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自分が悲しくなるだけなのに、こういう苦いLove story を綴ってしまうのは何故、?
放課後の教室、西日に照らされた埃が金色の粒子となって舞っている。 太宰治は、窓枠に頬杖をつきながら、隣の席でノートを広げる男――中原中也の横顔を盗み見ていた。
中也の視線は、グラウンドで部活動に励む「誰か」を追っている。 その視線の熱を、太宰は皮膚の裏側で感じていた。痛いほどに。
「……なぁ、太宰」 不意に中也が口を開く。その声の響きに含まれたわずかな震えだけで、太宰の心臓は、薄氷を踏み抜いたかのような音を立てた。 「なんだい、中也。また数学の答えを写させてくれなんて言うなら、今日の私のランチ代を君の財布から出してもらうよ?」 いつもの、軽薄な仮面。太宰は流れるような動作で、自分の内側に広がるドロリとした絶望に蓋をする。
「違う。……あいつのことだ」
「あいつ」。 その代名詞が指す主を、太宰は嫌というほど知っていた。 中也と同じクラスで、向日葵のように笑い、誰に対しても分け隔てなく接する、眩しいほどの美少女。 彼女の名前が中也の唇から零れるたび、太宰の体内では、数えきれないほどの針が心臓を突き刺す。
「今日さ、あいつが図書室で、日向ぼっこしながら居眠りしてただろ」 中也が語り始める。 「あいつの、あの長い睫毛がよ。窓から入る光で、影になって頬に落ちてて……。なんていうか、ガラス細工みたいで、見てるだけで息が詰まりそうだった。……あいつ、目が覚めた時、俺に気づいて『あ、中也くん。おはよ』って、少し掠れた声で笑いやがって。……クソ、俺、あんな顔されたら、もう一生勝てねぇって思ったわ」
中也の言葉は、熱を帯びた物語のように溢れ出していく。 太宰という「親友」が、その一言一言でどれほど深く、修復不可能なまでに傷ついているか。中也は知らない。知るはずもない。 中也にとって、太宰は「男」であり、「相棒」であり、恋の悩みも弱音も、何もかもを共有できる唯一の「同性」の友人なのだから。
「あいつ、放課後に部活で汗かいた後さ。ポニーテールを解いて、髪をかき上げるだろ? あの瞬間の、首筋に張り付いた髪とか、少しだけ赤くなった耳とか……。なんていうか、あいつの周りだけ空気がキラキラして見えるんだよ。他の奴らには見えてねぇのかよ。あいつがどれだけ、残酷なくらいに綺麗かってこと」
中也の解像度は、あまりにも高すぎた。 彼女が笑う時に細める左目の角度。 テストが返ってきた時に、悔しくて無意識に噛む下唇。 雨の日に、少しだけ憂鬱そうに空を見上げる横顔。
中也が語る彼女の描写は、太宰には逆立ちしたって手に入らない「輝き」の羅列だった。 女性であること。 中也の隣で、誰からも祝福される恋人になれること。 中也に、その「熱」を真っ直ぐに向けることを許されていること。
(……やめて。中也。その声で、その愛おしそうな目で、他の誰かの話をしないで。私の前で、そんな男の顔を見せないで)
太宰の喉の奥が、熱く焼ける。 叫び出したい衝動を、笑顔という名の包帯で固く縛り上げる。 太宰は「男」だ。 中也を愛し、中也に焦がれ、中也の手を握りたいと願う、救いようのない「男」なのだ。 この学校で、この社会で。中也が彼女を愛することは「青春」と呼ばれ、太宰が中也を愛することは、多くの場合「間違い」か「悲劇」と呼ばれる。
「……中也にしては、随分と詩的な表現だね。まるで三流の恋愛小説を読まされている気分だよ」 「あぁ!? せっかく俺が真面目に話してんのに、その態度はなんだよ!」 中也が、少しだけ顔を赤くして憤慨する。その表情すら、太宰にとっては愛おしくて、憎たらしい。
「いいじゃないか。中也は、彼女に『中也くん』なんて呼ばれて。……でも、彼女は知らないだろうね。君がこんなに独占欲の強い、獰猛な蛞蝓だなんて」 「誰が蛞蝓だ! ……まぁ、あいつの前では……かっこつけてぇんだよ。悪いかよ」
中也は、窓の外を走る彼女を、遠くを見つめる目で追い続ける。 その瞳には、太宰が入る隙間など、一ミリも残されていなかった。
空は、いつの間にか燃えるような朱色から、深い藍色へと混ざり合おうとしている。 逢魔が時。 世界の境界が曖昧になり、心の奥に隠した「バケモノ」が這い出してくる時間。
「……ねぇ、中也。影が、繋がってるね」 太宰が、ぽつりと呟いた。 机の上に伸びた二人の影。それは、確かに一つの大きな黒い塊となって、互いに溶け合っている。 影の中だけなら。 実体のない、光に拒絶された暗闇の中だけなら。 君と私は、こんなにも一つになれるのに。
太宰は、自分の右手を、ゆっくりと、震えを殺しながら動かした。 中也の手は、すぐそこにある。 ペンを握り、彼女を想って少しだけ熱を帯びた、その無骨な掌。
指先が、中也の手の甲に触れた。 ほんの数ミリ。 心臓が口から飛び出しそうなほど、激しく脈打つ。 太宰は、祈るような気持ちで、その熱を掴もうとした。 「友人」という名の鎖を、自ら断ち切る覚悟で。
だが。
――パシッ。
乾いた音が、静かな教室に響いた。
「……っ、おい。やめろよ、気持ちわりぃ」
中也は、反射的に太宰の手を振り払った。 その動作には、一点の迷いもなかった。 中也は椅子を引き、少しだけ距離を取って、眉根を寄せて太宰を見た。
「……ふざけてんなら、度が過ぎるぞ。そういうのは、お前のことが好きな女の子にでもしとけ。俺は、そういう対象じゃねぇって分かってんだろ」
中也の声には、明確な「拒絶」と、微かな「嫌悪」が含まれていた。 いや、それは嫌悪というよりも、中也にとっての「当たり前」を脅かされたことへの戸惑いだったのかもしれない。 中也にとって、太宰は最高の相棒で、理解者で、――男の親友なのだ。 その関係に、それ以外の色を持ち込むことは、中也の世界を根底から壊す行為でしかなかった。
「…………あぁ、ごめん。ちょっと驚かせたかっただけだよ」
太宰は、振り払われた右手を、自分の左手で強く握りしめた。 指先が冷え切っていく。 中也が触れた場所が、焼けるように熱い。
「……拒否られた、?」 小さく、消え入りそうな声で、太宰は笑った。 その笑顔は、あまりにも完成度が高すぎて、かえって痛々しかった。
「なんだ、太宰。お前、ほんと……変な冗談はやめろ。心臓に悪い」 中也は、太宰の笑顔を見て、ようやく毒気を抜かれたように息を吐いた。 「ほら、帰るぞ。暗くなると、あいつが駅まで歩くのが心配だからよ。少し後ろからついてってやるんだ」
「……そうだね。君の騎士気取りに付き合ってあげるよ。……でも、私はいらないだろうから、先に行くね」
太宰は鞄を掴み、中也の返事も待たずに教室を飛び出した。 廊下を走る。 背後から中也が呼ぶ声が聞こえた気がしたが、決して振り返らなかった。
(……拒否られた。……うん、分かってたよ。君はあいつが好きなんだもんね。君の世界に、私の入る場所なんて最初からないんだ)
階段を駆け下り、夕闇に包まれた校庭へと飛び出す。 肺が痛い。 空気が、鋭いナイフのように肺の腑を切り刻む。
(……『好きな人のためにとっておけ』、か。……中也、君は本当に、残酷な男だね)
太宰は立ち止まり、夜の帳が降りようとする空を見上げた。 一番星が、冷たく光り始めている。
(……それ、……あんたなんだよ。私が好きなのは、世界中でたった一人、君だけなんだよ、中也……)
言葉は、涙と一緒に、コンクリートの地面へと吸い込まれていった。 誰にも届かない。 中也にすら、届くことを許されない。
太宰は、自分の影を強く踏みつけた。 明日になれば、また「最高に馬鹿げた親友」として、君の隣で笑わなければならない。 彼女を語る君の横顔を、世界で一番優しい目で見守らなければならない。
それが、太宰治に与えられた、終わりのない青春という名の刑罰だった。
「……大嫌いだよ、中也」
真っ暗な校門を抜けながら、太宰は誰にも聞こえない声で呟いた。 その嘘だけが、彼の、唯一の支えだった。
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せつないね