エストジャ王国の建国記念パーティが終わり、シンセロ侯爵とも別れた私たちはミンネ聖教団からの呼び出しを受け、この国の王都にある教会を訪れていた。
「グローリア帝国って……あの?」
「そうです。あの悪名高い国ですな」
グローリア帝国はこの大陸の南側に位置する大国だ。
大陸の南側には幾つもの小さな国が存在するが、それゆえに領土問題から発展した争いごとも絶えない。
元々南側の土壌がそれほど豊かではないことがその問題に拍車をかけているそうだ。
それでもグローリア帝国が周りの国々のリーダーとして取り纏めていた時代には表立っての抗争はなかったと聖女であるティアナからは聞いている。
おかしくなったのは先々代の皇帝が崩御し、君主が先代皇帝に移ってからだ。
暴君であった先代皇帝は権威を振りかざし、周囲の国々だけでなくグローリア帝国内すらも困窮していったそうだ。
現皇帝であるイルフラヴィア・ドォロ・グローリアが先代皇帝から玉座を奪い取ってからも状況は全く変わっていないのだとか。
先代皇帝の死を好機と見てグローリア帝国に攻め入ろうとした周辺諸国も、結局は現皇帝個人が持つ圧倒的な力によって撃退され、それ以来グローリア帝国は完全に外への門戸を閉ざした。
「本来ならば、救世主殿を治安の安定しない南側にお送りする予定はありませんでした。しかし、我ら聖教団がグローリア王に送った各国首脳会談への出席要請に対しての返答が意外な物だったのです」
「それが私たちがグローリア帝国へと向かう理由ですか?」
「ええ。グローリア王より送り返された文面にはこう書かれていたそうです。『救世主一行を迎えに寄越すのが条件だ』と」
なるほど。邪族との戦いのためにグローリア帝国の協力を取り付けるにはその条件を呑むしかなかったわけか。
南側で一番大きく、力のある国はグローリア帝国であるため、彼らの力を借りられる利点は非常に大きいのだ。
「ちょ、ちょっと待って。ぐ、グローリア帝国って……外との関係を断ってたんでしょ……?」
「それなのに私たちの活動のことを知っているのは変ね」
「なるほど、たしかに。……2人とも天才ですか?」
シズクとヒバナの疑問にコウカが感嘆の声を上げる。
双子の疑問に答えたのはミンネ聖教団の神官だった。
「それはグローリア帝国が独自の情報網を持っているからでしょう。大抵の国は情報収集のために何かしらの手段を講じているものであり、それほど珍しいことでもありません」
「よく“影”とか呼ばれている人たちのことですよね」
「それも考えられますが、かの国に限ってはもしかすると魔導具かもしれませんな」
「魔導具が?」
魔導具は魔素の結晶である魔石を動力源とした道具のことだ。
今いる部屋の灯りだって魔導具によって照らされているものだし、お風呂とか調理場など様々な場所で私たち人間は魔導具の恩恵を受けている。
私が疑問に思ったのは、他国の情報を集められるほどの高度な魔導具が存在するのかということだ。
快適な生活を保証してくれる魔導具とはいえ、前の世界で言う電話やテレビのようなものは開発されていない。
それでどうやって国の外の情報を集めるというのだろうか。
「グローリア帝国は魔石採掘量が世界1位だった国なのですよ。あの国はその魔石を使った高度な魔導具により、発展を続けてきた魔導の大国だったのです」
それも先々代の皇帝が治めていた時代を最後に途切れてしまいましたが、と神官は苦笑する。
「世界で使用されている魔導具もかつて帝国より輸出されていた魔導具を改修しながら使用しているのです。我々の魔導具は先の時代からほとんど変化がありませんが、グローリア帝国内では今も新たな魔導具が開発されているのではないかと考えられているのですよ」
なるほど。どんな魔導具かは分からないが、何かしら外の世界の情報を集められる魔導具もあるのではないかと考えているわけか。
そんなふうに私がグローリア帝国に興味を持ち始めたところで突然、誰かに肩を掴まれた。
驚いて肩を掴んでいる手を目で辿っていくと青い髪が視界に映る。
「行こう、ユウヒちゃん。グローリア帝国に」
「シズク?」
「早く行こう。魔導具を見に行こう……!」
目をキラキラとさせ、肩を掴んだままじりじりと迫ってくるシズクからは気迫のようなものを感じる。
――これは間違いなく好奇心旺盛モードに入ってしまったシズクだ。
「シズク姉様ってば楽しそう……なんだかボクも楽しみになってきたかも!」
こうなるとダンゴも彼女に釣られ始める。
別に楽しそうにするのは構わないというか、実際のところは私もグローリア帝国に対する不安と興味が競り合っている状態なので仕方がないと思える。
でも、本来の目的を見失ってはいないだろうか。
「……遊びに……行くわけじゃない」
「――あ。もう、ボクだってそんなことは言われなくても分かってるからね!」
「……絶対に分かってなかった」
「なんだとぉ!?」
苦言を呈したアンヤにダンゴが反論したまま、じゃれ合いに移行する。
ほぼ一方的にダンゴが絡みに行っているだけだが。
「わたくしは~ふかふかの~魔導布団があれば~嬉しいですね~」
「へぇ……魔導布団ですか。それも魔導具の一種なんですか?」
「え~? コウカお姉さまも~気になるの~?」
「いや……どんな布団よ、それは。もう魔導具とか関係ないじゃない。コウカねぇも騙されないでよね、ノドカが適当なこと言ってるだけよ」
「むぅ~酷い~……わたくしは~自分の欲しいものを~言っただけなのに~……」
なんというか場が混沌としてきた。ミンネ聖教団の神官の人もすっかり呆れてしまっているだろう……と思えば、神官は手を胸の前で組み頭を垂れていた。
――これが精霊信仰か。
あの人はいったいどういう気持ちで祈りを捧げているというのか。
「ねえ。早く行かないと魔導具がなくなっちゃうかもしれないよ、ユウヒちゃん!」
「なくならないよ! わ、分かったから手を離してシズク!」
さっきからぐわんぐわんと肩を揺さぶられるし、地味に掴まれている肩も痛い。
スライムである彼女たちの握力を舐めてはいけないのだ。今は興奮のあまり、制御もしてないだろう。
こういう時、コウカかヒバナ辺りがストッパーになってくれるはずなのだが今は期待できそうにない。
――お願い、誰か気付いて。揺れで気持ち悪くなってきたから。
◇
大陸南側の国々。
そのいずれもが初めて訪れる場所だったが、どの国も例外なく今まで訪れたことのある国よりも困窮していた。
ならず者たちが多く、衛生面でも酷い区画が街の中に存在している。
国が抱えるのは魔泉の異変や魔物による問題だけではない。人と人、国と国同士の衝突だって大きな問題なのだろう。
ミンネ聖教騎士団の仲裁により休戦状態となっている国が多くなっているとはいえ、生活の質が向上するわけではないのだ。
仕方のないことだと割り切ることはできないし、どうしようもないことだと目を逸らすつもりもないけれど、現状私ではどうにもできないことだ。
だから人との関わりを最小限にして、グローリア帝国に向かう道を進み続ける。
人と関わってしまったら、助けなければならなくなるから。
そうして、街と街を繋ぐ街道をスレイプニルに乗って高速で移動していた時だ。
私たちは道の中央にうつ伏せとなって倒れている人を発見してしまった。流石にこうなってしまっては無視することはできない。
慌ててスレイプニルのミランに停止の指示を出し、倒れている人に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
だが肩に手を伸ばそうとした私の手首は突然、下から伸びてきた手によって掴まれることとなる。
「まさかこう上手くいくなんて思わなかったぜ」
「は――痛ッ……!」
掴んできたのはさっきまで倒れていた身なりの汚い男だった。
咄嗟に彼の手から逃れようとするが締め付けが強くなっただけだ。
そのまま私は彼の方に引き寄せられる。
「マスターを離せッ!」
「おっと動くなよ。この嬢ちゃんの命が惜しかったらな」
「チィッ……!」
激昂して剣を向けたコウカに男が牽制の言葉を投げかける。それと同時に私の首筋に冷たい物が触れた。
視界の端に確認できたのは、男が隠し持っていたと思われるナイフだった。
みんなの敵意が一斉に高まり、男へと集中する。
「おい、野郎共!」
それでも怯みもしない彼が大きな声を上げると物陰から十数人、男の仲間と思わしき人間が現れ、ぞろぞろと集まってくる。
「なに、こっちとしても別に命が欲しい訳じゃない。ただ金が欲しいだけだ。俺たちのことは少し態度の悪い物乞いだとでも思ってくれや」
そこで彼らの目的が分かった。そして彼らが何者なのかも。
「もしかして……野盗?」
「悲しいが、そうなっちまうのかね……。こんな身なりだが、俺たちも数年前まではただの農民だったんだぜ。家族と一緒に近くの村で静かに暮らしてただけなんだ。それがよ、紛争だの異変だのと言って土地は全て国が没収。こうして他人から恵んでもらわないと生活できないわけだ」
「そんな……」
「同情してくれるか? だったら連れに武器を下すように言ってくれや。金目の物を置いていってくれれば、それでアンタは解放。困っている人を助けたと胸を張って家に帰れるわけだ」
彼らの事情が本当ならば、十分に同情の余地があると言えるだろう。
でも、同情できるからといって看過できるわけではない。ここで見逃せば、彼らはきっと他の人間も襲う。
救世主としてもこれ以上彼らに人を襲わせないのが正しい判断だ。
それに今回のような事情なら、彼らがどんな目に遭おうがみんなも気にしないだろう。
現にこうしてこれでもかというほどの敵意が野盗たちに向けられているのだから。
私は視線だけを動かした。すると彼女の銀色の瞳から伸びる視線と交差する。
――あの子に任せよう。
「なあ、たの――ぐあっ!?」
私を拘束していた男が苦痛に満ちた声を上げた。
意を決した私が踵を持ち上げ、そのまま渾身の力で彼の足を踏み抜いたのだ。
途端に男による拘束が緩み、追撃として自らの肘を男の腹へと打ち付けてからみんなのいる方向へと逃げる。
「マスター!」
「主様!」
少しバランスを崩しながらも逃げる私をコウカが抱き留め、ダンゴが野盗たちとの間に入ることで守ってくれた。
さらには僅かに温かい風が吹き抜けていったことからノドカも風の結界を周囲に張ってくれたのだろう。
「なんだよ、コイツ!」
「素手で――いや、ちげぇのか!?」
騒ぐ野盗たちの間を小さな黒い影が駆け抜けると、途端に彼らは崩れ落ちていく。
影のように見えるそれの正体はアンヤだ。彼女は私を拘束していた男を完全に打ち倒した後、周囲の野盗たちも排除して回ってくれている。
そして彼らが騒いでいるのは、認識できず意味が分からない攻撃で倒されてしまっているからだった。
「アンヤ、援護するわ!」
「待って! ヒバナの魔法だと相手が死んじゃうかも!」
遅れてそばに駆け付けてくれたヒバナがフォルティアの先端を野盗たちへと向けだしたので、私は慌てて彼女に呼び掛けることで制止する。
だが彼女からは強く反発されてしまう。
「はぁ!? そんなこと気にする相手じゃないでしょ!」
「それでも。アンヤがああいうふうに倒してくれてるから、それを無駄にしちゃだめだよ!」
頭に血が上って過激になっているヒバナを思い止まらせる。
彼女に伝えた通り、アンヤは相手を殺してしまわないように朧月と体術だけで戦っているのだ。
私も認識できないので正確なことは分からないが、おそらく朧月も棟の部分だけを使っているのだろう。
そんな彼女の努力を水の泡にさせたくはなかった。
「だったらあたしが少しだけ援護するよ」
言うが早いか、シズクは野盗たちの足元へと水流を這わせ、足元を掬うように彼らの体勢を崩していく。
敵の中心で戦っていたアンヤが一瞬だけこちらに目を向けるがすぐに視線を正面へと戻すと、そのまま10秒も経たないうちに残りの野盗たちを壊滅させていた。
「……戦いやすかった……ありがとう」
「ほんとう? だったら嬉しいな」
朧月を鞘に納めながら戻ってきたアンヤがシズクに感謝を告げると、シズクが微笑んだ。
ホッコリとするような光景だが、そのまま見ているわけにもいかない。
私はコウカから離れ、振り返ると同時に頭を下げた。
「ごめん、みんな! でも助けてくれてありがとう」
「はぁ……不用心すぎ。これからは行動する前にちゃんと確認するか、アンヤも一緒にいるんだから連れて行くようにしてよね」
「あはは……仰る通りです」
耳が痛い。
ヒバナの言い分は尤もだろう。今回は一緒にミランに乗っていたアンヤを置いて、1人で行動したのが良くなかった。
1人では戦闘能力のほとんどない私が簡単に人質になってしまったせいで、みんなも動きづらくなってしまったのだ。
「すみません、マスター……わたしも油断してしまっていました……」
「仕方ないよ。こんな人間がいるなんて思ってなかったんでしょ? 私もすごく驚いたし」
みんなの行動が遅れたのは、これまで野盗のような悪い人間に出会ったことがなかったからだろう。
それに私自身に油断があったのもまた事実だ。
「……ごめんなさい。アンヤも……すぐに動くべきだった」
「迷っちゃったんだよね。こうして私は無事なんだし、気にしないで?」
アンヤの髪を撫でると、彼女は私の手に委ねるようにして頭を揺らした。
私のミスをカバーしてくれた今日一番の功労者であるアンヤが暗い顔をする必要なんてない。非があるのは全て私だ。
「お姉さま~手は~大丈夫なの~?」
「あ、そうだよ主様。あいつに掴まれてた手……今、アンヤを撫でている方でしょ?」
「ああ、大丈夫だよ。ほら」
疑問を発したノドカとダンゴに右手首を掲げ、見せてあげる。
掴まれた跡も残っていない綺麗な状態だ。
「魔力さえ回せば、これくらいすぐに治るからね」
この世界に来てから身体の造りが変わり、今のような怪我なら少し手首に魔力を回すだけで回復する。
精霊であるみんなほどではないが、私にも治癒能力は備わっているのだ。
実際にどこまで治るのか試すのは怖いのでやらないが。
「よかった~ひと安心~」
「わっ……とと。もう、ノドカってば」
ノドカは急に抱き着いてきたかと思えば、そのままニコニコと身体を揺らしていた。
そうして私が彼女の温もりを甘受していると、シズクがおずおずと声を掛けてくる。
「それでユウヒちゃん。あの人たちはどうするの?」
「え?」
彼女が指さしたのは制圧された野盗たちだった。
全員、気を失っているが目立った外傷はない。アンヤが頑張ってくれたのだろう。
「放っておきなさいよ。どうでもいいじゃない」
「同感です。もうあの男たちの顔を見たくありません。もちろん、マスターの判断次第ではありますけど」
2人の意見は彼らを放置して先に進むことだが、そういうわけにはいかないだろう。
「連れてくよ。このままにして行ってもまた他の人が被害に遭うだけだろうし、軍とかギルドとかに引き取ってもらおう」
その先で彼らがどうなるのかなんて、私の知ったことじゃないが。
「でもどうやって運ぶの? いっぱいいるよ?」
「あー……」
ダンゴの問いに言葉が詰まる。
正直に言うとそこまで考えていなかったのだ。数人程度ならまだしも十数人という人間を運ぶ手段がない。
どうしようかと考えていると、シズクがアイデアを提示してくれる。
「ロスたちでけん引できるような台車をダンゴちゃんに作ってもらって、そこに詰め込めば大丈夫だよ、きっと……」
「ボクが?」
「うん。こんな感じの――」
「ふむふむ――」
シズクが霊器“フィデス”で地面に台車の図を描き出し、彼女の思い描くイメージをダンゴへと伝えている。
しかし、フィデスの扱い方が果たしてそんな感じでいいのだろうかという疑念は禁じ得ない。
何はともあれ、ダンゴ謹製の簡易的な台車が出来上がった。
あとは野盗たちを詰め込み、4頭のスレイプニルでけん引するだけだ。
「ごめんね。重いと思うけど頑張ってね」
スレイプニルたちが鼻を鳴らすことで応えてくれる。コウカには反抗的なエルガーも私のお願いなら聞いてくれるのだ。
いや、コウカ以外のお願いなら大抵は聞いてくれると言うべきか。
逆にどうしてコウカの言うことを聞かないのか、理由は定かではない。
その後は野盗たちの身柄を引き渡し、さらに数日かけて先に進んでいった私たちだが、恐れていた事態が発生した。
無視して駆け抜けたもののまた野盗に絡まれかけたり、他人が野盗に襲われている場面に遭遇して助けたりと今までにない治安の悪さを肌で実感することになったのだ。
これ以上酷いことにならなければいいな、と私は一抹の不安を覚えながらグローリア帝国を目指し続けた。
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