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「……なに、それ……」
聞き終えた高嶺は絶句した。その大きな瞳に、ぷっくりと涙が溜まる。不覚にもわたしはそれを美しいと……思った。
「ひどい。なにそれ。ひどすぎ……ひどすぎる!」高嶺が拳でテーブルを叩き、その大きな音に、近くの客がわたしたちを見た。けれど、その様子には気が行かないらしい、高嶺は、「そいつのこと……殺してやりたい。なんで男って、勘違いしてんのかしら。女は、強引にやっちまえば喜ぶって……とんだ、誤解よ。
それで、莉子は……大丈夫?」
流れ落ちる涙をそのままに言う高嶺に、「大丈夫」とわたしは答える。……こういうの。こういう重たい話ってすると……相手に重みを与えるのが分かっているから、わたしは……避けてきた。
課長以外に打ち明ける人間は彼女が初めてだ。どんな反応をするのか……わたしはすこしの恐怖とともに告白したのだったが。
「いまは、課長がいるから……大丈夫。彼、守ってくれてるから……わたしのこと。
それに。あんなに愛された以上、自分のことってすごく……大事なんだと。
自分のからだって自分だけのからだじゃない。ご先祖様や……わたしの知らないところで犠牲にされる命が。懸命に繋いできた命だと思うの……。
だからわたし、絶対に自殺なんかしないって決めてる。この先どんな辛いことがあろうとも……」
「――うん。でもね、莉子」ようやく彼女はハンカチで目元を拭う。きちんとアイロンがかけられたハンカチだ。几帳面な性格らしい。「苦しい、悲しい、って素直に打ち明けることも大事だよ。あんまり周りの期待にばかり応えようとすると自分が苦しくなるから。これからは、無理に抱え込まないで、課長や、あたしに相談するんだよ」
そうなんだ。友達ってこういうものなんだ。こうして――親身になってくれる。赤の他人なのに、自分の痛みのように味わってくれる。これが、友達……。
「――なんで自分ばっかりこんな目に。って思うことなんか……腐るほどあるけど。生きてると。……まああたしが不幸ながらも幸いだったのは、性的な被害には一切遭わなかったこと……いえ厳密には、魔の手から自分を守ってきた。触ってくるやつなんかいたら、金玉を蹴り飛ばしてやったのよ。まったく……」
「……高嶺って、彼氏はいたの?」
「――ん」なんだか切なそうに高嶺は、「結婚まで考えていたひとがいたんだけど、結局ね。あたしの出生が原因で彼の親に反対されて、諦めた」
「ごめん」とわたしは口許を押さえた。「……聞いちゃいけないこと聞いちゃったかな……わたし」
「ああいいの全然。そういう気遣いしなくていいから」と高嶺は顔の前で手を振り、「もし、答えたくない質問だったら、あたし、ちゃんと言うから……。
そうね。ロメジュリってあるじゃない? 親から反対されるほどに、燃え上がるのが恋というもの……シェイクスピアの描いた世界観は正しかったわ。
ある日、ふたりで逃げて逃げて……逃げたんだけど。社会人だから、仕事があるじゃない? ――彼。無断欠勤して……あたしは派遣を首になって。――うん。なんか、夢みたいな逃避行だったわ。
でもあたしたちは一週間後、旅先で捕まった。――なんでだと思う?」
「……さあ」わたしは思い浮かばなかった。すると高嶺は、
「彼の選んだ場所は、自分の家族と行った思い出のホテルだったのよ。何泊もして、愛し合って。その最高の舞台になった場所が、よりによって自分の最愛の、そして敵である家族だっていうね……。傑作過ぎて笑えて来る。
お金もどんどんなくなって。もう……死んでいいかな、って思えたくらいだったの。別にもう、なんだっていいなって。捨て鉢で。やけっぱちで。それで……でも。
迎えに来た家族に彼、……抱きついて。泣いて。詫びて。捨てないでくれ、……って言うの。
なんなのって話よね。家族を捨てて、女を選んだはずが、結局家族を選ぶのかよ! ……って」
長いまつげの影が揺れる。高嶺はそのときに味わった悲しみを思い返すように、
「それから……誰も、信じられなくなって。
表と裏の顔を使い分けるようになった」
――彼女も、わたしと同じ道を辿ったのだ。
わたしは敢えて続きを目で促した。応えるように、高嶺は、
「……そう。女って器用だもんね。表で、きゃははって笑っていても、裏ではまったく別のことを考える。やがて……男って馬鹿だな、って思うようになった。ていうか人間そのものがね。
こんなあたしの作る嘘っぱちの顔に、ころっと騙されて。
水商売とか、ビジネスでのし上がるとか、考えたことがなくもなかったんだけど、ま、欠損家庭に育ったって時点であたし……不利だから。
だったら、派遣として、やれることをとことんやり抜こうと思ったの」
「……高嶺が、荒石くんに、こころを開いたのは、どうして?」
わたしは、敢えて、高嶺が課長に惚れていたことには言及しなかった。
「……なんだろうね」と高嶺は目を伏せる。「なんだろう……最初は、この男絶対粘着質だろうから、いっぺん話つけて、追いやってやろうって……そんな気持ちだったのね。
でも、彼と話ししているうちに、なんか――動いて。
あたしのなかのなにかが、動いて。うまく言えないんだけど――そろそろあたしのほうも限界だったのかもしれない。顔を取り繕って嘘の自分で生きていくことが。それでいて、貴将は、……包容力のある男だから。一度抱かれてもう……いいかなって。
素直な自分に戻って生きていきたい。そう思えるようになったの……」
高嶺もわたしと同じ道を辿っている。親近感を、抱いた。
「そっか。よかったね……」とわたしが笑うと高嶺は、あ、と口を開け、
「なんであたしいつも、あんたを前にすると自分語りしちゃうんだろう。……あんたの話をしていたはずなのに、いつの間にかあたしの話に切り替わっているじゃない」
「別にわたしはそれで構わないけど?」
「よく……ない。よくないよ。友達って、ギヴアンドテイクじゃない? 与えるばっかじゃ駄目。ちゃんと返さないと――」
「わたし、……高嶺と話してると楽しいよ。高嶺のことがもっともっと好きになる……」
高嶺は何故か顔を赤く染め、次のように吐き捨てた。
「馬鹿。彼氏持ちがそういうことを言うもんじゃないよ」
* * *
「もう、これ以上は持てないよ……」
「貸して」と高嶺が言う。手を差し出すとわたしの肩からかける紙袋を奪い、「あたしが持つから」
「い、いいよ……」
「よくない。……じゃあさ。……課長っていま家にいるんだっけ」
「ううん。友達と飲みに行っている」せっかくだからと。わたしと課長は交際しだしてから、それこそ脇目もふらずにえっちばかりしてきたんだけど、ここにきて、人間関係を見直そうと。いままでの友達ともちゃんと交流しようと、そう決めたのだった。
すると高嶺は、なにかを思いついたように笑い、
「――せっかくですから、『彼』を召喚してやるとするか……」
* * *
「きゃー☆ たかたん☆ たかたん☆ たんたかたん☆ 呼んでくれてありがとうー。ぼくちんね、ずっとずっとたかたん☆ に会いたかったんだー」
意識の水面下に確かに自分というものは存在するのだが。ふわふわとして、掴めない。
「あたしも……会いたかったよ。ぼくちん☆……。 おいで。ぎゅうしよう……」
するとわたしはやわらかな高嶺のからだに包まれ、その腕のなかで目をあげる。
「可愛いね……」と高嶺はわたしの後頭部を撫でる。……不思議な感覚がわたしを襲う。……えっとぼくちん☆、高嶺に欲情している……? 「うん。すっごく可愛い……」
なまじっか場所が課長のマンションというのが。背徳感を増幅させるというか。悪いことをしているような気分になる。ふたりきりで過ごすこのマンション。ふたりでいるときは、誰一人入ることを許さなかったこの空間で、わたしは、高嶺に抱かれている……。
「そっち系の趣味はないんだけど……なんかね。莉子。あんたを見ているあたし……おかしな気持ちになる。……て、まあ……」
高嶺はそっとわたしを解放すると、
「お互いに彼氏がいる身分だから。このくらいにしておこう。……よりによって三田課長のマンションで三田課長の彼女に手を出すなんて……ありえないもんね。
ね。でも莉子……。じゃないやぼくちん☆……」
なんでちゅかー、とわたしが答えると、
「あんたが男だったら惚れてるってくらいには、あたし、あんたが好きだね……」
不思議なことを打ち明けた。
*