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勇者としての訓練は、思っていたより早く始まりました。
というか、早すぎました!
「では本日から、実戦訓練です」
「じ、実戦……?」
私はリモコンを握ったまま固まりました。
まだ異世界に来て一日も経っていません。
心の準備どころか、靴もまだスリッパです。
「ご安心ください。勇者なので大丈夫です」
「その説明、昨日から一番信用できないです」
いくら「無理です」と言っても、
返ってくる理屈は、だいたい同じでした。
勇者だから。
加護があるから。
大丈夫だから。
大丈夫って何ですか。
勇者って保険証ですか?
*
モンスターと戦うなんて無理です。
はっきり言って、無理です。
だって私、家に【G☆】が出たら、
ナベを被って、ナベの蓋を盾にして、殺虫剤を一本使い切るタイプなんですよ?
そんな女に、スライム討伐を任せないでほしいです。
でも、いくら訴えても返ってくるのは、
「勇者なので大丈夫」
大丈夫って何ですか。
勇者って防虫スプレーですか?
そんな複雑な思いを抱えながら、
今は騎士団長の【ヨハネ】さんと近くのダンジョンに向かって歩いています。
(無口なヨハネさん……気まずいなぁ……。
何か話しかけた方がいいのかなぁ……)
「あ……今日は良い天気で……」
私が気まずい空気をなんとかしようと、
とりあえず無難に天気の話をしようとしたところ、
ヨハネさんが話しかけてきました。
「カエデ様」
「ひ、ひゃい!」
びっくりして声が上ずってしまいました。
恥ずかしいです……。
「あそこの岩陰にスライムが居ます。
準備運動にちょうど良いですね。戦ってみましょうか」
ヨハネさんが前方を指さしながら言いました。
「スラ……えええ……?」
とうとうモンスターが現れてしまいました……。
スライムは、私の膝くらいの高さで、ぷるぷる揺れています。
「ははは。訓練通りにすれば大丈夫ですよ。
カエデ様には何よりも勇者としての光の加護があります。
スライムくらいならカエデ様に傷一つ負わせることは出来ませんよ」
「そ……そうは言っても……」
ヨハネさんはそう言いますが、私には勇者の自覚もありません。
(……やだ……怖い……どうしよう……)
スライムが岩陰でプルプルと跳ねて、こちらを見ています。
(ダメです。怖いです。
足がすくんで動けません……)
その瞬間、サクラの声が蘇りました。
『逃げてもいいよ。でも私なら逃げた先でもケンカしてる。』
(……逃げた先でもどうせケンカするなら、最初から向かう方が早いじゃん)
(……サクラは、常に何かと戦っています……。
いつも何かと戦っています。何がそんなに気に食わないの?)
サクラは極端すぎます。
#溺愛
桜咲かな
681
#溺愛
桜咲かな
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蒼き流星ボトムズ
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こはる
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でも、少し見習います。
今回は逃げません!
(行くぞ……!)
震える手で武器を握り、スライムに向かって一歩踏み出しました。
恐る恐るスライムに近づこうとすると、ヨハネさんが言いました。
「……随分と、はみ出ていますね」
ヨハネさんは、岩陰のスライムだけを見ながら、冷静にそう言いました。
……。
……え?
(はみ出て……?)
その単語が、私の脳内で爆発しました。
(はみ出てるって何!? 誰が!? どこが!?)
「……は?」
私は一歩引きました。
反射的に、お腹のあたりを手で隠します。
「……え、ヨハネさん?
今の、何の話ですか?」
「? スライムですが」
即答でした。
視線も一切、ブレていません。
にも関わらず。
私の脳は、最悪の結論に到達しました。
(見てないからこそ、あえて言葉で!? 遠回しな体型批判!?)
「……なるほど。そう来ましたか」
驚きました。
こんな時にも贅肉チェックですか。
そうです。
昨日の夜、こっそり夜食のパンを食べたのがバレていたんです!
「え? スライム……のこと……ですけど……?」
必死に取り繕おうとするヨハネさん。
そんなわけありません。
騙されません。
そんな苦しい言い訳を、私が信じるわけがありません。
私は静かにリモコンを握りしめ、ヨハネさんに向けて『消音(ミュート)』ボタンを連打しました。
「まさか……私のベルトの上に乗ったお肉のことを!?
黙れ! 黙れ! 黙れぇ!!」
ピッピッピピッ!!
*
【同刻・タマイサ常闇ダンジョンのサクラ】
スン……
「……あれ?」
「お姉ちゃん……?」
急に、世界から音が消えた。
エストの口は動いている。
けれど、何も聞こえない。
「ちょっと待って、何これ。怖い怖い怖い」
自分の声すら聞こえない。
完全なる静寂。
その時──
サクラの頭上に、タライが現れた。
落ちてくる。
だが、無音。
「……え?」
ゴッ。
「~~~~ッッ!!!?」
痛みだけが来た。
悲鳴は出ているはずなのに、音がない。
数秒後──。
パッ。
「いっっっっったぁぁぁぁぁ!!?」
「お姉ちゃあああああん!!?」
《天の声:消音機能は用法・用量を守ってご使用ください》
*
【同刻・オサカのカエデ】
もちろん、ヨハネさんの声は消えません。
悔しいです!
「は……い……?
……私はそこの岩陰からスライムがはみ出していると……」
「うそだッ! スリムな男はみんなそう言うんだッ!
『ぽっちゃりも好きだよ』とか言いながらッ!
裏では『自己管理がなってない』って笑ってるんだッ!」
「えぇ……スラ……イム……?」
ヨハネさんが困惑したように目を泳がせました。
いいえ、誤魔化されません。
「そこのスライムと戦わせて、運動不足の私を走らせて、
上下に揺れる贅肉を観察するつもりなんでしょう!?」
「違います。スライムです」
「今度はスライムみたいな体型って言いたいんですか!? ぷるぷる揺れてるって言いたいんですか!?」
「いえ、ですからあそこの岩陰に……」
「岩陰の話なんてしてません!!」
「話が通じない……」
「さらに戦闘後に『いい汗かきましたね』って笑って、
ジムの入会申込書を差し出すつもりなんでしょう!?」
「異世界にジムはありません」
想像したら怖くなってきました。
異世界のパンが美味しすぎるのが悪いんです!
「……けて……助けてよーサクラーーーーー!!!」
「すみません! なんかすみません!」
ヨハネさんが、なぜか謝りました。
その横で、私は無意識にリモコンの電源ボタンを押していました。
その間、スライムはずっと、目の前の岩陰からはみ出ていました。
(ボヨヨン……)
結局、今日の実戦訓練は中止になりました。
*
【同刻・タマイサ常闇ダンジョンのサクラ】
ピッ。
しゅん。
「……え?」
さっきまで光っていたツノが、急に消灯した。
代わりに、ツノの根元で小さな赤い点が、ぽち……ぽち……と点滅している。
「お姉ちゃん、ツノが待機モードになってるよ!」
「待機モード!? 私の頭、家電売り場なの!?」
《天の声:省電力です》
「私のツノを家電扱いすな!!」
(つづく)
◇◇◇
──【今週のサクラ語録】──
『逃げてもいいよ。でも私なら逃げた先でもケンカしてる。』
解説:
逃げた先ですら修羅場にする天才、それがサクラ。
参考にはなりません。
でも、なぜか元気は出ます。
それが、カエデの心の支えだった。