「結葉、今日は元気がないみたいだけど……僕がいない間に何かあった? 家電の着信履歴に見慣れない携帯番号が残ってたけど、もしかしてそのせい?」
夕飯の時。
偉央にそう聞かれた結葉はビクッと肩を跳ねさせた。
自分では表に出しているつもりはなかったけれど、偉央は結葉の変化にとても敏感だ。
それはひとえに結葉のことを愛しているが故なのだが、秘密事を抱えた今の結葉には、偉央のその目が恐怖でしかなくて。
「あ、あのっ……実は……」
箸を持つ手にギュッと力を込めて、結葉は緊張のあまりカラカラになりそうな喉に、なけなしの唾液を飲み込んで潤した。
「今日幼なじみの琳奈ちゃんから電話があって……。その、ど、同窓会に誘われたんです」
何とか搾り出すようにそう言ったら、偉央が筑前煮を取り分けた小鉢に手を伸ばしながら何でもない風に「同窓会?」とつぶやいて。
その声がとても穏やかに聞こえた結葉は、少しだけ身体から力を抜く。
偉央が好きだと言うから、米食の時には急須で玄米茶を淹れるのが御庄家での通年の慣例になっている。
夏の暑い日は氷をたっぷり入れた麦茶が当たり前という環境で育った結葉は、結婚当初、夏の盛りにも熱いお茶を好む偉央が不思議でたまらなかったのを覚えている。
今でも夏場になると、結葉は冷蔵庫で麦茶を冷やしている。けれどそれを飲むのは日中ひとりきりで家にいる間だけ。
偉央と同じ食卓へつく時は、何故か麦茶を飲むのがはばかられて、夫に合わせて熱いお茶を飲むようになっている結葉だ。
今は晩秋の頃で朝晩ぐっと冷え込むようになったから熱いお茶でも美味しく飲めるけれど、夏場に熱いお茶をエアコンのよく効いた――ともすると寒くすら感じられる――部屋で飲むのは、正直結葉には未だに少し抵抗がある。
こんな感じで、一事が万事偉央の顔色を窺うような生活になってしまったのはここ二年ぐらいが顕著だ。
新婚の頃は、結葉も結構自分の好みを遠慮なく出せていたように思う。
実際、冷たいお茶に関しては、きっと偉央のものさえ熱い玄米茶にすれば、彼は何も言わないと頭では分かっている結葉だ。だけど同時に、偉央が彼の好みに合わせてアレコレ従う結葉を見ることを好むのも知っていたから。
だから結葉はついつい偉央の機嫌を取るような行動を取っていた。
こんなに息が詰まりそうな生活をしていても尚、結葉は偉央が優しくしてくれればときめくし、今の生活を破綻させてまで、偉央を裏切ろうとは思わないのだ。
***
湯呑みから湯気の燻る香ばしいお茶をひと口飲むと、結葉は小さく吐息をついて、恐る恐る切り出した。
「同窓会。昼間にほんの二時間ぐらいの軽いものだからおいでって誘われて……それで」
しどろもどろでそこまで言ったと同時、結葉の言葉を遮るようにして「その同窓会は大学の?」 と、偉央が問うてきた。
こちらには視線を向けないままに落ち着いた低音ボイスで尋ねられて、結葉はドキッとしてしまう。
結葉が通ったのは私立のミッション系の女子大だ。
とどのつまり偉央が言っているのは、その場に男がいるか否かということに他ならないのだと、結葉は瞬時に理解した。
「ごめ、なさっ。大学の、ではなくて……。その……ちゅ、中学の頃ので――」
同年代の男の子たちも参加するものなのだ、と結葉は偉央に告白する。
「そっか。じゃあ、もちろん断ったよね?」
偉央が、結葉を男性のいる場に出させたくないと意思表示をすることは、自明の理だ。
〝そのことは、結葉も偉央との三年間に及ぶ婚姻生活で嫌と言うほど身にしみているはずだよね?〟と言外に含ませる偉央に、結葉は言葉を失ってしまう。
「あ、あの……私、一度はちゃんとお断りをして……それでっ」
湯呑みを持つ手がふるふると震えて、中のお茶が小刻みに揺れて細波を立てた。
それを泣きそうになりながらじっと見つめる結葉は、偉央の方を怖くて見られない。
「つまり、お断りはしたけどゴリ押しされて行くことにされたって理解したんでいい?」
偉央の声はあくまでも穏やかなまま。
だけど結葉はそう言う時の方が偉央の怒りが大きいと言うのを経験から知っている。
「ごめんなさいっ。偉央さんっ。私、ちゃんと……お断りする、のでっ」
だから怒らないで欲しいと言外に含めれば、偉央がクスッと笑った。
「結葉はまた押し切られちゃうと思うな?」
「偉央、さっ――」
そんなことにはしないからっ、と言い募ろうとしたら、偉央が静かに立ち上がって。
結葉は恐怖に声が出せなくなってしまう。
「大丈夫だよ、結葉。今回はちゃんと話してくれたからね。僕はキミに対して怒ったりしていない」
結葉の怯えを的確に察知した偉央が、そう言って結葉の頭を優しく撫でて。
「だけど放置は出来ないから……今回は僕がキミを悪いお友達から守ってあげる。今日一番最後に掛かってきたのがそれだよね?」
結葉から離れて電話の方へ足を向ける偉央を見て、結葉はフルフル震えながら「……はい」と、か細く答えるのが精一杯で。
「こっちにおいで、結葉」
電話機の前に立った偉央に、ニッコリ微笑んで手招きされて、結葉は絶望的な気持ちになった。
きっと、琳奈とはもう連絡を取れなくされてしまうだろう。
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