テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
6,202
にこにこ
970
27
引っ越しの日が近づいていた。
愁斗の部屋には、少しずつ段ボールが増えていた。
服。
本。
大切にしていた小さな物。
どれも量は多くなかった。
でも。
一つ一つに思い出が詰まっていた。
「……。」
荷物を眺めながら、愁斗は動けずにいた。
この部屋で何年過ごしただろう。
泣いた日も。
笑った日も。
全部ここにある。
⸻
そこへノックの音。
『入るぞ。』
「兄ちゃん。」
ひでが部屋へ入ってくる。
段ボールを見る。
『進んでる?』
「うん。」
『……寂しい?』
愁斗は少し迷ってから頷いた。
「うん。」
素直な返事。
ひでは優しく笑った。
『そっか。』
「兄ちゃんと暮らせるのは嬉しい。」
「でも。」
「ここを離れるのも寂しい。」
『当たり前だろ。』
「え?」
『大切だった場所なんだから。』
『寂しくない方がおかしい。』
愁斗は少し驚いた。
「行くって決めたから。」
「寂しがっちゃ駄目だと思ってた。」
ひでは首を振る。
『違う。』
『大切だったから寂しいんだよ。』
『それだけ、ここで幸せだったってことだろ。』
その言葉に。
愁斗は静かに頷いた。
⸻
引っ越し前日。
施設のみんなが小さな集まりを開いてくれた。
「しゅう兄、これ!」
渡されたのは、たくさんの絵。
子どもたちが描いたものだった。
「しゅう兄と遊んでるところ!」
「また遊びに来てね!」
愁斗は一枚ずつ見る。
胸がいっぱいになる。
「……ありがとう。」
小さな子が聞く。
「しゅう兄。」
「お兄ちゃんのところ行っても、俺たちの
こと忘れない?」
その言葉に
愁斗はしゃがんで目線を合わせた。
「忘れない。 絶対。」
「だって。 みんながいたから。」
「俺、笑えるようになったから。」
子どもたちは嬉しそうに笑った。
⸻
その夜。
最後に施設の部屋を片付ける。
壁。
机。
ベッド。
何度も見た景色。
愁斗は小さく呟いた。
「……ありがとう。」
誰に向けた言葉か分からない。
でも。
自然に出てきた。
⸻
翌朝。
荷物を持って玄関へ向かう。
先生たち。
子どもたち。
みんなが見送ってくれる。
「元気でね。」
「また来てね。」
愁斗は何度も頭を下げた。
「ありがとうございました。」
「行ってきます。」
その言葉に。
先生が笑った。
「いってらっしゃい。」
それは。
昔の愁斗には聞けなかった言葉だった。
⸻
車の中。
しばらく無言だった。
ひでが横を見る。
『大丈夫?』
いつもの質問。
でも。
今の愁斗は違った。
「……寂しい。」
ひでは少し驚く。
「でも。 嬉しい。」
『そっか。』
「変だよね。」
『変じゃない。』
『両方あっていい。』
愁斗は窓の外を見る。
施設が少しずつ遠ざかる。
でも 不思議と怖くなかった。
もう 帰る場所は一つじゃないから。
⸻
新しい家。
玄関を開ける
『ここから、愁斗の家。』
その言葉。
胸に響いた。
「……家。」
小さく繰り返す。
まだ慣れない言葉。
でも。
少しだけ温かかった。
『部屋、見てみる?』
「うん。」
扉を開ける。
そこには。
新しいベッド。
新しい机。
そして。
小さなメッセージカード。
『ようこそ。』
ひでが照れくさそうに言う。
『俺なりに準備した。』
愁斗はカードを見る。
「……。」
声が出ない。
しばらくして。
「ありがとう。」
今度のありがとうは。
謝るためじゃない。
申し訳なさを込めたものでもない。
ただ。
嬉しいから出た言葉だった。
⸻
夜。
新しい部屋。
まだ少し落ち着かない。
でも。
隣の部屋から生活音が聞こえる。
誰かがいる。
自分を待っている人がいる。
愁斗は布団の中で目を閉じた。
「……兄ちゃん。」
小さく呟く。
「おやすみ。」
返事は聞こえなかった。
でも。
きっと届いている気がした。
今日から。
二人の新しい時間が始まる。
コメント
1件
読了しました。第30話、愁斗くんの「別れと始まり」がとても丁寧に描かれていて、じんわりきました。 「大切だったから寂しいんだよ」というひでさんの言葉、すごく沁みますね。愁斗くんが「寂しがっちゃ駄目だと思ってた」って言うシーン、胸がぎゅっとなりました。それに対して「両方あっていい」と返す兄の距離感が絶妙で。 最後の「ありがとう」が、謝罪から純粋な喜びに変わったのも、愁斗くんの成長を感じられて本当に良かった。新居の「ようこそ」カード、泣けます。新しい家での生活音が聞こえる安心感、とても温かい終わり方でした。