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#コスプレ
#ドS
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その日は、朝から不吉な予感に満ちていた。
長年積み上げてきたキャリアの中で、これほどまでの「綻び」を経験したことはない。
重要なコンペを控えたプレゼン資料に、致命的なデータの不備が見つかったのだ。
部下のミスは、管理職である私のミス。
それがこの世界の鉄則だ。
いつものように感情を排し、冷徹に事態を収拾しようとしたが
執拗なクライアントからの叱責は、鋭いナイフのように私の自尊心を削り取っていく。
「……申し訳ございません。至急、修正案を作成し、本日中に再送いたします」
応接室を出た私の足取りは、鉛のように重かった。
「氷の女王」が聞いて呆れる。
内実は、小さなミスに怯え、虚勢を張って自分を鼓舞しているだけの、脆くて不完全な女だ。
自席に戻り、視界が滲むのを堪えながら、震える手でキーボードを叩く。
その時、視界の端に湯気を立てるコーヒーカップが、すっと差し出された。
「……真壁、くん」
「マネージャー、15分だけ席を外しましょう。屋上の非常階段、今は誰もいませんから」
彼は私と視線を合わせることなく、あくまで同僚としての事務的なトーンで告げ、背中を向けて歩き出した。
拒絶する余裕も、理由を探す気力もなかった。
私は磁石に引き寄せられる砂鉄のように、彼の広い背中を追った。
重い扉の向こう、ひんやりとした秋の風が吹き抜ける非常階段。
扉が閉まり、二人きりになった瞬間、真壁くんは私の手から強引に資料の束を奪い取った。
「貸して。残りのデータ分析とグラフの修正は、俺が引き受けます。怜さんはここで、風に当たって深呼吸しててください」
「…いいわよ。私の不徳の致すところなんだから。自分でやらなきゃ、示しがつかない……」
「強がんなくていいです。怜さんの指、さっきから壊れた機械みたいに震えてますよ」
真壁くんはすべてを見透かし、そしてすべてを許容するような温かい眼差しで私を射抜いた。
その優しさが、今のボロボロな私には何よりも鋭く、痛かった。
「……どうして。どうして私なんかのために、そこまで…私たちはただの、利害が一致しただけの、契約上の関係でしょ……?」
溢れ出しそうな涙を奥歯を噛み締めて堪え、絞り出すように問いかける。
すると彼は、脇に資料を置くと、大きな手で私の肩を包み込むように抱き寄せた。
「……契約だろうが何だろうが関係ない。俺の目の前で、俺の女が今にも泣きそうな顔してんのを、黙って放っておけるわけないでしょう」
その言葉が、最後の堰き止めていたダムを壊した。
熱い涙が、止めどなく頬を伝い落ちる。
会社では誰にも弱みを見せられない完璧な上司。
裏では派手な衣装に身を包む奔放なコスプレイヤー。
どちらも「本当の自分」でありながら
どこにも本当の居場所なんてないと思い込んでいた私に、彼はまっすぐに「俺の女だ」と言い切ってくれた。
「真壁くん……っ、ごめ、私……」
「……もう、一人で背負おうとするのやめてくれます?怜さんの隣には、俺がいるんだから」
彼の胸に顔を埋めると
スーツ越しに伝わる心地よい体温と、微かなシトラスの香りが私を優しく包み込んだ。
便宜上の偽装結婚
一年という期限付きの契約。
そんな言葉の鎖で自分を縛り、予防線を張っていたはずなのに。
私の心は、この生意気で、誰よりも甘い後輩に、跡形もなく陥落していた。
本当の夫婦になりたい。
一時の契約が終わっても、この温もりを、この場所を失いたくない。
初めてそんな「私欲」を願ってしまった私の心は
もう二度と、冷たい「氷」に戻ることはできなかった。