普段冷静な浸が、見るからに動揺しているのが誰の目にもわかる。
真島冥子と呼ばれた女をジッと見つめ、浸はいくつかの感情がないまぜになったかのような表情を浮かべていた。
一方、対象的に冥子はクスクスと笑うばかりである。
それでも、和葉には憎悪しか感じ取れなかったのだが。
「ふふ……」
冥子は微笑を浮かべつつ、竦み上がった和葉に近寄ってそっと抱き寄せる。身体が触れ合った瞬間、和葉は全身を侵食されるかのような不快感を覚えた。
黒く、こびりつくような憎しみだ。
奥の奥まで根付いた全てを蝕む憎悪が、和葉に触れている。
「い、いや……! 放してください!」
「つれないのねぇ。もっと仲良くしましょう? あなた……私とお友達になれるハズよ。だって、こんなに私のことわかってくれるんだもの。もしかしたら、浸より仲良しになれるかもしれないわ」
もがく和葉を捕らえたまま、冥子は笑いながらそんなことをのたまう。
「放しなさい真島冥子! 早坂和葉は、あなたとは関係ありません!」
「そんなことないわ。私と関係ない人間なんて、この町にはいないもの」
「……真島冥子。あなたは、ここで祓います!」
このやり取りだけでも、浸に余裕がないのが和葉にはよく理解出来る。相手の言葉に応じず、問答無用で攻めるような真似を本来浸は好まない。
それでも浸は、青竜刀を構えて冥子目掛けて一直線に駆け出す。
「――――はっ!」
そして勢いよく息を吐き出しながら、冥子へ斬りかかろうとしたが……浸はすぐに動きを止めた。
「落ち着きなさいな。早坂和葉ちゃん……だっけ? 怪我しちゃうわ」
冥子は、和葉を盾にするようにして浸へと突き出していた。
「……卑劣な!」
「お話しましょう? 昔みたいに。あなた、駄菓子屋好きだったでしょう? また一緒にお菓子を買いましょう?」
浸はただ、冥子を睨みつける。それでも冥子は、笑みを絶やさなかった。
***
浸と冥子がそんなやり取りをする中、露子と少女も、再び交戦状態となっていた。
少女が伸ばす触手を次々と撃ち落とす露子だったが、少女の触手には際限がないように見える。無駄撃ちしていればジリ貧になるのは明白だ。すぐに回避する方向に切り替えたが、縦横無尽に動き回る触手を回避するのには相当な集中力を要求された。
「もう観念して捕まった方が良いよん。あなたかわいいから、そのつやつやお肌はもらっちゃおうかな」
「は? 冗談じゃないわよ! こっちは毎晩手入れして美肌保ってんのよ、人の努力を横からさらうな!」
すかさず、露子は回避と同時に少女目掛けて発砲する。しかしその弾丸は、三重に重ねられた触手に防がれた。
(こっちを追うのが二本、防御に三本……上限は何本なのよ!)
「自分でやるより人のものを奪った方が効率良いじゃん? ねえ、その金髪も欲しいかも」
露子を追う触手が三本に増える。もう捕まるのも時間の問題だ。
「誰がやるかこのフランケン女!」
露子がそう叫んだ瞬間、ピタリと触手が動きを止める。見れば、少女のツギハギ顔には激昂が塗りたくられていた。
「……ンだと……」
「……は? 何?」
「誰が……誰がツギハギクサレゾンビのブサイクフランケン女だコラァーーーーッ! 訂正しろやこの性格ブスがァーーーーーッ!」
瞬間、触手の数が更に増える。彼女の背中から生えた触手の数は八本。彼女の様子から考えて、露子は触手の上限は八本だと判断した。
すかさず露子は、持っていた銃を両方放り投げ、懐から新たな銃を取り出す。
「頼んだわよ! あたしのとっておき!」
銀色に輝くその銃は、先日詩袮から受け取ったあの銃だ。
この銃に正式名称はない。形状はデザートイーグルと呼ばれる銃に似ているが、構造は別物だ。
名付けるなら――――葬送の詩。
「霊銃、薤露蒿里(かいろこうり)っ!」
放たれた弾丸が、一直線に少女へ向かっていく。すぐさま少女は触手の内四本を重ねて弾丸を防いだ。
「効かねえよばーーーーーーかっ!」
しかしその瞬間、少女の目の前で触手が破裂した。
「な……っ!?」
薤露蒿里に装填された弾丸は、予め露子の霊力を込められた弾丸だ。薤露蒿里の弾丸は通常の弾丸とは違う。着弾と同時に内部で霊力が炸裂する仕組みになっている。
つまるところ、霊力を火薬とした超小型の榴弾なのだ。
「もう一発!」
すかさず、二発目が発射される。それは少女の肩に直撃し、その場で派手に炸裂した。
「があああああああああああああッ!?」
右腕が引き千切れ、大量の血肉を飛び散らせながら少女が絶叫する。半霊とは言え、半分は人間だ。魂は霊化していても、肉体はまだ人間のままなのだ。
どうやら半霊にも種類があるようで、絆菜のようにすぐに回復することはなかったが、それでも次第に腕は元に戻りつつある。このまま決着をつけようと薤露蒿里を構える露子だったが、その瞬間異変を感じ取った。
***
夜海の発する火球を、絆菜は素早く回避しながら距離を詰める。夜海の火球は遅くはなかったが、絆菜や琉偉に見切れない速度ではない。遠距離戦を続けていれば絆菜が不利だが、接近戦に持ち込めばどうにでもなる。
絆菜はスピードだけなら琉偉よりも上だ。すぐに夜海へ接近すると、右手のナイフでフェイントをかける。夜海がそれに反応して気を取られているところに、強烈な膝蹴りを叩き込んだ。
「獲った!」
しかしその確信は早計だった。
夜海は膝蹴りを受けてもその場で踏ん張り、そこから強引に絆菜の首を右手で掴む。
「タフだな」
「……よく、驚かれます……」
夜海が言い終わると同時に、黒い炎が絆菜を包み込む。
「しかし奇遇だな」
「っ!?」
「私もタフなんだよ。多分お前よりな」
炎に包まれたまま、絆菜はその場で強引に回転して夜海を蹴り飛ばす。その時掴まれていた首はあらぬ方向へと曲がってしまっていたが、絆菜は夜海の手から解放されるとすぐに両手で首を元に戻す。
「……出鱈目……です」
「そうか? 心配するな。跡形もなく焼き尽くすか爆散させれば死ぬだろ私も」
そうは言っているが、実際のところ絆菜の再生も万能ではない。繰り返せば繰り返す程絆菜の霊魂は淀む。今は悪霊化せずにすんでいるが、このまま再生を繰り返し続けていればいずれ悪霊化することになるだろう。その時、絆菜が絆菜のままでいられるかどうか絆菜自身にもわからない。
絆菜としてはなるべく避けたい戦法だ。戦局自体は有利だが、一撃でかなりダメージを受けることになる夜海の火力は、絆菜にとってかなり危険なものだ。
なるべく早めに決着をつけようと意気込んだ絆菜だったが、突如違和感を覚えて動きを止める。
「…………なんだ?」
どういうわけか、急激に身体が重くなっている。疲労がどうという次元ではない、まるで重りでもつけられたかのように身体が重いのだ。
「おい、陰子! 撤退するぞクソが!」
そんな中、露子と戦っていたハズの少女がややよろめきながら夜海の元へ駆け寄ってくる。
「……! |吐々(とと)さん……傷が、ひどい……!」
「うるせえ! 冥子のアレが出てる内にとっとと逃げるぞ!」
「冥子だと……!?」
咄嗟に、絆菜は浸の方へ視線を向ける。そこで絆菜は信じられない光景を目の当たりにした。
「……浸……?」
そこには、冥子の足元で這いつくばったまま動けない、雨宮浸の姿があった。
***
突然、上から何かに押し付けられたかのように浸は冥子の前で浸は這いつくばった。どうにか顔だけ上げると、冥子がケラケラと笑いながら浸を見下ろしていた。
「良い格好ねぇ。浸」
「真島……冥子っ……!」
黒いワンピースの中から現れた真っ黒なヒールが、浸の頭を踏みつける。
「やめてください! 浸さん! どうしちゃったんですか!」
冥子の腕の中でもがく和葉だったが、逃れることが出来なかった。
「やっぱり、浸程度の霊力じゃ這いつくばることになっちゃうのね、これ」
「これって……あなたが何かしたんですか!」
「そうよ。それに比べて和葉ちゃんはすごいわ。立っていられるんだもの」
更に力強く、冥子は浸を踏みつけつつ笑う。
「霊域(れいいき)……とでも言っておきましょうか。私の周囲ではねぇ、浸程度の霊力だと動けもしなくなるのよ」
「くっ……!」
冥子のその言葉で、浸はある程度この状況を理解する。
冥子が霊域と呼んだこの現象は、冥子の霊力が周囲の霊力に干渉することによって起こる現象なのだ。冥子の凶悪な霊力は周囲の霊力に干渉してその動きを封じる。それに対抗するためには、冥子と同等かそれ以上の霊力が必要になるのだろう。
そう仮説を立て、浸は砕けんばかりに歯を噛み締めた。
この状況を打開する手段が、浸にはない。
才能が、霊力がないから。
「浸!」
露子と絆菜は動き辛そうにしているが、浸程動けないということはない。しかし和葉を人質に取られている以上、二人共下手な動きは出来なかった。
「ねえ浸。もうゴーストハンターごっこなんてやめなさいな。向いてないのよあなた」
「向いているか向いていないかでは……ありません! 私が、やるかどうかです……っ!」
「馬鹿ね。死ぬかどうかの間違いよそれ。いっそあなたも半霊化すれば良いのよ。良いわよぉ、おかげで私はこんなに強くなれたもの」
「半霊化は禁忌です……いずれ身を滅ぼすことになります……お師匠の教えはっ……」
言いかけた浸を、冥子が踏みつけ直す。硬いヒールに打ち付けられた頭部から血が流れ、シニヨンにまとめたダークブラウンの髪が解けていく。
「何をしたってあなたは何にも守れないわ。私一人、助けられなかった癖に」
強く拳を握りしめるだけで、それ以上は動かせない。
どれだけ悔しがっても、どれだけ努力しても変えられないものがあった。
雨宮浸に、ゴーストハンターとしての才能はない。
今動けないことが、それを必要以上に物語っていた。
「ああああああああああああっ!」
「あっはっはっはっは! 普段クールぶってるあなたのそんな声が聞けて、今最高の気分よ!」
冥子はゲラゲラと笑いながらも、露子と絆菜への警戒を怠らない。銃を撃てば、ナイフを飛ばせば、和葉が犠牲になると、何度も二人に和葉を見せつけていた。
「じゃあ、仕上げにこの子を目の前で殺してあげる。これで昔のことはチャラね」
「やめてください! 早坂和葉は関係ないでしょう!」
冥子の右手が、和葉の首を締め上げる。苦悶の声を上げて呻く和葉を見ても、それでも浸の身体は動かせない。
「……すまない和葉先輩! 強行突破させてもらう!」
怪我か死か、天秤にかけるまでもない選択肢だ。すぐに絆菜はナイフを数本冥子へ投擲したが、その全てが冥子に辿り着く前に落下していく。
絆菜の霊力の宿ったナイフに、霊域が干渉したのだ。
「やめ……てください……」
動け、動け、そう念じながら浸は腕に力を込める。無理矢理に力を込めて、浸は強引に右腕を動かして腰の雨霧へ回す。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉっ!」
絶叫と共に、浸の手が雨霧に届く。その瞬間、浸の全身を雨霧の淀んだ霊力が駆け巡った。
「……あら?」
淀みきった霊力が一瞬の内に全身に循環し、浸の身体を動かす。そして浸は、立ち上がった。
「……ようこそ」
冥子が笑う。
そして和葉が、恐怖に引きつった。
「嘘……ですよね……?」
和葉の感覚が、浸を半霊だと認識した。
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