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教室の隅、数人の男子が遥を取り囲み、無理やり押さえつけていた。
鋭い視線と嘲笑の中で、手が容赦なく動く。
「おい、黙ってんじゃねえよ」
「声出せ。お前の沈黙なんてつまんねえんだよ」
殴打の音が連続する。
拳が腹をめがけて突き出され、膝が脇腹を蹴り上げる。
「ぐっ」と声にならない呻きが喉から漏れた。
遥はそれでも耐えた。声を出せば、彼らのゲームはさらにエスカレートすることを知っていた。
だが、静かな怒りは内に秘めていた。
「……俺に、触んな」
小さく、抑えられた声だった。震えはない。
冷静で、まるでそれが当然のように言い放った。
その言葉に一瞬の戸惑いが走る。
殴る手がほんのわずかに止まった。
「調子乗んなよ、クズ」
「口だけ達者なんだよ、てめえは」
だがすぐに暴力は戻った。拳が腹を叩きつけ、膝が背中を踏みつける。
身体が床に叩きつけられ、骨が鳴る音が耳に届く。
膝をつきながら、遥は顔を上げた。
血が唇の端から垂れていた。
だが、その目は何も恐れていなかった。
その冷たい瞳を、教室の隅で日下部が見据えていた。
昔の、口数少なく、弱々しかった遥の姿はもうそこにはない。
「変わった……」
心の中でつぶやく。
だが、その変化が意味するものを、日下部はまだ理解できていなかった。
そして、彼は動かなかった。
ただ、冷たく見つめているだけだった。
その視線が遥の皮膚に張り付いて、いっそう息苦しさを増していく。
教室のざわめきは続く。
暴力は続く。
そして、静かな抗いの言葉だけが、ひとつだけ空間に響いていた。
誰かが笑った。
耳元で、わざとらしく。
「口動くんだ?」
「あー、これ録れた? いまの顔、やばかったよな」
遥は床についたまま、ゆっくりと顔を上げた。
頬に広がる熱と、じんじんと痺れる腹の奥。
肩を支えた指が滑ったせいで、制服の胸元がはだけていた。
誰かが、それをスマホ越しに覗き込んでいた。
録画か、写真か、わからない。
どちらでも、もう大して違いはなかった。
「…勝手にすれば」
吐き捨てるように、しかし声は小さい。
悔しさも、怒りも、露わにはしない。
ただ、それでも喉が動いた。
そう言わずにいられなかった。
「おまえら、ほんと暇だな」
薄く笑ったような顔で、遥は自分の血の味を飲み込んだ。
笑ったのは──誰よりも、自分自身への嘲りだった。
日下部はその光景を、教室の入り口近くからじっと見ていた。
他の生徒と同じように、机に座り、ただ教科書を開いているふりをして。
けれど視線だけは、確かに遥に注がれていた。
(喋るんだ、あいつ)
その声を、日下部は知っているようで、知らなかった。
中学に入る前──まだ、あいつが誰の目も見ずに暮らしていた頃で時間が止まっている。
目の前の遥は、血を流しても睨み返している。
誰にも助けを求めず、ただ一人、黙って座り直していた。
机の脚にもたれながら、震える手で鞄のファスナーを閉じた。
静かだった。
教室のざわめきの中に埋もれて、それでも異質な沈黙があった。
遥は誰も見なかった。
もちろん日下部も。
(オレが見てることなんて、気づいてもねぇ)
目立ちすぎないように、存在を殺すように、それでも黙って抗っている。
その姿に、日下部の中で、理解できない感情がゆっくりと濁り始めていた。