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海の紅月くらげさん
それからよく武蔵の家に遊びにいくようになった。
武蔵の母親も時々いる気の弱そうな父親も、どちらも優しく俺を迎えてくれた。
母さんに武蔵の家に遊びに行くというと、最初は顔を歪ませて複雑そうな顔をした。けど、かかってきた電話にでたあとはご機嫌な様子で武蔵の家に遊びに行ってこいと言ってきた。
きっと武蔵の両親が何か言ってくれたんだと思う。
「おい、武蔵……お前また手洗ってねぇだろ」
外で遊んでから家の中に入りおやつを食べる。それが当たり前になりつつある俺らの遊び方。
こいつはよく手を洗いに行くことを怠けようとする。俺が先に洗面所に行ったけど、そのあとコイツが行くとこを見てない。
「なんだと! 疑うのか!」
「疑うも何も洗ってねーだろ」
「む」
「そんな頬膨らまして睨んできても可愛くねーよ!馬鹿武蔵。さっさと洗ってこいよ」
背中を軽く押すと、武蔵はよろけそうになったがすぐにバランスを取り戻し、振り返る。
そして、眉を寄せながら目を細め、真面目な表情で手を伸ばしてくる。
「えい」
コイツは人を苛つかせる天才だな。俺は武蔵の手をひょいっと避けた。
「手を洗え。バイ菌」
「俺がバイ菌だと!」
「お前のその両手にはバイ菌がウジャウジャいるんだよ。手を洗わないってことはお前がバイ菌そのものと同じことになる」
自分の手を数秒間見つめると、何かを思いついたのか勢いよく顔を上げた。
「仕方ない! 洗ってきてやろう!」
バタバタと足音を立てながら武蔵は部屋から出て行った。あんなんじゃ、武蔵の親も大変だろうな。
でも、なんていうか……武蔵って馬鹿だし五月蝿いけど、親を怒らせたり我儘を言ったりしているとこ見たことない。
手を洗い終わり、武蔵の母親が作ってくれたクッキーを食べながら俺たちはテレビゲームをしていた。ピコ助とかいうのを育てるゆるいゲームで、なにがおもしろいのかよくわからない。
「……なぁ、武蔵」
「今日はカレー作りだぞ! よし、ピコ助! ゆっけぇええ!」
「おい」
「そうだ、その人参をカレーの具材として……こらぁ食べるなっ!」
「聞けよ」
本当人の話きかねぇよな。
呆れてため息を吐くと、武蔵がようやくこちらに視線を向けてきた。
「……お前ってなんでそんなテンションでいつもいるんだよ。疲れねぇの?」
「馬鹿でいると決めたからだ」
武蔵の返答にきょとんとしてしまった。
「……母さんも父さんもおじい様の家に行くたびに辛そうな顔をするんだ」
その理由は子どもの俺でもわかる。
武蔵の親は自分の兄妹たちに、酷いことをたくさん言われているんだ。
そして、その中には俺の親も含まれている。
優しい武蔵の親は、お金や権力に執着した兄妹たちに罵声を浴びせられ、いいようにされている。
『兄さんってほーんとお人好しで頭悪いわよねぇ』
そう笑いながら言っていたのは、紛れもなく俺の母さんだ。
見下すように目を細めて、武蔵の父親を見ていた。その光景を見た時、子どもの俺でも悟った。
九條の家では年齢なんて関係なく、強い人が上に立っているのだ。
弱い人、優しい人はいいように使われ、馬鹿にされる。
「だからせめて、家にいる時は笑っていてほしいから俺が馬鹿でいるんだ」
「……なんだよそれ」
「俺が笑わせてあげたいんだ。そのためなら馬鹿でいい」
そう言った武蔵は笑顔だった。
痛々しいくらい眩しく、誰かを想う幸せそうな笑顔。
「大事な人のためなら馬鹿だって笑われたって構わないんだ」
母親と同じで、武蔵も強さを心の奥に秘めている人だ。
コイツはきっと俺よりも強くたくましい。
「和葉、お前のことも笑顔にできるなら俺は喜んで馬鹿でいるぞ」
「な、に……言ってんだよ」
武蔵、お前……ほんっと馬鹿なんだな。
俺のために、俺なんかのためにそんな嬉しそうな顔して言うんじゃねーよ。
「じゃ、俺も……決めた」
「? 何をだ」
決めたよ。柄にもなく、お前とお前の親の幸せってやつを俺なりに傍で見守ってやる。
「さぁな」
「俺に隠し事をするのか!」
「声がでけぇ……」
お前が馬鹿をやる限り、傍で見守っていてやる。それが俺の恩返しだ。
この年の絵日記を描くのは時間がかかった。思い出しながら描いたからだ。
それは、 初めての本当のことを描いた絵日記で今もクローゼットの中に大事に仕舞ってある。
いつかお前を助けられるくらい強くなってみせるから。
その後、あの恐ろしい出来事が俺たちの心に深い傷を残した。
泉の父親による実里の監禁。それぞれの感じる罪の意識。泉の親からの圧力と、金や権力ほしさに従う親達。
そして、以前とは変わってしまった実里の抱える大きな闇。
武蔵は中学に入ってから時々傷だらけのときがあった。問い詰めても、いつも通り馬鹿なことを言いだしてかわされてしまう。
一つ違いっていう壁が歯がゆい。
アイツは中学生で制服を着ていて、俺は小学生でランドセルを背負っている。
同じ学年だったら、アイツが何やってんのかつきとめて止めさせるのに。
――――いや、変わったのは武蔵だけじゃなかった。実里も潤も歩も変わってしまった。
俺たちは歪な関係だ。あの日から背けることを許されない泉のオモチャ。
親たちは金で俺らを売って、将来すら拘束した。
自由なんて俺らにはない。この先も永遠に。
結局俺は、あの約束を守れなかった。
武蔵の幸せも、あの夏に奪われてしまった。
もう、戻れない。
ただ、みちよだけはずっと変わらないと信じていた。
でも、みちよは変化を求めた。
俺が中学三年生で、みちよが中学一年生の頃のこと。
「ねぇ、和葉くん」
みちよが久々に体調を崩し、入院をした。
体調を崩すたび、俺と武蔵は見舞いに行っていた。けど、一年前の夏から武蔵とあまり会っていなかったので、この日は一人でここに来た。
「喉乾いたか?」
「そうじゃなくて……ずっと伝えたかったことがあるの」
真剣なみちよの表情。
色白の頬がほんのりと紅く染まり、潤んだ大きな瞳が真っすぐに俺を見据えた。
その続きを俺は聞きたくない。たとえ、それがお前の気持ちを踏みにじっていたとしても。
「私」
この先だけは、最低だとわかっていても聞きたくない。
本当はずっと気づいていた。それでも知らないフリをし続けたんだ。守ってきたものが、壊れてしまいそうなのが怖い。
「和葉くんのことが好き」
カーテンの隙間から、緩やかな風が吹く。
夏の匂いがした。
もう絵日記なんて必要のない。居場所がないと嘆かなくてもいい夏。また変化が起ころうとしている夏。
「和葉くんの正直な気持ち教えて?」
「俺は」
大事にしたい。だけど、俺の正直な気持ちはみちよを傷つける。
それでも嘘はつけなかった。
「……お前を妹としてしかみれない」
みちよ、ごめんな。
俺はお前を好きにはならない。そういう対象で見ることはない。
この関係を壊したくない。
「聞けてよかった」
「ありがとな」
「へへ、やっぱり告白って緊張するね。このことは秘密ね」
「……ああ」
病院の帰り道、キャラメル一粒口の中に放り込む。
駄菓子屋で売っているキャラメルは、苦さがなくて甘ったるかった。
その後、武蔵と再び一緒にいるようになったのは皮肉にも泉が提案した王子選びが始まってからだった。
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