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夏の風が、夕暮れの街をゆっくりと通り抜ける。
蝉の声は変わらず騒がしいのに、どこか、世界が静かに感じられた。
その理由は——目の前の女の子が、ふわりとした声で言った言葉のせい。
「……ねえ、円ちゃん。あたし……今日から、円ちゃんの家で暮らしてもいい?」
「……え?」
道徳ココロは、まっすぐに円を見つめたまま、ほんの少しだけ、目を細めて微笑んだ。
「あたしね……円ちゃんが“持ち主”だから、行き先がないの。」
円は、胸の奥がきゅっとするのを感じた。
(……そうか。わたしのもとに現れたってことは、ココロちゃんの“居場所”は、わたしなんだ)
「もちろん、いいよ!大歓迎!!」
ぱっと顔を明るくして、円は笑った。
「え……本当に?」
「うん!だって……ケイもカンジくんも、ヒカルくんもレキくんも、みんな、わたしのおうちに住んでるもん!」
ココロは目を見開いた。
「うち、ちょっと狭いけど、にぎやかで楽しいんだから!」
「じゃあ、安心してお邪魔できそうだね!」
柔らかい笑顔を浮かべるココロの声が、やさしく胸に響いた。
「じゃあ……今日から、よろしくね、ココロちゃん!」
「うん。円ちゃん、ありがとう。」
ふたりは並んで歩き始めた。
夕暮れの影が少しずつ長くなっていく中で、
新しい教科、「心」が円の世界に加わろうとしていた。
家に着くと…。
「おかえりぃ~~~!!!!!」
——タッタッタッ! と、勢いよく階段を駆け下りてくる足音が響いた。
円とココロが振り向く前に、その声の主が飛び込んでくる。
「今日も可愛いな、マイエンジェル~~~ッ!!」
「わっ!?」
ふわっと甘い香りが鼻をかすめたかと思えば、次の瞬間には——
ハグされていた。
抱きついてきたのは、金色のヘッドフォンを首にかけた男子。
ちょっと長めの前髪が軽く揺れて、甘くてハスキーな声が、円の耳元にささやくように響く。
「今日もオレ様の癒し、ありがとうな、まどち。」
「リ、リツくん!? ちょ、ちょっと、ココロちゃんが見てるんだからぁー!!」
円が顔を真っ赤にしてリツに抗議しようとしていたそのとき——
「……リツくん?」
静かで、でも芯のある声がすっと割り込んだ。
ココロだった。
リツの背にそっと手を伸ばし、ぽん、ぽんと軽く肩を叩く。
「初めまして。私は“道徳”の教科書から来た、ココロ。今日からここにお世話になります。」
「……お、おう?」
リツがぴくっとして、肩越しに振り返る。
ココロは穏やかに微笑んだまま、言葉をつなげる。
「リツくん、あなたの場合、“愛情表現”としてハグをするみたいだけど……
ここでは円ちゃんもびっくりしてしまうと思うの。だから、少しだけ気をつけてあげて?」
その声は、やさしくて、でも曖昧じゃなかった。
責めるでもなく、拒むでもなく、ただ事実として“伝えてくれている”ような、そんな言葉だった。
リツはしばらく黙っていたが——
「……わかった!ごめんな〜、マイハニー♡」
ウインクとともにピースサインを投げる。
「じゃっ、オレ様は曲づくりに戻るぜっ♪ またあとでな〜、新入りちゃんも〜!」
そう言って、リツは鼻歌を歌いながら、自分の部屋へと軽快に戻っていった。
「……マイハニーって……」
円は真っ赤になったまま、ため息をついた。
その横で、ココロはまたやわらかく微笑む。
「愛されてるね、円ちゃん」
「う…うん。」
その後円の部屋の入った。
円の部屋は、決して広くはないけれど、どこか落ち着く場所だった。
教科ごとの本が並んだ本棚、ぬいぐるみがぽつんと座ったベッド。
そして、いくつかの生活の気配——男子たちの私物がそっと置かれているのが、ふたりの「非日常」を象徴していた。
「ここが、わたしの部屋。って言っても、今じゃ“みんなの居場所”みたいになってるけど……」
「うん、あったかい感じがする。……安心するね」
ココロが優しく微笑んだそのとき。
——コン、コン。
控えめなノックが部屋のドアに響いた。
「はいっ?」
円が返事をすると、扉がそっと開き、透き通るような黒髪の男子が顔をのぞかせる。
「おかえりなさい、円さん。……すみません、リツがあんなところで抱きついてしまって」
その声は、落ち着いていて低く、どこか安心感があった。
「カンジくん……!大丈夫だよ!カンジくんが謝ることじゃないし、謝るほどのことでもないの。ココロちゃんが助けてくれたし。」
「そうですか。それならいいのですが……」
カンジのまなざしが、静かにココロへと向けられる。
「ところで、そちらの方……説明してもらえますか?」
円が口を開こうとしたそのとき、廊下からにぎやかな声が近づいてきた。
「そうそう、それ!オレも気になってたとこ〜!」
顔をのぞかせたのは、背の高いオシャレで目立つ雰囲気の男子。ひときわ存在感を放っている。
「女の子を守るのはオレらの仕事だろ〜? そこのお嬢さんに任せちゃダメだもんなぁ、カンジ♪」
「レキくんまで……!」
「ま、オレのことは気にしないでいいって!で? そこの新入りさんは誰?」
ココロは、二人の男子を見渡して、そっと立ち上がった。
「初めまして。あたしは“道徳”の教科書から来た、道徳ココロです。今日から、こちらにお世話になります」
一礼するように頭を下げると、長い桜色の髪が肩からさらりと流れた。
カンジは静かに目を細め、ココロの言葉を受け止めるようにうなずいた。
「……なるほど。道徳ですか。珍しいですね。こちらこそ、よろしくお願いします」
「おぉ〜!なるほど、納得!そりゃ落ち着きあるわけだ!」
レキはにっこり笑って指をぱちんと鳴らす。
「にしても……道徳が来るなんて、ますますこの家、カラフルになってきたな〜♪」
にぎやかになってきた円の部屋に、
さらにふわりとした空気が流れこんできた。
「話は聞いたよ~!」
元気な声とともに、背の低い小柄な男子がひょこっと顔を出す。
柔らかい黄色の髪が揺れて、その肩には……ちょこん、とカメレオンが乗っていた。
「カッちゃんも、大歓迎だって!」
「ヒカルくん!それに……カッちゃんも!」
円が思わず笑顔になると、ヒカルはにこにこと手を振った。
その無邪気な様子に、ココロも自然と頬がゆるむ。
「……しかし、ヒカル」
ふいに、カンジの穏やかな声が少しだけ鋭くなった。
「盗み聞きは、よくありませんよ。**“独立自尊”**になってください」
「……どくりつ、じそん?」
ヒカルがきょとんとした顔で、首をかしげながらカンジに近づく。
「どういう意味?」
カンジは、少しだけ口元を和らげて説明を始めた。
「“独立自尊”というのは、簡単に言えば——
**『自分の力で考え、自分を大切にしながら、他人を思いやれる姿勢』**のことです」
「ふむふむ?」
「今回で言うと……誰かに頼ることが悪いというわけではありませんが、
盗み聞きというのは“聞きたいけど直接言えない”という気持ちから、
自分の行動を避けて、他人の言動に頼ってしまう状態です」
「……つまり?」
「“自分の成長のためには、自分からちゃんと聞いた方がよかった”ということですね」
「……なるほどぉ〜!」
ヒカルは、ぱちんと手を打った。
「じゃあ、次からはちゃんと『聞いていい?』って言う!」
「はい、それが“自分の言葉で伝える”ということですからね」
カンジの声はどこまでも優しくて、どこか“授業”を思わせる響きがあった。
それを見守る円とココロも、自然と笑顔になる。
「……なんか、ほんとに教室みたいだね、ここ」
「うん。でも、すごくいい教室だと思うよ。」
カンジとヒカルのやりとりに、空気が少しほっこりしていたそのとき——
「……ごめん。カンジ」
低くてちょっとだるそうな声が、部屋の入口から聞こえた。
みんなが振り向くと、そこには青い髪の男子の姿があった。
短めの髪、冷めたような目つき、けれどどこか気にしているような態度。
——算数の教科書から生まれた男子、ケイ。
「オレも聞いてた。ヒカルだけのせいにすんなよ」
「えぇっ!? ケイくんもいたの!? 全然気づかなかったよ!」
ヒカルが慌てて振り返ると、ケイはわざとらしくそっぽを向く。
「声、でかかったし。玄関のとこから全部丸聞こえだっつの。」
「……まぁ、盗み聞きしたのは悪いけど」
ケイはちらっとココロを一瞥して、短く言った。
「……オレの計算だと、あんた、変な奴じゃなさそうだな。まぁ、悪くねぇ。」
そう言いながらも、ケイは円の顔をちらっと見て、目をそらす。
「……で、円。お前、大丈夫なの?こんなに増やして……騒がしくなってんじゃねぇの」
「ううん、大丈夫だよ!わたしが呼んだんだからっ」
「……そっか。なら、いいけど。あと、円のばあちゃんがお菓子作ってくれたって。リビングいかね?」
そう言って円の部屋からでていった。
夕方、リビングでおやつをつまみながら、
みんながそれぞれくつろいでいる時間。
円はふとした疑問を口にした。
「そういえば、ココロちゃんって……他の科目男子たちとちょっと違うよね?みんなはテストの点数で寿命が決まるって言ってたけど……」
ココロはクッションにちょこんと座りながら、ほわっと笑った。
「うん。道徳って、テストがないからね。ちょっとだけ特別なの」
「じゃあ、どうやってココちゃんの“寿命”って決まるの?」
横でクッキーを食べてたレキが、何気なく口を挟んだ。
「まさか、オレの髪型のカッコよさとか?」
「違うよレッキー。そうだったらもう消えてると思うし。」
ヒカルがぼそっとツッコミ、リツが「笑うとこかー!」と笑いを誘う中で、
ココロは、まっすぐ円を見て、少しだけ言葉を選ぶように言った。
「簡単に言うとね……**“みんなが仲良くしてるかどうか”**なんだ」
「仲良く?」
「うん。円ちゃんが、みんなとちゃんと向き合ってて、心が通じ合ってると、ちゃんとここにいられるの」
「じゃあ……ケンカとかすると?」
「ちょっとだけ、存在が無くなるかも。まぁでも、すぐ仲直りすれば元通り!」
「……あれ、意外とゆるいな。」
ケイがあきれたように言うと、ココロは笑いながら肩をすくめる。
「道徳って、そういうものだから。完璧じゃなくていいの。ちゃんと考えて、またやり直せば大丈夫って教科なの」
円は、「たしかに〜」と笑いながら、ちょっとだけ安心したようにうなずいた。
みんなと心がつながっているかぎり、道徳ココロは、きっと円のそばにいてくれる。——そんなふうに思えた、ちょっぴりにぎやかな放課後だった。
つづく