ようやく落ち着いたのか、優斗が長い溜め息を吐く。すっかり遠くに行った睡魔に別れを告げ、俺たちは仕方なく一階に降りた。
雨の音しかしない。
うちの家なら、父さんが出社の準備を、母さんが朝食を並べ始めている頃だ。この家に住んでいる人は誰も働いていないみたいだし、やっぱり朝も遅いのかもしれない。
だけど静かすぎることに疑問を持ったのか、優斗が首を傾ぎ、リビングの扉を開ける。
電気もつかず、誰もいない。
「父さん? 母さんもいないの?」
声をかけてみても、返事はなかった。
「いつもならそろそろ二人で朝ご飯の準備してるはずなのに……まだ寝てんのかな」
体調を心配しているのか、眉毛をハの字にしたまま洗面所に行く。
まずは顔を洗ってしまおうと、水道のレバーを上げる。
「……あれ?」
カコンという音がしたきり、水が出ない。
念のため何回か上げ下げしても、蛇口からは一滴の水も落ちなかった。
少しの沈黙、青ざめた顔。
「陸、母屋に行こう」
俺の返事を待たず、優斗が玄関に急ぐ。
玄関を出た通り土間では、よりはっきり雨の音が聞こえた。滝のような大雨だ。
母屋は真っ暗で、ただ、奥の方には人の気配がある。雨音のせいでよく聞こえないが、なにかザワついているようだった。
「おはよう。やっぱりみんなここにいたんだ」
大人たちが集まっていたのは、家の中央にある応接間だった。
三方にある襖も閉め切って、ずいぶん狭くなった室内で顔を突き合せて喋っている。確かにこうしているほうが、雨の音が聞こえにくいし、話しやすいかもしれない。
「優斗!」
優斗のお母さんは俺たちに気づくと、急いで駆け寄ってきてくれた。不安を押し隠してるみたいな顔で、泣き笑いにも見える。
「陸くんも起きちゃったのね。もっとゆっくり寝ていてもよかったのに」
「俺もそのつもりだったんだけど、陸が起きちゃってさ。……父さんは?」
「お父さんは道の状態を見に行ってるわ。すぐ帰ってくるから大丈夫」
優斗のお母さんの目が、ちらりと奥にいる集団を見た。
集まっているのは大おじさん似のおばさん三人だ。大おじさんの家族だろうとは思うけど、まだ名前も分からない。
「道は今、大輔くんと賢人が確認に──」
「迎えに行った三人はホテルにいるって──」
「まずは自分たちのことを考えないと──」
「ガスはプロパンだから──」
「水の確保は井戸で──」
「電気なら倉庫に自家発電機があるから──」
だけど部外者の俺が口を出すのも気が引ける。
「優斗」
そっと声をかけ、脇を肘でつつく。
優斗の目が困惑気味に俺を見て──もう一度、優斗のお母さんに向き直った。
「さっき顔洗おうとしたら水、出なかったんだ。もしかして断水した?」
「うん、停電もね。それと昨夜の遅い時間に、ひいおばあちゃんをお願いしている施設から連絡があったの。……ひいおばあちゃん、亡くなったって」
「え」
俺と優斗の声が重なった。大人たちの様子から、この雨のせいで土砂災害に巻き込まれかけてるのかもとは考えていた。だけどひいおばあさんが死ぬなんて、そんな話は想像もしていない。
「日付が変わる頃、施設から電話があったのよ。あちらもなにか混乱してらしたそうで、早めに来てほしいって言われて……だから大おじさんと大おばさん、おじいちゃんはご遺体の引き取りに行ってるの。だけどラジオでは、山向こうで土砂崩れがあったって──」
一気に流れ込むには情報量が多い。
ひいおばあさんが亡くなって?
大おじさんたちはみんなで遺体の引き取りに行ったけど?
山向こうで土砂崩れが──
──土砂崩れ?
「それって、ヤバくないですか?」
口を出すつもりなんてなかったのに、思わず声に出してしまった。
初めて来た場所だ、ここいらの地理は詳しくない。だけどここが主要道路から外れた場所にあって、さらにこの家そのものが、道の行き止まりにあることは分かってる。
ニュースでよく見る、大雨による孤立集落化だ。下手をすると今回の場合、孤立集落の中の、さらに孤立世帯になってるかもしれない。
水道が止まってることは分かった。ガスは無事、電気もなんとかなるらしい。だけど。
「陸くん」
優斗のお母さんの声で我に返る。
まっすぐ俺を見てくる目からは、強い責任感が見えた。
「大丈夫だからね。食糧もたくさん備蓄してあるし、この家の周囲は地盤がしっかりしてるって聞いてるから、崩れたりもしないはず。せっかくのお泊まりなのに昨日から申し訳ないことばかりだけど、あなたのことはちゃんと守るから」
内心不安そうなのは変わらなかったけど、この人が俺をちゃんと見てくれているのは分かる。なら、いつまでも現状に怯えているのは不誠実だ。
ドキドキしている心臓を深呼吸で落ち着けて、間抜けな顔で笑ってみる。
「やだな、そんなに心配してないですって。スマホもあるし、いざとなればヘリでもなんでも救助方法はあるんですから。せっかくの被災体験、自由研究にでも活かしますよ」
「あ、それいい! 頭いいな、陸!」
「だろー」
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