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午前中に予期せぬことが起きた。
発端は石坂さんからの電話だった。
私と浩平の写真が近所にばら撒かれているらしい。
そうか……智花にやったこと、さらに遡れば一華の母親のことを見れば、こういう手段に出てくることは容易に想像できた。
石坂さんと何人か私が親しくしている近所の人が家に来てくれた。
「橋本さん、これはどういうことなの?」
石坂さんが聞く。
「長くなるんだけど、順に説明しますね……」
私はみんなにスクールに通いだしたこと、そこで浩平と知り合ったこと。
交際を申し込まれて断ったが、さらに迫られたことを話した。
「それに私、警察にストーカー被害の相談をしていたんです。知らない間に盗聴器が仕掛けられていたり、変な手紙が家のポストに直接投函されていたり」
「じゃあこの写真も?」
「もしかしたら同じ人間がやったのかも……私、しばらくは家を出ようかなと思って」
「どうして?橋本さんが出ていく必要なんて」
「こういうのを打ち消すのって相当時間がかかるし、私が一軒一軒回って否定するのも火に油を注ぐ気がして、なにより明さんに迷惑がかかりそうで」
明さんと一華のことは伏せておいた。
「そうなの……この男がストーカー?」
「どうだろう……ただ、この人はもうスクールの講師も辞めてしまったから接点が無くて」
「橋本さんが家を空けている間に、私たちが近所に橋本さんがストーカー被害にあっていて、これもその嫌がらせだって言って回るから」
「すぐに帰ってこれるようにするから安心して」
他のみんなも私に同情的だ。
「ありがたいけど、それでは皆さんに迷惑じゃあ?」
「いいのよ。困ったときはお互い様だから」
石坂さんははつらつとして、以前の影はもう感じられない。
良いことだ。
「ありがとう。ではお言葉に甘えさせていただきます」
深々と頭を下げて、石坂さんたちにお礼を言った。
しばらくはホテル暮らしになるだろう。
それでもトマトに水をやりには戻ってこないといけないか……。
家を空ける間、皆を代表して石坂さんと連絡を取り合うことにした。
家を出たのは午前中の水やりを済ませてからだった。
二駅ほどはなれたビジネスホテルにチェックインすると、荷物を出した。
おそらく夜には明さんから電話が来るだろう。
そのときに場所だけは教えておかないと。
私の部屋には鍵をかけたから、入られる心配はない。
後は滝川さんにメッセージを入れておこう。
私の予測では、この事態は二週間もかからずに終わるだろう。
問題は、どのように終わらせるかだ。
夜になると明さんから電話が来た。
私は午前中の騒動を話して、迷惑がかかるからしばらく家には帰らないことを告げた。
明さんは私が浮気をしていたことは信じないと言い、一華との関係を認めた。
明さんは私とこれからについて話したいと言ったが、私は騒動のこともあるのでもう少し時間が欲しいと話して電話を切った。
家を出てから三日が経った。
ホテル暮らしも慣れてきたと思い始めた朝。
朝食を済ませるとトマトの水やりに帰った。
玄関を上がりリビングから庭へ。
脚が止まった。
目に飛び込んできた光景が現実と認識できるまで数秒を擁した。
「う……」
言葉は続かなかった。
窓を開けてそのまま庭に降りて膝を折った。
私がこれまで丹精を込めて作り上げてきた菜園が壊滅していた。
茎は折られ、実は潰され、根は引き抜かれていた。
これまで育んできた命が、子供たちが全て死んだ。殺された。
誰に?一華に決まっている。
そうだったんだ……これが最初からの目的だったんだ。
私から全てを奪う。平穏な家庭に不和を築き、周囲を巻き込むことで私が家を空ける様に仕向けた。
これで終わりとは思えない。
最後は?最後はどうする?
一華の言葉を思い出してみた。
一華が把握していて私に残されたもの。
明さんか。
でも私には一華が把握していないものが残されている。
滝川さんだ。
しかし、これは許せない。
罰が必要だ。
手を着いて立ち上がるとホテルへ帰った。
一週間で終わらせよう。
ホテルへ戻り同窓会の通知をメモした手帳を開いた。
返信先は津島由利。
住所から察するに実家ではないようだ。
一華をいじめていたクラスメイトで唯一生きている由利。
同窓会を一華に知らせたのも由利。
間違いない。由利と一華はそれ以前から繋がりがある。
多分、中学のときからだろう。
騎士がルイ君で、ジョーカーが由利か。
「一華ちゃん……私に内緒でこんな札を隠していたなんてね」
思わず口の端がつり上がった。
滝川さんにストーカー被害のため家を出たことを知らせると、その日のうちに話を聞きに来てくれた。
ホテルの1階にある喫茶店で待ち合わせると、滝川さんは入口の前にいた。
「滝川さん」
「橋本さん。どうも」
なんだかバツの悪そうな顔をしている。
「今日はお一人ですか?いつもの佐川さんは?」
「自分は今日休みなんです」
「えっ。そうだったんですか?そんな、どうして教えてくれなかったのです?悪いじゃないですか。お休みを潰してしまうなんて」
「大丈夫です。休みなんて家で寝ているだけなんで。こうして外に出る機会があった方が良いんですよ」
「そうなんですか。じゃあ入りましょう」
私に促されて店内に入った滝川さんは、相変わらず様子が変だった。
どこか緊張しているような、今までには見られなかった反応だ。
そしてどこか愛らしくもある。
「滝川さん、どうかしました?なんだかご様子がいつもと違う気がするんですけど」
「ああ、その、こういうところに入るのはなかなかないもので」
店内に視線をやる滝川さんに聞くと、女性がほとんどの客席を占めていて入りにくかったということらしい。
たしかに女性、しかも若い女性が多い。お店では「女子会フェア」としてスイーツの新作を打ち出していた。女性が多いのはこのせいだろう。
「すみません、私ったらそこまで考えていなかった」
「いえ、気にしないでください」と笑顔で行ってから「早速ですが、電話で話したことをお聞かせください」と、いつもの刑事の顔になった。
私はバッグから近所に投函されたという写真を見せた。
滝川さんは一枚一枚見ていく。
「これは誰ですか?」
「通っているアートスクールの講師です。熱心で丁寧に教えてくれるので、私も心を許していました。良いお友達として接していたつもりなんですが、先生……村重さんというんですけど、村重さんの方は私に友達以上の感情を持っていたみたいで」
「と、いいますと?」
「私が既婚者だとしりながら男女の関係を迫ってきました。もちろん私はそんなつもりはありませんでしたから、やんわりとお断りしたんです」
村重と池を見ながら話したときを思い出した。
「ですが、強引に迫られてきっぱりとお断りしたんですね。次の日から村重さんは講師を辞めてしまわれました」
今度は村重の家でのことを思い出した。
「私に隙があった、甘かったと言えばそうなんでしょうけど。きっと知らないうちに思わせぶりな態度や言葉があったのかもしれません」
言いながらうつむいた。
滝川さんは写真を見ている。
「そこにあるのは合成も含まれています。ホテルから出てきている写真、それは美術館に行って出てきたときのものです。服装でわかります」
私は一華から作品制作の勉強にということでチケットをもらったことを話した。
「小川さんはどうしてそんなことを?あなたがご結婚されていることをご存じなかったのですか?」
「一華は知っていました。一華はなんというか、性的なことに関して奔放でして、私にもそういう関係を楽しんだ方が良いと言っていましたから、軽い気持ちだったと思います。私の方はそこまで割り切って男女のことを考えるのはできないので」
「そうですか。で、この写真を近所のポストに投函したのは村重さんだと思いますか?」
「わかりません……。以前お渡しした手紙や盗聴器からはなにかわかったのでしょうか?もしかして今回の件と関係あるのかと思いまして」
滝川さんは首をふった。
「盗聴器と手紙からは橋本さんの指紋以外は出てきませんでした。ところで村重さんという方は、そういうことをするような人物でしたか?言動やそういったところに思い当たる節でもあれば」
「いいえ……会っているときは普通だったと思います。強引に迫られたときも、暴力的なことではなくて、納得してくれなかったという感じですから、そのときもストーカーのような異常性は感じませんでした」
「そうですか……ですが写真を見ると誰かがあなたと村重さんを尾行していて撮影したという感じですね。村重さん自身にはなにかトラブルを抱えているような話は聞きましたか?」
「そういう話はなにも」
「わかりました。では家の庭を荒らされていた件ですが、昨日までは変わりがなかった。そういうことですね」
「はい」
「電話でもお話しましたが警察には届けましたか?」
「いいえ」
滝川さんに電話したときに、庭の件は警察へ届けるように言われたが私にその気はなかった。
「どうして?これは立派な犯罪行為ですよ」
滝川さんの口調が若干強まった。
「すみません……すみません」
消え入りそうな声で目に手をあてる。
「橋本さん。すみません、つい」
「お恥ずかしい話ですが、主人は一華と男女の関係になったんです。浮気です。私はこの前それを一華本人から聞かされました。私が家を出たのはそういう理由もあるんです。というよりそれが本当の理由なんです。すみません……」
バッグからハンカチを取り出し目にあてる。
「ですから、警察を呼んだりとかしてこれ以上ご近所で騒がれたくないんです。目立ちたくないんです。好機の目で見られたり、なにより家庭がこれ以上壊れてしまうのは嫌なんです」
「すみません。自分の方こそ配慮に欠けていました。ですが、警察に届けない以上は事態を打開するのは難しいのでは?例えば、庭の荒らされたときの犯人の痕跡とかは時間が経てば経つほど発見しにくくなるものです」
「わかっています……それでも今は……」
「わかりました。橋本さんがそう仰るなら、私としてはこれ以上言うことはできません」
そう言った滝川さんの目と口調からは、私に対する労りと同情を感じた。
「もしこの後もなにかあるようでしたら言ってください。私のできる範囲で力になります」
「ありがとうございます。すみません、こんなことで呼び出してしまって」
「いえ。私の方こそ大してお役に立てなかったようで」
私は自分と滝川さんのカップに目をやった。
私の紅茶も、滝川さんが頼んだコーヒーも空になっている。
「滝川さん、この後ご予定は?」
「いえ、予定はないです。さっきも言ったように休みは寝ているだけなので」
それを聞いて顔がほころんだ。
「でしたら、もう少しお話し相手をしてくれませんか?ずっとホテルで一人なものですから、誰かとこうしてお話しする事がないので。それに滝川さんなら今の私の事情をご存知ですからなんでも話せますし」
「そうですか……私なんかで気が紛れるなら構いませんよ」
「ありがとうございます」
「もっとも、橋本さんが楽しめるような会話ができるかと聞かれれば自信はありませんが」
はにかんで笑う滝川さんを見て、私も口許も自然と緩んだ。
「飲み物なくなっちゃったし頼みましょう。それから滝川さんは甘いものお好きですか?私、さっきからあれが気になってて」
三つ向こうのテーブルに座る、たぶん私より年下の女性二人組が食べているケーキを指した。
「実は甘いものには目がありません」
「そうですか!じゃあケーキも頼んじゃいましょう!」
テーブルにはコーヒーと紅茶。それにケーキが運ばれてきた。
私はショートケーキ。白い生クリームの上に赤い苺が三つ。その脇にブルーベリーが置かれて、見た目も鮮やかできれいなケーキを写真に収めた。
「いろいろと聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「滝川さんは、どうして今日もスーツを?私、さっきお店の前でお見かけしたときお仕事中かと思ったんですよ」
「ああ、それなら私の不精です。なんといいますか、これといって気の利いた服は持っていないので、休みの日にこうして女生と会うこともありませんので」
「そうなんですか。お忙しいですもんね。よくドラマとかでも刑事に休みはないなんて言いますからね」
「まあ、そういうことです」
「でも、お休みのときはやっぱりちゃんとプライベート用の服を着るべきですよ」
「家で寝てるだけでもですか?」
「はい。そうすると気分が切り替わるじゃないですか。自然と寝てるだけじゃもったいないって思えてきますよ」
「努力します」
私はこうして滝川さんと会話しながら、次に何をやるべきか考えていた。
これからやろうと考えていることを逆算すると、私が家を出て「このホテルにいる」ということを一華には把握しておいてもらわないといけない。
滝川さんとの他愛もない会話は予想以上に弾んだが、そろそろお別れの時間が来た。
ロビーに出ると、来てくれたことにまずはお礼した。
「滝川さん。連続殺人事件のお仕事頑張ってくださいね。どうせなら滝川さんに事件を解決して手柄を立ててほしいです」
「ありがとうございます。橋本さんもなにかあったらすぐに話してください。それから――」
滝川さんは一瞬考えてから、「ご家庭のことが落ち着くと良いですね」と、言った。
私は礼を言った後に「滝川さんってよく笑われるんですね」と、言ってから「一緒にいて楽しかったです」と、伝えた。
部屋に戻るとすぐに外出した。
目的地は由利の家だ。
電車が帰宅時間にぶつかって混んでいるのには辟易するが、どうしても夜の状態を見ておく必要があった。
昼間の状態は明日見にいけばいい。
電車に中から一華にLINEでメッセージを送った。
内容は近所にバラまかれた村重との写真と庭のことに関係しているのかどうかというものだった。
そして今は家を出てホテルにいるということも書いておいた。
場所を伝えるのは不自然だが、一華は私のSNSもチェックしているだろうから、そちらにさっき頼んだケーキの写真をホテル名と一緒に載せておいた。
電車を降りてからGoogleを頼りに由利の家まで辿り着いた。
防犯カメラの類はない。
周りを歩いてみると、さして人通りも多くない。
マンションの中に入り、同窓会の通知にある部屋番号とポストを照らし合わせてからで由利の部屋へ行った。部屋は二階の角にあり、外から見る分には明かりが消えていて、時間的に帰宅前ということが分かった。
ここまでの道のりで防犯カメラは見当たらなかった。
「今晩にしてしまおうかな」と、思いながら駅に戻ると、ちょうど目の前にカフェがある。ここなら駅から出てくる人をみることができる。ここで由利を待つことにした。
店に入って一時間後に駅から出てくる由利を見た私は、店を出ると後を追った。
由利は途中でコンビニに入っていったので、そのまま追い抜いてマンションに着くと由利の部屋の前で待った。
やがてエレベーターが動き出し、二階に止まると由利が降りてきた。
「こんばんは!」
満面の笑みを向けて由利に声をかけた。