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こじつけではあるのだろうが、ケイロー渓谷と甌穴群はある意味で同類だ。
シイダン川の川底に散見される、スプーンでくりぬいたような穴達。生物が作ったわけではなく、切れ込みのような箇所に小石が入り込み、それが抜け出さないまま水流によって動き続けた結果、広がり、丸まり、球状の形を作り出す。
つまりは、自然が作り出した芸術品だ。
そして、ケイロー渓谷という地形に関しても長い年月によって形成された。
その過程は甌穴群に近い。
山中を流れる川が、じわりじわりと周囲を削る。
その過程で川底も浸食され、山がえぐられていく。
この繰り返しが谷という景観を作り出し、川が流れていることからこれを渓谷と呼ぶ。
この地は草木が少なく、人間が住むには過酷な土地だ。傾斜が厳しく、移動すらも重労働だろう。
東西に延びる河川は幅広ながら、その深さはそれほどでもない。水浴びには適さない水流ながらも、利便性を考慮しないのなら、生きていくことも可能なはずだ。
しかしそれは、魔物がいなければの話だ。
「つ、うぅ、チコは逃げられたかな?」
赤みを帯びた、黄色い髪。山吹色という単語が最も近いのだろう。
ミディアムボブの髪を揺らしながら、よろめくように盾を構え直す。
灰色のプレートアーマーはあちこちが血まみれだ。返り血と彼女自身の出血が、鋼鉄の鎧を汚してしまっている。
「そう願う。んでもって、こっちもピンチ、とっくに瀕死」
抑揚のない声だが、疲労や負傷が原因ではなく、これが彼女の普段通りだ。
黒髪のおかっぱ頭からは汗が滴っており、青黒いワンピースはぼろぎれのように痛んでいる。
右手の杖は魔法の効果を高めるものだ。これと彼女の回復魔法がなければ、二人はとっくに息絶えていた。
背中をあわせ、周囲を見渡す。
もはや逃げ場などないほどに、周りはゴブリンだらけだ。数にして十を超えており、その全てが黒い鎧を身に着けている。
「チコがクロスボウ持ちを減らしてくれたから、ゴホッ、少しは持ちこたえられたけど……。さすがに限界……」
吐血とは無関係に、片手剣を握る手が震えてしまう。
彼女の右足には矢が刺さっており、それが原因で走ることは叶わない。
この傭兵の名前はプリム。女性三人でチームを組んでおり、彼女はリーダーを務める。膝丈の黒いスカートに切れ込みがある理由は、ゴブリンの斬撃を避け切れなかったためだ。
「ぼくの魔源も、そろそろやばい」
魔法の残数を訴える彼女はヨグルン。後方からの支援を本業とするため、防具はロングワンピースのようなローブだ。これの着用が魔力の向上に繋がることから、正しい選択と言える。
見た目に反して、ヨグルンの方が重症だ。既に五回以上もクロスボウで射られており、その度に抜いて回復魔法を唱えているのだが、体外へ流れ出た血液までは戻らない。
つまりは、二人揃って限界寸前だ。
対照的に、ゴブリン達は焦ることなく、様子を窺う。その理由は、プリムが想定を上回るほどには腕の立つ傭兵だからだ。
そうであることを裏付けるように、この付近には小柄な死体が七つ転がっている。それらは全てゴブリンの亡骸であり、迂闊に襲い掛かった結果、フルプレートアーマーごと斬り伏せられた。
そういった背景があろうと、戦局が傾いていることは変わらない。
「さっきみたいにウォーシャウトで時間稼ぐから、今度はヨグルンが……」
「無理。チコみたいにアサシンステップが使えたとしても、今のぼくには体力が残っていない。いかんともし難い」
盾を構えるプリムだが、嘘は言っていない。ウォーシャウトを発動させることで、魔物達の行動を一時的に縛れる。具体的には、十秒間限定ながらも攻撃対象を彼女に固定させることが可能だ。
にも関わらず、ヨグルンは首を縦に振れない。
ここにはいない仲間が逃げ切れた理由。それはそのための戦技を所持していたからだ。ヨグルンにはそれがなく、仮に使えたとしてもコンディションの悪さが逃亡を阻止するだろう。
つまりは、どうすることも出来ない。
三人目の仲間、チコを逃がせた時点で最悪の事態は免れた。
後は当初の予定通り、耐え忍ぶしかない。彼女は助けを呼ぶためにこの場を去ったのだから、残された者は生き延びることだけを考えるべきだ。
もっとも、それが難しい。
数で劣っている。
既に満身創痍。
命を繋ぐ回復魔法もそろそろ尽きてしまう。
そういった要因から、状況としては八方塞がりだ。それをわかっているからこそ、リーダーはダメ元で提案した。
そして、この問答を最後に作戦会議は終わりを告げる。
獲物を前に待っていられるほど、ゴブリン達は辛抱強くない。弱った人間が二人もいるのだから、クロスボウの所有者が引き金に指をかけることはある意味で必然だ。
乾いた音と共に、発射された一本の矢。行き先は当然ながら人間の片割れだ。青黒いローブ目掛け、殺意と共に直進する。
「なんの」
生地を突き破り、腹部を穿つだった矢尻が、鈍器のような杖によって叩き落される。
ヨグルンは魔法の使い手ながらも、反射神経は凡人の比ではない。死角から狙われない限りは、クロスボウへの対処も可能だ。
もっとも、この攻防が合図となり、状況は悪化してしまう。ゴブリンの半数近くが我先にと駆け出したからだ。
それらは斧や短剣を握っており、残念ながらそれらは玩具のようでそうではない。プリムの鎧や盾を砕くには至らずとも、人間の肉を切り裂くだけなら容易に出来てしまう。
「ウォーシャウト! ヨグルン!」
「承知」
プリムの雄たけびは覚悟の表れだ。殺されるにしても最後まで足掻く。つまりはそういう精神状態と言えよう。
彼女から発せられた圧迫感が、突風のように周囲の魔物達を飲み込む。ウォーシャウトが発現したことで、ゴブリン達はプリムにしか危害を加えられない。
それならそれで構わないのだろう。小鬼達は嬉々として彼女を襲う。
その結果、盾で防ぎきれなかった斬撃がプリムの体を切り刻む。
片手剣を握る右腕。
スカートと太もも。
胸部アーマーゆえに守れていない背中。
幾度となくプリムの顔が苦痛に歪むも、当然ながらやられっぱなしではない。
斬られながらも斬り返す胆力は歴戦の戦士だからこそか。
ヨグルンも回復魔法の合間に杖を振り回すも、残念ながら焼け石に水だ。
この地はゴブリンに支配されている。一体、二体が人間に敗れたところで、それ以上の数が補充されてしまう。
「私達、がんばった方じゃない?」
「同意。魔源が尽きた。万策尽きた」
愚痴るわけではないのだが、プリムが血まみれのまま項垂れる。傷の大半は魔法によって癒えるも、流れ出た血液はそのままだ。山吹色の髪すらも赤く染めながら、敗戦ムードを受け入れる。
抗ったことでゴブリン達を一歩退かせることに成功するも、勝敗は明らかだ。
息も絶え絶えな傭兵二人。
ついには二十を上回った、小さな魔物達。
今のプリムとヨグルンに、これ以上の抵抗は困難だ。次の一斉攻撃にて、その命を散らすだろう。
そして、その時は訪れる。
集団の輪から歩み出る、一体のゴブリン。それは真っ黒な鎧をカチャカチャと鳴らしながら、ヨグルン目掛けて距離を詰める。
まとう殺気は本物だ。背中を向けていたプリムすら、近寄るプレッシャーに息を飲まされる。
こうなってしまっては、彼女も立ち位置を変えるしかない。背中合わせを止め、庇うようにヨグルンの前へ躍り出る。
それを合図に二対一の構図が出来上がるも、決着は一瞬だった。
ゴブリンが殴るように片手剣を振り抜くと、灰色の盾がそれを受け止める。
しかし、プリムは驚きを隠せない。その衝撃をいなしきれないばかりか、背後のヨグルンに受け止められてもなお、押し出されるように転倒してしまう。
こうなってしまっては、どうすることも出来ない。
人間が二人、折り重なるように倒れているのだから、ゴブリン達は競うように駆け出す。
目的は、手持ちの武器でその命を刈り取るためだ。
ゴブリンは知能を持った魔物ながらも、人間の顔を見分けることが出来ない。男か女の判別すら出来ず、頭髪や服装の違いでぼんやりと個体差を識別している。
実は、ただ殺すだけでは終わらせない。
自分達で使うために、武器や防具を死体から奪う。つまりは戦利品であり、ゴブリン特有の習性だ。
軍人を殺せば、軍人から。
傭兵を殺せば、傭兵から。
今回なら、プリムからは剣と盾、そして鎧の板金を。
ヨグルンからは杖を持ち帰る算段だ。
もはや、どの個体も自分達の勝利を疑わない。
疑えるはずがない。
人間が二人、仰向けの姿勢で重なるように倒れている。
その姿は敗者のそれであり、今まさに多数の刃が振り下ろされる。
次の瞬間にも、悲鳴と共に死体が二つ出来上がるはずだ。
そうならない方が異常なのだが、今回ばかりは例外だ。
なぜなら、その少年がまとう光は、世界の理から外れている。
「間に合った」
その声が戦場を駆け抜けると同時だった。
プリムとヨグルンを包囲するゴブリン達が、次々と四方へ吹き飛ぶ。
その総数は二十二体。
ある個体は川へ沈み、ある個体は山の斜面に叩きつけられる。
そして、絶命だ。たった一体の例外もなく、ゴブリン達は息絶える。
何が起きた? 救われた二人ですら、理解が追い付かない。
「急いで撤収しましょう」
手を差し伸べる少年の名前は、エウィン・ナービス。緑色の短髪を揺らし、着ている長袖も若葉のような色合いだ。
白い光を闘気のようにまとっているため、プリムは反射的に目を細めてしまう。
しかし、目をくらませるほどの光量ではないため、驚きながらも問わずにはいられない。
「君が、何を……」
「女の人に頼まれて、助けにきました」
つい先ほど、女性を救ったことで、エウィンはプリム達の窮地を知ることとなる。
間に合わせるためには、奥の手でもあるリードアクターの発動は必須だった。
普段以上の速度でケイロー渓谷を走り、勢いそのままに脅威を取り除く。
つまりは、手前から奥へ、がむしゃらに殴り、蹴って、それをゴブリンの数だけ繰り返した。
それ以外にはありえないのだ、プリム達の動体視力では視認すら出来ない。
ゆえに、再度問いかける。
「ど、どうやって?」
しかし、その質問に答えることは出来ない。
エウィンは新たな殺気を感じ取ると、眉をひそめながら川上の方角へ視線を向ける。
「やばいのが来ました」
川は西から東へ流れている。
エウィンはその南に立っており、右手を伸ばせば水遊びが可能だ。
二人を追い越すように遠方を眺めると、新たな集団がぞろぞろと姿を現す。その内の一体は鎧が白く、それから発せられる重圧は他の比ではない。
迎え撃つべきか?
慎重に行動すべきか?
選択肢としてはこの二つなのだが、エウィンは迷うことなく即決する。
「逃げます」
「え?」
「んあ」
驚くプリムを右腕で、下敷きになっていたヨグルンを左腕で抱えると、返答すら待たずに少年は踵を返す。
まとっていた光は既に霧散したことから、強敵との戦闘は避けるべきだと判断した。庇う人間がこの場にいなければ、腕試しも兼ねて戦っても良いのだろうが、自身の目的が救出である以上、優先順位をはき違えたりはしない。
逃げる刹那、エウィンは遠方の白いゴブリンを改めて眺める。
(あいつのプレッシャー、いつぞやの魔女を彷彿とさせる。リードアクターがなくてもなんとかなるかもしれないけど、ならない可能性だってある。だったら……、無理はしない)
ジレット監視哨を滅ぼした魔女達。とりわけ、彼女らのリーダーは手強く、あっさりと逃げられてしまった。
白鎧のゴブリンとその魔女を連想してしまうほどには、危機感を覚える。
ゆえに、脱兎の如く撤収だ。
(怪我の治療も必要だろうし……)
両脇に二人の女性を抱えながら、来た道を戻る。
左右には壁のような山がそびえ立っており、一本の川が渓谷という地形を作り出したのなら、自然の力はやはり侮れない。
そう実感しながら、エウィンはアゲハとの合流を目指す。
ここはケイロー渓谷。救出作戦はこれにて完了だ。
◆
「改めてお礼を言わせて。私の名前はプリム、ユニティのリーダーやってます」
赤みがかった黄色髪を揺らしながら、活気あふれる傭兵が頭を下げる。
灰色の胸部アーマーはスチールアーマーであり、片手剣や盾も同様に鋼鉄製だ。
つまりは最前線で活躍する実力者であり、他の二人に関しても武具の品質は申し分ない。
「ヨグルン。よろしく。嬉しくてしくしく」
こじんまりとした杖を背後で握りながら、黒髪の女性が名前を告げる。青黒いワンピースは魔法の効果を高める防具であり、彼女の回復魔法がなければ三人は間違いなく全滅していた。
「改めて、俺がチコ。三人でフレンズってユニティを結成してて、名前くらいは聞いたことない?」
最初に助けた女性であり、革製の鎧と短剣二本を備える姿はまさしく自然体だ。
黄色い髪はエウィンよりもさらに短く、左頬の傷は古傷ゆえ、今更取り除くことは出来ない。
胸元が大きく露出している理由は、この革鎧がそのようなデザインを採用しているためだ。
ピッチリとしたホットパンツを着用しているため、太ももから足首までが外気に晒されている。
自己紹介に留まらず、ユニティについて問われたことから、エウィンとしても反応せざるを得ない。
「もちろん、あります。あ、でも、皆さんがそうだとは知りませんでしたけど……」
ユニティは、傭兵が公式な手続きの元で結成するチームだ。申し込む際には費用が発生するものの、それに見合うだけのメリットが存在している。
フレンズはこの三人のユニティ名であり、盾役のプリムをリーダーに、ヨグルンとチコが所属している。
(ユニティか。僕には無縁だし、今後も関係なさそう)
エウィンがそう思う理由はシンプルだ。
ユニティを設立したい際は、ギルド会館の窓口にて申し込むだけでよい。その際に十万イールを支払う必要があるのだが、エウィンはこれを渋っている。
その金額に見合うだけの見返りがあるのだが、それを見出せない以上、ユニティ名を考える機会は訪れないのだろう。
一人静かに黄昏る少年だが、そういう意味ではアゲハも大人しい。見知らぬ大人が三人もいるのだから、普段以上に萎縮して当然か。
ここはシイダン耕地の最西部。西を眺めるとケイロー渓谷が視認出来るのだが、五人はそこから脱出したばかりだ。
周囲を見渡せる場所まで避難し、アゲハがプリムとヨグルンと治療し終えたのがつい先ほど。
そして、自己紹介が始まったのだが、チコはスタスタと歩くと、エウィンの首に腕を回す。
「それにしても、おまえさんすげーな」
「そ、そんなことは……」
衣服越しであろうと肌が触れ合うため、少年は頬を赤らめてしまう。
吐息さえ届きそうな距離感で、チコは白い歯を見せながら笑い始める。
「謙遜すんなって。俺だけじゃなくて二人まで助けてくれたんだ、感謝してもしきれないって。なぁ?」
その問いかけに、二人も同意する。
「エウィン君が来てくれなかったら、私とヨグルンは間違いなく殺されていたもの。本当にありがとう」
「九死に一生を得た。おっぱい殿の手当にも感謝」
はにかむプリムと、無表情のヨグルン。どちらも感謝の気持ちを述べるも、エウィンとしては照れるしかない。
「僕としても間に合って良かったです。あの数に包囲されたら、確かにどうしようもありませんし」
嘘偽りない本音だ。
もっとも、その軍勢を一人で蹴散らしたのだから、嫌みのように捉えられたとしても仕方ない。
しかし、彼女達は感謝の意を述べ続ける。
「あの状況で俺だけでなくこいつらまで救えるなんてな、本当にすげーよ。もしかすると、ラスト・ミラージュに匹敵する実力かも?」
エウィンを解放しつつも、チコは少年の背中をバシバシと叩く。
二十体ものゴブリンを瞬く間に殲滅したその強さ。お世辞抜きに褒め称えたくなってしまう。
「ラスト・ミラージュって有名な人達ですよね?」
傭兵は狭い業界だ。実績を積み重ねたユニティがあれば、自然とその名は知れ渡る。
そういう意味では、フレンズの三人は中堅といったところか。傭兵歴は長いのだが、他者に誇れるような偉業は残せていない。
エウィンの問いかけに対して、プリムが左足に自重を傾けながら返答する。
「特異個体狩りを専門にしてるユニティよ。ミスリルの武器や鎧を装備してるから、あなたも日常的に見かけてると思うけど」
「あぁ、あの人達……。二枚目な男の人二人と、美人というか可愛い感じの女の人……」
「そうそう、その三人。噂だと、英雄にすら匹敵すると言われているけど、庶民の私達には確かめる術なんてないのよね」
強者ではあるのだろう。
この説明に納得しかけるも、エウィンとしては反応に困ってしまう。
「何か月もがんばって、やっとアイアンダガーを買えた僕からしたら、やっぱり雲の上の存在です」
アイアンダガーの金額は八万イール。
対して、ミスリルの短剣は五百万イール。一般世帯の年収を上回る金額ゆえ、富裕層でもない限り、この武器を手にすることは叶わない。
実は、エウィンが貧富の差に直面する度、アゲハは一人静かに胸を痛める。
(わたしのせいで、わたしが、何もしてあげられないから、エウィンさんが……。お金、この世界でも、お金がないと、何も出来ない……。考えないと……。地球から来た私なら、きっと何か……)
この日本人は神に導かれ、ウルフィエナに降り立った。
以降、エウィンに保護され今に至るのだが、自身が足を引っ張っていると自覚している。
なぜなら、食費だけでなく、宿代や服の購入すらもこの少年の財布からだ。二人で稼いだ金なのだが、エウィン秀でた実力を持っているからこその収入であり、現状は経済的な負担を強いてしまっている。
少なくとも、そう思い込んでしまっている。
そんなことは露知らず、話し合いは続行だ。
日本人形のような女性が、久方ぶりに口を開く。
「最低でもスチールは欲しい。まぁ、君は、素手でゴブリンを瞬殺してたっぽいけど」
ヨグルンが指摘するように、エウィンは武器を使わず魔物を殺せる傭兵だ。ゴブリンの鎧すらも拳で陥没させられるのだから、上等な武具を買えずとも困らない。
「あんなにいたゴブリンが一瞬だったからね。チコにも見せてあげたかった」
「俺は違う形で助けられたから」
そう言いながら、チコが恥ずかしそうに笑う。黄色い髪ごしに頭をかく仕草は、照れ隠しなのかもしれない。
会話が一瞬ながらも途切れたこのタイミングで、エウィンは思い出したように問いかける。
「皆さんはなんでケイロー渓谷なんかに? かなり危ない場所だと思うんですけど……」
普段なら問題ない。
しかし、今だけは話が別だ。王国軍が封鎖を宣言するほどには、ゴブリンが増えてしまっている。
その結果、フレンズの三人は命を落としかけたのだから、軽率な行動だったことは間違いない。
この問いかけに対し、リーダーがばつが悪そうに視線を落とす。
「んー、情けない話なんだけど、美味しい依頼に喰いついちゃってね」
「依頼ですか? それってどんな……」
「大穴って知ってる? ケイロー渓谷の大穴」
「いえ、初耳です」
傭兵らしい動機と言えばそれまでだ。
つまりは、この地が危険であると承知しながらも、金に目がくらんで訪れてしまった。
もっとも、エウィンはそれについて咎めるつもりなどない。飢えて死ぬくらいなら、ダメ元で挑戦した方が真っ当だと考えており、つまりはこの三人に共感出来てしまう。
「ケイロー渓谷の真ん中辺り、いえ、ちょい東よりの場所に、底が見えないくらいの穴があるみたいで」
「俺達はそこを目指してたってわけ。セスポルっていう珍しい毒キノコが大穴付近で確認されたとかなんとかで、その採取が今回の依頼だったんだけど、まぁ、結果はこのざまさ。期限は今日までだから、失敗だーこん畜生」
そしてチコが項垂れる。
依頼を失敗すれば、当然ながら無報酬だ。そのために費やした時間と労力が無駄に終わるのだから、悔しいに決まっている。
「報酬が美味しいっておいくらなんですか?」
「十八万イールだよ。ね、すごいでしょ?」
「う、それは確かに……」
プリムの返答が、エウィンの顔を引きつらせる。
その金額は、一か月の収入に匹敵するほどだ。
つまりはそこそこの大金ゆえ、目がくらまない方がおかしい。
しかし、その額は難易度の高さを指し示している。それをわかっているからこそ、チコは補足せずにはいられない。
「掲示板に張り出された時は、ギルド会館がざわついたからな。内容も言っちまえば採取して持ち帰るだけだし、取り合いになりそうなもんだけど……」
「ならなかったわね。結局は、私達だけが依頼のやばさをわかっていなかった、ってことなのかな?」
「今回ばかりは反省。そんでもって猛省」
三人としては、己の未熟さを呆れるしかない。
実力に見合わぬ仕事に挑んでしまった。つまりはそういうことであり、傭兵にとっては手痛い失敗だ。
肩を落とすプリム。
情けなく笑うチコ。
そして、無表情を貫くヨグルンを眺めながら、エウィンは得られた情報をかみ砕く。
(大穴……。地理の教科書や新・地理学六版に書かれてたかな? だとしたら、最近出来た穴なのかも? 毒キノコうんぬんもどうせ食べられないってことだろうし、考えたところでって感じかな。まぁ、この人達が無茶をした理由もわかったし、無事助けられたんだから、今はそれでよしとしよう)
そう自分に言い聞かせつつ、同時に満足感を得る。
なぜなら、ケイロー渓谷の調査もひとまずは完了だ。
わずかに進んだだけで多数のゴブリンと遭遇してしまうこの状況は、異常事態以外の何ものでもない。
さらには、他とは明らかに異質な個体とも出会えてしまった。
そういった情報を持ち帰ることが、エウィンとアゲハに任された仕事だ。
先行調査。簡易的ながらも成功と言えるのだろう。
(あいつは、白いゴブリンは、ヤバイかもしれない)
エウィンとしても不安で仕方ない。
あれから漏れ出る闘気はそれほどに異常だった。純白の鎧が引きつれる取り巻きも、一筋縄ではいかない個体達なのだろう。
それらを掃討するために、イダンリネア王国は二つの部隊を派遣した。
第一遠征部隊と第二遠征部隊。
明日、総勢四百もの軍人達が、ケイロー渓谷へ殴り込む。
(僕とアゲハさんも、加勢することになりそうだな)
初めからそのつもりだ。
そこまで急ぐ必要はないのだろうが、ミファレト荒野がその先にある以上、どうしても気持ちが逸ってしまう。
ゴブリンとの戦争が始まろうとしている。
そうであろうと、先ずは身の安全を確保しつつ、軍人達の到着を待たなければならない。
エウィンは曇り空を眺めながら、彼女達の話し声に耳を傾ける。
現在地はシイダン耕地。
目の前にはケイロー渓谷。
そして、ここはコンティティ大陸の最東部。
世界は広く、この大陸に関しても同様だ。
その先で何が待つのか、足を運ばない限り、知る由もない。