「芹ちゃんくる前に片付けないとね」
言いながら床に無造作に出した食器たちを、いそいそと再度ビニール袋の中に戻していく。
「――これでよし」
最後の包みを袋に戻したと同時にチャイムが鳴って――。
条件反射のようにビクッと身体をすくませた結葉の頭を、慌てて来たからだろう。ちょっぴり濡れたままの手でそっと撫でると、想が「大丈夫、きっと芹だから」と言って玄関に向かう。
結葉は、そんな想の背中を見送りながら、半ば無意識。玄関からは死角になる位置に移動した。
***
「結葉ちゃんっ、来たよーっ!」
想のものとは明らかに違う軽快な足音とともに、掴めそうなくらいハッキリとした明るい声が自分を呼ばわって。
「――芹ちゃん!」
結葉はパッと瞳を輝かせて物陰からまろび出た。
死角から不意に顔を覗かせた結葉を認めて、ラベンダーグレージュの透明感溢れるショートボブをふわりと揺らして、芹が結葉に駆け寄ってくる。
「すっごい久しぶりーっ!」
言いながら、芹はキャーッと結葉に抱きついた。
そうしてギューッと結葉を抱きしめてから、
「あれれれれ? 結葉ちゃん、ひょっとして物凄く痩せてない?」
と心配そうに小首を傾げる。
昔から、会えばまるで欧米人みたいに熱い抱擁を欠かさなかった芹は、今まで通り結葉を腕の中に閉じ込めたあと、不安そうに結葉を見つめた。
結葉より十センチぐらい背の高い芹は、年齢こそ結葉の二つ下だけど、並ぶとその大人びた顔立ちも相まって、結葉よりお姉さんに見える。
「ん〜。どうかなぁ。……最近ちょっと食欲なかったから……そのせいかも」
実際は偉央からの抑圧された日々や、足枷をはめられての監禁生活で、疲弊しきって食欲がかなり落ちてしまった結果なのだけれど、憂いを帯びた目で自分を見つめてくる芹に、結葉は本当のことが言えなくて言葉尻を濁してしまう。
「病気とかじゃ……ない、よね?」
泣きそうな顔で見つめられて、結葉は「それは大丈夫っ。健康そのものだよっ?」とニコッと笑って見せた。
まだマンションにいた時、鏡に映る自分の身体が物凄く貧相になった気がして、恐る恐る体重計に載ってみたら、元々そんなに重い方ではなかった体重が五キロも落ちていた。
芹が結葉を抱きしめた時に違和感を感じたとしても不思議ではない。
芹に、自分の身に起こったことをどこまで話したら良いのか戸惑ってしまった結葉だ。
きっと、既婚者の自分が、彼女の兄である想の元へ転がり込んでいるこの状況を、芹は少なからず疑問に思っているはずなのに。
想が、妹にどこまで事情を話しているのかは分からないけれど、大切な幼なじみの名誉のためにも、結葉は芹にちゃんと話さないとな、と思う。
そこでふと想を見たら、想は何も言わずに結葉に小さくうなずいてくれて。
想は、芹に話すも話さないも結葉の判断に任せてくれるんだと悟った結葉だ。
「ま、とりあえず立ち話も何だしさ。紅茶でも飲めよ。湯も沸かしてあんだよ」
立ち尽くしたまま、眉根を寄せて自分を見つめてくる芹を見返していたら、その緊張感を断ち切るみたいに想が声を掛けてくれて。
「あー! あたし、ミルクティーがいい!」
結葉が〝大丈夫〟という気持ちを込めてうなずいたのを確認した芹が、台所に立つ想にリクエストを出した。
「結葉もミルクティーでいいよな?」
想から問いかけられて、結葉も「うん」と答える。
「俺が淹れて持ってってやるから、二人はリビングで話でもしてろよ」
想に声を掛けられた結葉が、〝私も手伝う〟と言おうとしたけれど、いち早くそれに気付いた想に線引きされて。
連携プレイのように芹に「行こっ?」と腕を引かれてしまった。
後ろ髪を引かれながら芹の後をついて歩きながら、結葉は砂糖の容器を手にとる想を見て思う。
(想ちゃんはきっと、芹ちゃんには砂糖なし、私にはほんのちょっぴり甘めのを淹れてくれるんだろうな)と。
そこも、想なら恐らく何も言わなくても変化をつけてくれる気がした結葉だった。
***
「お待ち遠さん」
想が両手にマグを持ってリビングに行くと、結葉と芹はハムスターの雪日を眺めて目を細めていて。
「結葉ちゃんもまだハムスターと暮らしてくれてたなんて、なんか嬉しーっ♡」
元はと言えば、芹が飼っていたハムスターが、彼女の不注意で懐妊してしまったことが、結葉とハムスターとを出会わせるキッカケになったのだ。
芹に頼まれて、想が結葉に、最後までなかなか貰い手の見つからなかった仔ハムスターを引き取ってはくれまいか?と打診したのは、結葉がまだ独身だった頃のことだ。
「うん。芹ちゃんのところからうちの子になった福助がね、ちょっと前に亡くなっちゃって……それで」
今までニコニコと雪日を眺めていた結葉の表情が、そこで寂しげに曇った気がした想だ。
そういえば、雪日を旦那から与えられた日から、結葉は監禁されたと言っていなかったか。
もしかして、それを思い出したんだろうか。
(いや、けど――)
結葉の表情を見ていると、何だか理由はそれではない気がして。
「結葉……ちゃん?」
さすがに芹も「おや?」と思ったらしい。
言葉に詰まってしまった結葉にそっと呼び掛ける。
そんな芹に、結葉は慌てたように焦点を合わせると「あっ。ごめんね。えっと、うちね、その……、こ、子供がいなかったから……私が寂しくないようにってこの子が来てくれたの」
結葉はそこで想に視線を向けて、「……想ちゃん」と、泣きそうな声でつぶやいた。
芹も、そんな結葉の様子に戸惑ったように想に助けを求める視線を投げかけてきたから。
想は場の空気を一新するみたいに努めて明るい声音で「とりあえず紅茶入ったから二人ともこっち座れよ」とテレビ前のテーブルに視線を流した。
結葉と芹が座り直したのを見届けて、結葉の前にオカメインコ柄、芹の前にセキセイインコ柄のマグを置いた。
「わー、何これ可愛い! ……けど正直お兄ちゃんらしくなーい」
芹がクスクス笑うのを見て、結葉は想をチラチラ気にしながらソワソワして。
想は結葉が選んだものだとは告げず、ただ一言「放っとけ」とだけ言って妹の頭を軽く小突いた。
「もぉー!」っと言いながらそんな想の手を払い除けて、ふと気付いたように芹が「あれ? お兄ちゃんのは?」と聞いてくる。
***
想用に買ったはずのセキセイ柄のマグカップを、彼が芹の前に置いた時に、結葉も「あれ?」とは思っていた。
芹の問いかけに、想はニッと笑うと、「俺、ちょっと買い物行って来ようかと思ってんだわ」と言って。
結葉は「そうだった」と今更のように思い出す。
想が芹をここに呼んでくれたのは、結葉が一人になるのは怖いと言ったからだ。
芹が来てくれた以上、想が買い物に出ようとするのは必然で。
「えーっ? 妹を呼びつけておいて出かけるの?」
芹が抗議の声を上げるのを、想が「すまん、すまん」と軽い調子で宥める。
それを見ていて、結葉は思わず「芹ちゃん、ごめんね」とつぶやいていた。
芹は予期せぬところからの謝罪にびっくりして。
「えっ。何で結葉ちゃんが謝るのっ?」
言って、ソワソワと視線を揺らせる芹に、結葉は姿勢を正して座り直した。
「想ちゃん、行ってきて? 私、芹ちゃんとお話しして待ってる」
結葉は、不安そうに自分を見つめる想に言って、「大丈夫だよ」とニコッと微笑んだ。
***
想はそんな結葉をじっと見つめて。
結葉がもう一度〝私を信じて?〟と言う風にコクッと頷くのを見て、
「ん。そんじゃお言葉に甘えて行ってくるわぁ。ついでに寿司買って帰るから二人とも楽しみにしとけ」
言って、
「あっ、ちょっとお兄ちゃんっ」
芹が不安そうに自分を呼び止めるのに「すぐ戻るから結葉の話、聞いてやって?」と言い置いて家を出た。
コメント
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芹ちゃん、お話聞いてあげて💦