テラーノベル
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翌朝
シエルは私を王都の喧騒から遠く離れた、湖畔に佇む別邸へと連れ出した。
そこは深い森の静寂に守られ
まるで世界そのものから切り離されたような、二人だけの聖域だった。
鏡のように澄み渡った湖面は、今日という良き日を祝福するように穏やかに凪ぎ
周囲の緑を鮮やかに映し出している。
「さあ、入って。今日だけは僕たちのことだけを考えよう」
シエルに促され、光が降り注ぐテラスへと足を踏み入れた。
そこには純白のテーブルクロスがかけられ、色鮮やかな季節の果実や
熟練の料理人が腕を振るったであろう繊細な細工の料理が並べられていた。
二人の「再会」を祝うための、密やかで贅沢な祝宴。
「こんなにたくさん……私一人のために?」
「これでも足りないくらいだよ。君が陸の料理を気に入ってくれるといいんだけど」
シエルは騎士のように恭しく私の椅子を引き、自らクリスタルのグラスに黄金色のワインを注いでくれた。
私たちは、10年間の空白を埋めるように、一言一言を慈しみながら言葉を交わした。
私が暗い海の底で、水に溶ける彼の音のかけらを探し続けていたこと。
彼が陸の上で、あの日見た「人魚の幻」を追い求めて、狂ったように鍵盤に向かい続けてきたこと。
「ねえ、シエル。どうして10年前、私にあんなに優しくしてくれたの? 私はただの、奇妙な海の生き物だったはずなのに」
私の問いに、シエルはふっと目を細めた。
その蒼い瞳は、遠い日の記憶の彼方を辿るように、穏やかに、そして少しだけ悲しげに揺れた。
「あの日……僕は、自分の存在そのものに絶望していたんだ。音楽の才能を期待され、大人たちの欲望を満たす道具にされる日々に疲れ果てていた」
「海に身を投げようとさえ思っていたんだよ。でも、そこで君を見つけた。必死に生きようと、潮だまりで藻掻いているラムをね」
シエルの手が、テーブルの上で私の手をそっと包み込んだ。
「君を助けているうちに、僕の方が救われていたんだ。こんなに小さくて美しい命が、あんなに懸命に生きようとしている」
「それなら僕も、もう一度だけ明日を信じてみようって……。あの日、君を救ったのは、実は僕自身の死にかけた心を救うためでもあったんだよ」
初めて明かされる10年前の真実。
私たちは互いに、救い、救われていたのだ。
あの日
激しい波音の中で重なったのは、孤独な魂同士の共鳴だった。
「……だからね、ラム。君が僕のために命を賭けて人間になってくれたように、僕も君のために、これからの人生のすべてを捧げると決めたんだ」
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