テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
短編小説「はじめましてとさようなら」 名前は男の子名前ランキングの1位と2位です。
春の始まりを告げる淡い風が、桜並木を優しく揺らしている。大学構内を彩る花びらは朝日を受けてきらきらと輝き、胸の奥が少しくすぐったい。
碧(あおい)は大学入学の日、初めて見る広い教室の片隅で、少しだけ不安そうな顔をしていた。新しい街、新しい人々。期待と不安が入り混じるその胸の高鳴りを、彼はまだ持て余していた。
「……ここ、座ってもいい?」
控えめな声が横からした。顔を上げると、爽やかな印象を残す青年が立っていた。整った黒髪に澄んだ瞳――その人が湊(みなと)だった。
「うん、大丈夫だよ。」 それが二人の「はじめまして」。
***
大学生活は忙しかった。レポート、バイト、コンパ。けれど、碧にとって一番の楽しみは、授業が終わった後の小さな喫茶店で湊と過ごすひとときだった。
湊は、未知のものに臆することなく飛び込んでいく好奇心旺盛な性格で、碧の慎重さとは真逆だった。 「今日、新しいカフェ見つけたんだ。今から一緒に行ってみない?」
そんな湊の言葉に、碧はいつも流されるように頷いてしまう。
けれど、その「流される感覚」が、なんだか心地よかった。
***
ある秋の日、二人は静かな図書館で向かい合っていた。夕陽が窓から差し込み、湊の横顔をオレンジ色に染める。
「なあ、碧。来年、俺……海外留学することにした。」
不意に告げられた決断に、碧の心臓がぎゅっと縮こまった。
「そう、なんだ……。すごいね。湊なら、きっとどこだって大丈夫だよ。」
震える声を押し隠して、精一杯の笑顔を作る。それが、碧の「さようなら」の始まりだった。
その日から、季節はどんどん進んでいった。共に過ごす時間は何も変わらないはずなのに、どこか終わりを意識してしまう。湊の隣にいられる幸せと、やがて来る別れの予感が交互に胸を打つ。
湊は相変わらず明るい笑顔で「明日も一緒に」と手を振るけれど、碧の思いは徐々に募っていった。
***
旅立ちの日の朝、湊は駅で碧を待っていた。碧は、小さな紙袋を持って早足で駆け寄る。
「これ、良かったら持ってって。」 差し出したのは湊が好きだった桜の花びらを押し花にしたしおり。
「ありがとう。大切にするよ。」 湊は自然に碧の頭をぽん、と撫でた。そして、ふわりと抱きしめる。
「いってらっしゃい。」
「うん、ただいまって言いに、絶対戻ってくるから。」
その言葉と温もりが、碧の心に深く刻まれた。
***
湊がいなくなった日々は、最初こそ耐えがたかった。でも、碧は少しずつ新しい日常に馴染み始めていた。
メールや動画通話では繋がっていたけれど、“隣にいる”という体温はやはり特別だった。
季節は巡り、一年が経つ。桜の香りがまた街に降り注ぐ。
ふと、大学の門をくぐったとき、見覚えのある後ろ姿が目に入った。
「・・・・・・湊?」 その声に振り返った湊の笑顔は、以前よりも少しだけ大人びていた。
「ただいま、碧。」
“はじめまして”の頃よりも、二人はお互いを強く抱きしめた。
そして次は、どんな“さようなら”が来ても乗り越えられると思えた。
桜の花びらの舞う中で、二人の季節が、再び静かに動き出した。