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舞台袖に立つ本田菊は、深く息を吸い込んだ。張り詰めた空気の中で、ライトの熱がわずかに肌を焦がす。客席からは期待に満ちたざわめきが伝わってきた。
彼が任されたのは「王子」の役。正確無比で、優雅で、強さを秘めた踊りを求められる。冷静な彼にとっては相性の良い役だった。
だが、今日はただの発表会ではない。各国から選ばれた団が競い合う、大会。
自分の表現が他人と比べられる舞台――そのことが菊の心に静かに火を灯していた。
開演を告げる鐘が鳴り響く。
舞台に立った瞬間、菊の視界は光に包まれる。観客はもう見えない。ただ自分と音楽と、足元の床板だけ。
彼は、ひとつ、またひとつと正確にステップを踏む。腕を伸ばす、その動きには一分の隙もない。
そして、舞台の奥から現れた「カラボス」。
白銀の髪を逆立てるように結い上げ、赤黒の衣装を纏った青年。鋭い笑みを浮かべ、観客を挑発するように登場した。
ギルベルト・バイルシュミット。別の団から送り込まれた、同世代の踊り手。
彼の踊りは菊のものとは正反対だった。
荒々しく、奔放で、舞台全体を支配するような存在感。正確さよりも衝撃を選び、観客の視線を力強く引き寄せて離さない。
――まるで炎と氷。
物語の中では決して交わらない二人の役柄。だが、舞台の空気は否応なく二人を結びつけた。観客の目には、王子とカラボスが互いを意識し合っているようにすら映った。
フィナーレのカーテンコール。
拍手喝采の中、菊は隣に立ったギルベルトを横目で見た。
汗に濡れた額、挑戦的な笑み。
――強い。
心の奥で、そう認めざるを得なかった。
舞台を降り、楽屋裏。
すれ違いざま、ギルベルトが鼻を鳴らした。
「チビの王子様、ずいぶんお上品に決めやがって」
挑発的な声。だがその目には、ほんの僅かに高揚の色があった。
菊は立ち止まり、わずかに首を傾げる。
「……あなたのカラボスも、印象的でした」
静かな声。けれどそこに込められた真剣さは、皮肉にもギルベルトの心をざらつかせた。
「チッ……生意気なチビ王子め」
そう吐き捨てて背を向ける。だが足取りは重い。
――あいつとは、またどこかで踊ることになる。
それは確信に近い直感だった。
こうして、二人のライバル物語は幕を開けたのだった。