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私の中には「本当の自分」「司令塔」「外面」の3つの役割が分担されている。
「本当の自分」は感情をほぼ全て持っている。
「本当の自分」が元気なら、嬉しいとか楽しいとかが分かる。
反面、落ち込みやすくて死にたがりで暴走することもある。
死にたいのを人に伝えてみて、受け入れてもらえなくて、私は「本当の自分」を消した。
「本当の自分」がいなくなってからは心が楽になった。
死にたいけれどそれは残りカスのようなもので、じわじわ「司令塔」を汚染した。
「司令塔」が死にたさを感じるようになって、とても冷静に死ぬことを考えるようになった。
汚染されているからどう足掻いても死にたくて、死ぬこと以外考えられなかった。
死こそが救いで全てを解決してくれる最後の手段だった。
ある日遺書を書いた。たったの5行。それで終われると悟ったとき、私の中の何かが崩壊した。
では死も救いでも希望でもないじゃないか、と思ってしまった。
私は死にたさを失って、救いと希望が消えた。
もう何もなくなったと友人に言ったら「本当の自分」を呼び戻すよう言われた。
でも「本当の自分」は墓の中に入ってしまっていて「南無阿弥陀仏」としか言葉が出なかった。
失踪したと思っていたらいつの間にか墓に入ってしまった「本当の自分」。
こんなつもりでは、と焦る友人と何も感じない私。
私は「本当の自分」に「死ね」と言い続けたのだから死んだのだろうと何も感じなかった。
それからは救いも希望もないまま生きている。
どうも思わない。「本当の自分」は死んだのだから。
だけれども最近ちょっとだけ楽に生きる方法を見つけて、ちょっとだけ前向きになれたと思う。
希望も救いもないけれど、前に進むことはできる。
できてしまうのだ。心が伴わなくとも。
ならば心がないほうが楽だし、いちいち考える必要もない。
さようなら、「本当の自分」もう二度と出てこないでね。
愛されない貴方は要らない子。
カウンセリングでどうなるか分からないけど、きっと貴方は要らないから。
引き続き墓で引きこもってれば?
貴方なんて大嫌い。
コメント
1件
第19話、読み終わりました。 「本当の自分」を墓に葬ってしまったという比喩が、ものすごく胸に刺さりました。自分を3つの役割に分けて俯瞰する視点の冷静さと、その奥で感じる苦しみの温度差が、一篇を通じてひりひりと伝わってきます。 「救いも希望もないけれど前に進むことはできる」という一文に、静かな強さを感じました。心が伴わなくても歩ける、というリアルさが、とても誠実な作品だと思います。続きがとても気になります。