テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
遥か未来、都市の影に隠されたスクラップ街。そこは、かつて壮大な戦場で猛威を振るった兵器たちが、無残な残骸となって打ち捨てられる場所だった。その埃っぽい迷宮の中で、ケイトは油と金属の匂いに包まれて生きていた。彼女はただの整備士ではない。「DISPATCHER」と呼ばれるベテランだ。数十年活躍してきた彼女の手にかかれば、どんなに複雑な機械も、その魂を取り戻すかのように息を吹き返す。
ある日、ケイトはいつものように廃棄地区を調査していた。いつものように、使えそうな部品を拾い集め、ガラクタの山を漁っていた。しかし、その日は違った。瓦礫の山の中から、彼女の目を釘付けにするものがあった。四肢を失い、胴体と頭部だけになった巨大な人型兵器。推定3メートルはあろうかというそれは、錆と泥にまみれてもなお、かつての威容を偲ばせる存在感を放っていた。
ケイトは迷わず、大型トラックを横付けした。ウインチを巧みに操り、その巨大な躯体をトラックの荷台に乗せる。ガレージに戻ると、彼女はそれを整備フロアのハンガーに吊るし上げた。薄暗い照明の下、兵器の表面に堆積した汚れを拭いながら、彼女は詳細な調査に取りかかった。この兵器が一体何なのか、なぜここに廃棄されたのか、彼女の好奇心は尽きなかった。
ケイトはまず、整備ハンガーの天井に設置された多関節アームを慎重に動かした。ガタガタと音を立てながら伸びるアームの先端は、彼女の巧みな操作によって、吊り下げられた巨大な兵器の装甲に吸い寄せられていく。精密なセンサーが装甲の継ぎ目を捉え、圧着式のクランプがしっかりと固定された。
「さてと、ご開帳といきますか」
操作盤のレバーを引いた。空気圧の高い音とともに、ガシャン、と重厚な金属音が響き渡る。一枚、また一枚と、兵器の分厚い装甲が剥がされ、ハンガーの床に静かに積み重ねられていく。
露わになった内部は、彼女の予想通り、長年の使用と放置によって激しく損傷していた。使い古されたシリンダーは腐食が進み、作動油が滲み出ている。あちこちでボロボロになったケーブルは、辛うじて繋がっているものの、内部の導線が剥き出しになっている箇所も少なくない。
しかし、ケイトの目はその損壊の奥に、ある共通点を見出した。使用されている部品の一つ一つが、精巧かつ堅牢な造りであること。そして何よりも、それらの部品には見慣れた刻印が施されていたのだ。
「これ……軍の物か」
彼女は呟いた。使われている素材も、設計思想も、明らかに一般の民間兵器とは一線を画している。それは、かつて大規模な戦争で猛威を振るった、正規軍が使用していた兵器に違いない。
装甲を剥がしていく作業は、ケイトにとって骨の折れるものだった。しかし、軍用規格の部品という発見が、彼女の好奇心をさらに刺激していた。そんな中、彼女は機体の胸部付近に、不自然なほど目立たないレバーがあるのを見つけた。他の破損したシリンダーや千切れたケーブルとは異なり、そのレバーだけが、まるで意図的に隠されていたかのように、かすかに金属の光を放っていた。
「これ…」
ケイトは薄汚れた手袋で、レバーの周りの埃をそっと払った。そこには、読み辛いほど摩耗した文字で「緊急開放」と刻まれているのが見えた。コックピットハッチを強制的に開くためのものだ。通常、このような重要箇所には、セキュリティシステムが何重にも施されているはずだが、この兵器には何の電力も供給されていない。彼女は迷わず、そのレバーを握り、ゆっくりと引き下げた。
ギィィィィ…という、長年動かされなかった蝶番が軋むような鈍い音が、静かなガレージに響き渡った。重い金属の摩擦音が、兵器の深い歴史を物語っているようだった。そして、ごくわずかな振動とともに、兵器の胸部が頭部を持ち上げて開いていく。そこには、予想だにしなかった光景が広がっていた。
薄暗いコックピットの内部に横たわっていたのは、予想だにしなかったものだった。それは、機能を完全に停止した犬型のドローンだ。
軍用と思われるそのドローンは、流線型の無駄のないデザインで、ところどころに激しい戦闘を物語る傷跡が残っていた。しかし、その姿はまるで、忠実な番犬が主人を待ち続けるかのように、静かに横たわっていた。ケイトは思わず手を伸ばし、ドローンの金属製の首に触れた。ひんやりとした感触が指先に伝わる。
首輪には、かすれた文字が彫られていた。埃を拭い、目を凝らすと、そこには「COOPER(クーパー)」と読めた。
「クーパー…」
ケイトは呟いた。その名前は、単なる識別番号ではない。人間味のある響きを持っていた。
コックピットの中で横たわるクーパーの姿に、ケイトは一瞬思考を巡らせた。しかし、この謎を解き明かすには、まず目の前のこのドローンを詳しく調べる必要がある。
「よいしょ、っと…」
ケイトはドローンを持ち上げようと試みた。見た目よりもずっと重く、予想外の抵抗に彼女は額に汗を浮かせる。軍用ドローンだけあって、そのボディは想像以上に堅牢に作られていたのだ。錆びつき、機能停止しているとはいえ、その重量は整備士としてのケイトの腕をもってしても一苦労だった。
長い時間、体勢を変えながら、どうにかクーパーをコックピットから引きずり出す。ガレージの床まで辿り着くと、彼女は力を抜き、ドローンをそっと手放した。
ガシャン!
重い金属音が響き、クーパーはそのまま床に横倒しになった。機能停止しているため、当然ながら姿勢を保つこともできない。埃を巻き上げながら転がったクーパーの横で、ケイトは荒い息を整える。
とりあえず、ケイトはクーパーを拘束することにした。もし再起動した時に暴走でもされたらたまらない。ガレージの壁に備え付けられた多目的固定具を引っ張り出し、クーパーの四肢を慎重に、しかししっかりと固定する。長年の経験が、彼女に用心深くあることを教えていた。
拘束を終えると、ケイトは工具箱から診断用ケーブルを取り出した。先端をクーパーのメンテナンスポートに接続し、携帯端末を操作して電力供給を試みる。
「よし、電源再起動…っと」
彼女は端末の画面をタップした。しかし、画面には何の反応もない。クーパーのボディからも、起動を知らせる光や音は一切聞こえてこない。
「おかしいな…」
ケイトは何度か端末を操作し直したが、結果は同じだった。まるで、内部の回路が完全に断ち切られているかのように、クーパーは微動だにしなかった。彼女はバッテリー残量をチェックし、さらに内部の回路図を端末に表示させる。
「これは…」
画面に表示された回路図を見たケイトの眉間にしわが寄った。基幹となる電力供給ラインが、何カ所も物理的に損傷していることが示されていた。
クーパーの診断結果を見て、ケイトは深く息を吐いた。物理的な損傷、それも基幹ラインの複数箇所にわたる断線は、単なる充電不足よりもはるかに厄介だ。しかし、彼女の整備士としての長年の経験が、この状況を前にして燃え上がる。
「よし、やるか…」
彼女はそう呟き、工具箱から精密ドライバーセットと、細い配線コードの束を取り出した。ペンチ、ピンセット、はんだごて。いつもの相棒たちが、彼女の手によって次々と準備されていく。
破損したケーブルの被覆を剥がし、マイクロスコープで断線箇所を特定する。指先の感覚だけを頼りに、細い配線を繋ぎ合わせる。一つ、また一つと、顕微鏡下で作業は進む。長年の油と金属の匂いにまみれた彼女の指は、まるで外科医のメスのように繊細に、しかし力強く動いた。
「くっ…」
集中した作業は、骨が折れるものだった。何度もやり直し、時には手が滑って思わず舌打ちが出る。半田の煙が目に染み、長時間同じ姿勢を取り続けた体は軋みを上げた。これは単なる修理ではない。この無言のドローンに、再び命を吹き込むかのような、根気のいる作業だった。
長時間の格闘の末、ケイトは端末の画面に表示された数字を見て、小さく息を吐いた。「76%…か」長年の整備士としての血が騒ぐ。100%ではない、という事実に、どうしようもないモヤモヤを感じていた。しかし、今は仕方ない。この犬型ドローンの内部構造は、彼女がこれまで見てきたどんな機械よりも複雑だったのだ。
「よし…今度こそ」
ケイトは再び端末を操作し、電源再起動のコマンドを送った。今度は、先ほどとは違う手応えがあった。微かに、しかし確かに、クーパーの内部から機械音が聞こえてくる。停止していたランプが点滅し始め、徐々にその光を強めていく。そして…
「…起動した!」
ケイトは思わず声を上げた。固唾を飲んで見守っていた彼女の目に、クーパーのモノアイが淡い光を灯したのが映った。静寂を破り、クーパーの内部から、低く唸るような機械音が響き始める。それは、まるで長い眠りから覚めた獣のようだった。