テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
事件から六カ月が経った。エルゼとラーニアは、体の他の部分は順調に回復し、互いの体をチューブで繋がれて離れられないという不自由な状況でも、その年頃の子どもらしく日増しに仲良くなっていった。
常盤美奈は自ら志願して二人の経過観察を行った。自衛隊の医官とは言え、医者のはしくれである彼女には純粋に研究者としての関心があったからだ。彼女たちの体から伸びるチューブを間でつなぎ血液、体液の循環を助けているポンプもより小型の物に交換され、その装置を車輪付きの台座に乗せれば彼女たちがベッドから降りて、短時間なら病院の中を歩行出来るまでになっていた。
二人は四六時中一緒にいるので、エルゼはラーニアのアラビア語を、ラーニアはエルゼのヘブライ語を少しずつ覚え始めていた。5歳の子供の語彙ではしょせん限られているとは言え、簡単な意思疎通には不自由しないまでになっていた。
だが、ある夜、けたたましいナースコールのブザーの音で美奈と宿直の看護師たちはつかの間の静寂を破られ、エルゼとラーニアの病室へ駆けつけた。美奈たちがドアを開けると、二人の少女は恐怖に怯えた顔で狂ったように何かを宙に向けて訴えていた。
美奈が真っ先に心配したのは彼女たちの内蔵につながっているチューブが外れた事だったが、それは大丈夫だった。何らかのショック症状かとも思ったが、美奈が見る限り純粋に精神的、心理的なショックのようだった。美奈は万一にもチューブが外れたり傷がつかないように看護師たちに二人の体を押さえさせ、彼女たちの声に耳を澄ます。
だがエルゼはヘブライ語で、ラーニアはアラビア語でわめき散らしているため、美奈には何を言っているのか分からない。美奈はとっさにポケットから小型ICレコーダーを取り出し、二人の言葉を録音した。
どうやら二人は同じ事を繰り返し叫んでいるようだ。しばらく録音を取って、美奈は彼女たち付きのユダヤ系、アラブ系二人の女性看護師に英語で尋ねた。
「この子たちは何と言っているの?」
まずエルゼを押さえているユダヤ系の看護師が答えた。
「悪魔が来る、と言っています。ミス・トキワ」
「悪魔?」
ラーニアの体を押さえつけているアラブ系の看護師が美奈に言った。
「ラーニアも同じ事を言っています。12の悪魔が来る……さっきからそう」
「精神錯乱かしら?でも、下手な鎮静剤投与はこの子たちには危険だし」
そう独り言を言って考え込む美奈に、二人の看護師が告げる。
「十二の悪魔が天から降りてくると、エルゼは言っています」
「ラーニアもです。水兵さん、早く逃げて、とも」
美奈は頭を抱えた。こんな異常な身体状況に置かれているのだし、何らかの副作用で精神が一時的に錯乱する事があっても不思議はない。だが二人揃って全く同じ内容のうわ言を言う、そんな事があるものだろうか?
数分後、二人は突然叫ぶのをやめ、ぐったりとベッドに横たわって動かなくなった。美奈が脈拍などをチェックした限りでは深く眠りこんだように見えた。念のため主治医の教授に連絡するよう看護師たちに指示して、美奈はそのまま二人のベッドの横に椅子を持ちこみ待機する事にした。
だが数日後、それが彼女たちの単なる悪夢ではないと考えざるを得なくなる事態が、今まさに進行中である事を、美奈は知る由もなかった。
その異変を最初に発見したのは、アメリカ合衆国フロリダ州にあるケープカナベラル空軍基地のレーダー監視員だった。宇宙から地球めがけて高速で飛来する巨大な物体をレーダーが捉えたのだ。
まずミサイルである可能性が疑われ、米国全土の軍の対空、対宇宙監視レーダーが警戒態勢に入った。近づくにつれミサイルにしては大き過ぎる事が分かった。次に疑われたのは巨大隕石だった。
その物体は確実に地球と衝突するコースを飛行しており、巨大隕石が地上に激突した場合の大規模災害に備え、そのデータは国際連合を通じて世界各国の政府に伝達された。
十三時間後、その巨大な物体は大気圏に突入し、そこで十以上に分裂した。小さな塊に割れたのであれば、一個一個は地上の落下する前に大気との摩擦で燃え尽きる可能性も出て来た。ケープカナベラル空軍基地に駆けつけた軍の幹部将校たちがほっとしたのも束の間、レーダー監視員がスクリーンを見つめたまま奇妙な事を言い出した。
「変です。破片が全て、水平方向に移動しています」
「どういう事だ?」
少将のバッジをつけた幹部が怪訝そうに訊く。
「まるで航空機のように別々の方向に飛んでいます。落下ではありません。明らかに地球の重力に逆らって水平飛行しているとしか見えません」
「隕石でもなく、UFOだとでも言うのか? 破片は幾つだ?」
「お待ち下さい……全部で十二個です、サー!」
「天から十二……と言って十二使徒だの天使が降臨したわけでもあるまい。笑えない偶然だな。全ての飛行コースを追跡出来るか?」
「ここの施設だけでは無理です」
「分かった。とりあえずホワイトハウスを通じて各国の協力を仰ごう。追跡出来る物は追跡を続けろ」
「イエス、サー!」
その十二個の飛行物体は地球全土に散らばって行き、それぞれ特定の地点に達するといきなり垂直に落下した。
一つ目の物体は、米国東海岸バージニア州のノーフォーク海軍基地に落下した。それは直径百メートル近い巨大な黒い球体であったと、後日目撃した基地の水兵たちは口をそろえて証言した。
その巨大な球体は米海軍第二艦隊の旗艦である原子力空母を直撃、わずか数分で沈没させた。救援に駆け付けた艦隊の駆逐艦三隻は海中直下から何かに激突され、やはり沈没した。その後、海中を遠ざかって行く巨大な球状の物体を対潜哨戒ヘリが目撃、追跡したが深海に潜行されて見失った。
二つ目の球体はアメリカ西海岸カリフォルニア州のサン・ディエゴ海軍基地で、やはり原子力空母を真上から直撃して破壊。救援に駆けつけたもう一隻の原子力空母は、その球体が深くめり込んだ一隻目の空母に体当たりされ、もろともに沈没した。
三番目の球体はイギリスのデヴォンポート海軍基地に落下。英海軍の軽空母を直撃し周囲の艦艇多数を破壊。その後海峡を横断してフランスのシェルブール軍港に到達。待ち伏せていたフランス海軍の艦艇を多数破壊した後、北上してドイツのヴィルヘルムスハーフェン海軍基地に到達。ドイツ海軍の艦艇を破壊、特に潜水艦の大半を海の藻屑と化し、その後北極海に姿を消した。
四番目の球体はロシア極東ウラジオストク軍港に落下。停泊中だった原子力潜水艦を直撃し、その後ナホトカ軍港へ移動。多数のロシア海軍艦艇を破壊して北極海へ姿を消した。
五番目の球体は中華人民共和国の青島軍港に落下し多数の海軍艦艇を破壊、その後上海港へ移動し中国の軽空母に海中から激突して沈没させ、その船体と共にそのまま海中に消えた。
六番目の球体はインド・ムンバイ港に落下。就役したばかりのインド海軍の軽空母一隻を直撃して破壊。インド洋に去る球体を追跡した原子力潜水艦はそのまま消息を絶った。
七番目の球体は中国の南シナ海に面する海南島海軍基地に落下。完成間近の中国初の国産空母を直撃して破壊。その後南シナ海を南下し、ベトナムのダナン港、タイのバンコック港、シンガポールのチャンギ海軍基地を次々に襲い、各国の海軍艦艇を破壊。だが、東南アジア各国は当初これを中国海軍の侵攻と誤認。正確な情報が伝わらず、甚大な被害を招いた。
八番目の球体はペルシア湾に面するイランのバンダレ・アッバース港に落下。イラン海軍の巡洋艦を破壊。対岸のバーレーンから米海軍第五艦隊が出撃したが、球体迎撃のため出動した多数のイラン海軍の戦闘艦を、イランによるホルムズ海峡封鎖のためではないかと疑い、対応が遅れた。第五艦隊の旗艦である原子力空母は海中真下から球体に体当たりされ沈没。
九番目の球体はブラジルのアラトゥ海軍基地に落下。停泊中の同国海軍艦艇を多数破壊し大西洋を南下、途中警戒のため出動したアルゼンチン海軍の艦艇多数を破壊しながら南極海方向に姿を消した。
十番目の球体は南アフリカのケープタウン港に落下。ようやく近代化を始めたばかりの南アフリカ海軍のフリゲート艦隊はひとたまりもなく全滅。これも南極海方向に姿を消した。
十一番目の球体はオーストラリア東海岸のシドニー港に落下。駆逐艦、フリゲート艦を多数破壊し、東進してニュージーランドのオークランド港を襲撃、フリゲート艦隊を壊滅させ、南太平洋に姿を消した。
そして最後、十二番目の球体は日本の横須賀海軍基地に落下、米軍横須賀基地沖合に停泊していた米海軍第七艦隊の旗艦である原子力空母を直撃、破壊した。隣接する日本国海上自衛隊横須賀基地から多数の艦艇が救援に出動。
そのうちの一隻、第一護衛艦隊の旗艦「ひゅうが」型ヘリ搭載護衛艦には日野雄平が訓練士官として勤務していた。雄平は艦橋上部の見張り台に上がり、双眼鏡で米原子力空母の様子を観察した。ひゅうが型の甲板からは六機の哨戒ヘリが次々と発進して行く。
そして雄平は目を疑った。米空母の飛行甲板のど真ん中にめり込んだ巨大な球体は、まるでアメーバのように艦隊の金属を溶かして内部に取り込んでいるように見えたからだ。ひゅうが型から飛び立った先頭のヘリが真上にさしかかった時、球体から何かが勢いよく、すさまじいスピードで飛び出した。
それはまるで小型ミサイルのように見えた。三角錐型の金属らしい塊が、そのヘリを下から直撃し、ヘリは次の瞬間炎に包まれてほぼ垂直に海面に落下した。雄平は艦橋内の指揮官につながる非常用連絡マイクに向けて怒鳴った。
「ヘリに帰還命令を! あれはただの事故じゃない!」
だが遅かった。ヘリは次々と球体から発射される長さ二メートルほどの針のような物体で撃墜され、やっと一機だけが艦の上空まで逃げのびて戻って来た。雄平がほっとしたのも束の間、そのヘリは水平に飛んできた、例の巨大な針のような物体に真後ろから機体を貫かれ、そのままひゅうが型のヘリ発着用甲板に墜落、激突した。
ヘリに搭載されていた対潜ミサイルが引火し誘爆。ひゅうが型の甲板は一面火の海になった。その後の事はよく覚えていない。気がついたとき、雄平は救命艇の救護室の床に寝かされていた。幸い雄平は軽い打撲ですんだようだったが、近くにあるベッドの上からはこの世の物とも思えない、痛々しいうめき声が聞こえて来ていた。
雄平はズキズキ痛む上半身を必死で少し持ち上げ、側を通りかかった医官に尋ねた。
「自分の、自分の艦は?」
医官は何も言わず黙って首を横に振り、そのまま歩き去って行った。これがわずか一日の間に世界中でほぼ同時に起こった一連の出来事だった。
その後球体は世界各地の海に出没、出合った球体同士がくっついて合体する事を繰り返し、太平洋の真ん中でついに十二個全てが合体し、直径千メートルの平べったい円錐状の巨大な金属の塊と化した。それまでに商船、タンカーなどが次々と襲われた。
世界各国は海軍、空軍の総力を挙げてこの宇宙からの巨大な怪物の殲滅を計ったが、人類が現在保有する兵器では太刀打ち出来なかった。
アメリカ合衆国大統領は国際連合の許可を得て、戦術核ミサイルを太平洋中部にいる巨大エイリアンに発射した。だが、怪物は人類の科学では知られていない不思議なフィールドを発生させて、核爆発のエネルギーを全て体内に呑みこんだ。
その結果この怪物は移動の速度も速くなり、接近する航空機、超音速戦闘機すら、あの針状の物体を飛ばして撃墜出来るまでになった。この頃には科学者たちは、この怪物が「金属生命体」とでも言うべき、未知の宇宙からの侵入者であるという結論に達していた。
人類の最後の切り札である核兵器が逆効果でしかない以上、世界中の軍隊はこの怪物に対抗する術を持たなかった。この怪物はその後世界中の海を気ままに動き回り、その海域の海上交通は長期間麻痺し、世界経済は大混乱に陥った。
いつしかこの怪物は人々に「クラーケン」と呼ばれるようになった。クラーケンの飛来からわずか一年後、地球人類はその世界中の海上兵力の八割、航空兵力の六割を失っていた。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!