深夜の公園で出会った、秋風月夜という一人の女性はどこまでも美しく儚い雰囲気を纏っていた。
僕を待っていた。その言葉の真意はわからない。だが僕には、この出会いが運命的な何かのように思えてならない。
「あのー。何故、蝉の鳴き真似をしていたんですか?」
聞いて良い事なのか不安ではあったが、どうしても気になってしまった。しばしの沈黙の後、彼女はゆっくりと口を開いた。
「蝉って素敵じゃない?」
この瞬間、僕は彼女という存在を理解したいと感じた。この彼女のみが持つ世界の魅力に引き寄せられたのだ。
「蝉、ですか……どこが素敵なんですか?」
「短い寿命の中で子孫を残すために、鳴いて鳴いて鳴きわめく。それって、とっても素敵じゃない? 生きることに対する必死さがすごく綺麗」
「月夜さんもとても綺麗ですよ」
彼女が口を開けて驚いているのを見て、僕は自分が何を口にしたのかに気づき、激しい羞恥を感じた。
僕は一体何を言ってるんだ。そういう事を、スラッと言えるような奴じゃ無いだろ僕。というか、今ので月夜さんに嫌われるんじゃないか。ヤバい、早く弁明しないと。
「あの、違うんです! いや、違くは無いんですけど、別に純粋にそう思っただけと言いますか……、いや何言ってんだ僕」
この状況を変えようとして話したはずなのに、これでは事態はより、悪化する。焦りからか、身体が熱い。
僕が焦り、慌てふためいていると、突然彼女は笑った。
てっきり彼女は大人しく上品に笑うものだと思っていたが、その笑い方はただの少女のようだった。
「暗夜君って面白いね」
「そう、ですか……?」
思ってもみなかった、面白いという言葉にどう返したら良いのかわからなかった。
「うん、面白いよ。なんか可愛いし、それに服装とかさ」
可愛いと言われ、一瞬顔が赤くなりかけるも、服装という言葉が出てきて一気に青ざめた。
僕、今パジャマじゃん。
家を出た時は何ともなかったのに、今になって急に信じられないほど恥ずかしくなり、あの時の自分への後悔と恨みが込み上がってきた。そして、その感情は遂に頂点を迎えた。
「あれ……?」
頬を何かが流れたのを感じた。視界がぼんやりとしているて、目に手を当ててみると濡れている。
そうか、涙か。
「ちょっと、どうしたの? 大丈夫?」
月夜さんの優しい声が、更に感情を揺さぶり、涙は流れる。
パジャマで外に出て、それを人に見られた。
僕は一度考えるのを止めた。
*
「月夜さん、すみませんでした。もう大丈夫そうです」
「そう。それは良かった」
僕がそう言うと、彼女は自販機のボタンを押してからそう答えた。
これは完全に嫌われたというやつか。まあ、当然といえば当然だ。そもそも、ただ偶然公園で出会っただけの赤の他人だ。嫌われたって何も問題はないはず。
でも、ちょっと悲しいな。
「熱っっ」
突然、僕の左頬に何かが触れた。そして、その何かは熱かった。
「ほら、元気だしてよ」
月夜さんが両手に缶コーヒーを持って、そう言った。 これは、僕にくれるという事で良いんだろうか。
僕がそう思っていると、それを察したように彼女は「うん」と頷いた。
「コーヒーなんて飲んだら、寝れなくなっちゃいますよ」
冗談交じりに言ってみた。彼女の好意が恥ずかしくて出た、照れ隠しというやつだろうか。
「じゃあ、寝れるまで一緒に話そうよ」
「……ありがとうございます」
親指に少し力を入れて、缶を倒し開ける。いつも飲むのが基本炭酸飲料だからか、シューっと音がしない事に多少の違和感を覚えた。思えば、コーヒーを飲むのは初めてだ。
月夜さんの方をチラッと見る。白いワンピースにコーヒーというのが、何だか面白くて思わず吹いてしまった。
「暗夜君。人を見て笑うとか失礼だよ」
「すみません。でも、何か面白くて」
「そっか」
彼女は優しくニッコリと笑った。
缶の縁に唇を当て、ゆっくりと傾ける。
「苦っっ」
「あー、ごめん。コーヒー苦手だった?」
缶を顔の目の前まで持ち上げ、睨む。そこには、無糖の記載があった。
「これ、無糖じゃないですか!?」
「えっ!? 本当?」
「気づいて無かったんですか?」
「私、バカ舌だからさ」
彼女は似合わないニヤッとした笑みを浮かべ、そう言った。
もう一度、コーヒーを口にしてみる。やはり苦いが、意外とイケるかもしれない。
さっき、思わず声が出たのは、多少は甘くされていると思っていたからだ。無糖とわかっていれば、飲めないものではない。
月夜さんはコーヒーを飲む最中、何も話さない。だから、僕も話さない。
世界から音が消える。でも、孤独は感じない。このベンチの上で、僕と彼女の世界は確かに交わっていた。
「「ずっとこのまま、時が止まれば良いのに」」
ふと、零れた言葉。それを彼女も同時に口にした。互いに驚いた様子で目を合わせる。
僕らは二人で子どもみたいに笑った。
コメント
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「違うです」⇒「違うんです」 「違うはない」⇒「違うくはない」 のでは? 辛辣コメント失礼しますm(_ _)m 続き楽しみにしてます(っ ॑꒳ ॑c)