内して息をつく間もなかった。再び、来訪を知らせるチャイムが鳴り響く。
『せんせっ、お疲れ様です』
“……カズサ?”
モニターに映っていたのは意外な人物だった。トリニティの生徒、杏山カズサだ。確か彼女の自宅は、学園よりもシャーレから遠いはずだが……。
『ん? どうしたの先生。そんな幽霊でも見たみたいな顔して』
“いや、こんな時間に君が来るなんて思わなくてね……何かあったのかい?”
先生の純粋な心配が、カズサには少し不満だったらしい。彼女は拗ねたようにそっぽを向いた。
『うーん……別に、ただ先生に会いたかっただけ、とか? 理由がなくちゃ、会いに来ちゃダメなわけ?』
“いや、そういうわけじゃないんだ、ハハ……。心配なんだよ、夜道は『来訪者』も出るっていうし……”
『『来訪者』ねぇ。でも目撃されてるのってここから離れた地区でしょ? だから平気だって……あ、いや、ちゃんとした理由もあるっていうか……ほら、前にスイーツ部のみんなが寮に入ったって話したじゃない? アイリたちは安全だけど、私は一人暮らしだから……その、最近物騒だし……』
“……もしかして、一人は寂しいとか、怖いとか?”
『ち、違うから! 全然怖くないし!!』
図星を突かれたのか、カズサはモニター越しにでも分かるほど顔を赤らめて叫んだ。
“はは、ごめんごめん。つまり、今夜は泊めてほしい、で合ってるかな?”
『……そーいうこと、です。入れて、くれますか?』
特に怪しい点はない。だが、先生の心には昼間の惨劇が焼き付いている。もし万が一、この杏山カズサが『来訪者』であったなら、この手で―― いや、やめよう。彼女を信じると決めたのだ。
先生は覚悟を決めて解錠ボタンを押した。カチリ、と玄関から電子音が響く。
『ありがとうございます、先生。 あ、そうだ、途中でケーキ買ってきたんだ。後で一緒に食べよっか』
“ああ、ありがとう”
ふっと小さく微笑むような笑顔でシャーレに足を踏み入れるカズサ。先生はその光景に安堵し、ドアのロックを確認した。さあ、彼女を部屋へ案内しようとした、まさにその時だった。
(ピンポーン)
“……早くない?”
休む暇もない。あまりのタイミングの良さに、先生は訝しみながらモニターを覗き込んだ。
『やっほー先生。さっきの子とは、随分と楽しそうにお話ししてたねー』
そこに映っていたのはヴァルキューレ警察学校のフブキが、ドーナツを頬張りながら、気怠げにこちらへ手を振る姿だった。
“ふ、フブキ!? いつの間にそこに……さっきまでモニターには誰も……”
フブキは、まるでカメラの死角からぬるりと現れたかのようにそこにいた。
『……まさか、どっかの『来訪者』にでも遭遇した顔をしてるわけじゃないよね?』
“ちっ、違う!フブキの事を一度もそう疑った事ないから!”
『図星かよっ……いやぁ揶揄っただけなのに何そのオーバーリアクション……』
フブキは心底呆れた、と言わんばかりの溜息を吐いた。先生は一度咳払いして、乱れた呼吸を整える。昼間の惨劇が想像以上に心を蝕んでいる。
“取り乱してすまない。で、何で急にここ?”
『一応ね。ここの地区の夜のパトロール。……まあ、もう意味なんてないけどね』
“フブキが……自発的に見回りを!?”
『馬鹿にしてるのー?私だって、最後の仕事ぐらいするってー』
“……待って、最後の仕事?”
フブキの口から滑り出た不穏な単語に、先生は聞き返した。彼女は面倒くさそうに頭を掻く。
『最後って言ってるけど、私が勝手に言ってるだけ。つまり今日限りで辞めようと思うんだ』
“仕事を辞めるのかい?”
『昼も夜も、太陽と『来訪者』のせいで、パトロールも仕事すら出来なくてね。インフラとかも死にかけてるし、もうヴァルキューレの出る幕はもう潰されたんじゃないかって。それに……最近顔を見せない子が……』
“まさか被害者!?カンナ!?それとも、キリノ!?”
『まあまあ、落ち着きなよ。キリノも局長も今日は来てたよ?それにまだ死んだって決まってないから。それで今の状況を鑑みて、私は私の命を守るために逃げようって魂胆』
“なら良かったけど……カンナ達には伝えなかったの?”
『もちろん言っておいたし、逃げた方がいいよって忠告はしたよ。まあキリノ達は止めもしなかったし、辞める気もないって言われちゃったけど』
“そっか……”
『見捨てるって事じゃないけど、あの子たちなら大丈夫でしょ。意外と運だとか生存力は強いし』
先生はフブキの言葉を否定できなかった。正義を貫こうとする者、そして生きるために正義を捨てる者。この世界では、どちらも間違ってはいないのかもしれない。
『……で、長話しちゃったけど。これが、私が『来訪者』じゃないっていうアリバイ。どう? これで中に入れてもらえるかな?』
フブキは、まるでテストの採点を待つ生徒のように、じっとモニター越しの先生を見つめていた。
“……言う事はないよ”
彼女の機転の良さを想像することが出来なかった先生は、諦めたように返事し解錠ボタンを押す。これといった不良動作もなく、カチッと電子音が鳴り、ドアが開かれる。
『どうも〜』
ぶっきらぼうに礼を言ったフブキは、最初の手振りのように、気だるげに振ってそのまま中へ入って行った。
彼女を迎えた先生は、ふと時計を見ると既に12時を指そうとしていた。流石にこれ以上来客は来ないと断定し、彼はモニターを切りそのまま就寝へと入ったのであった。
コメント
8件
犬さんはやはりかぁ…てか機械のヤツってどうやって区別するんだろ…レンズが赤く光ってんのかな…脇毛のヤツとかブルアカ世界じゃ意味が無さそうだ…面白いなぁこれが天才かぁ
お、おお来訪者だったのか...マジで..展開が合いすぎる...