街灯の光が、滲んで見えた。視界の端がずっと脈打っているのは、たぶん、歩きすぎたせいじゃない。
風が吹き抜けるたび、
シャツの下でまだ乾ききっていない傷が、ピリついた。
(べつに……痛くはない)
それはもう、何度も通った道だった。
“終わったあとの夜”──
どこにも行く場所のない身体を引きずって、人気のない通りをただ歩くだけの、意味のない逃避。
ふと、曲がり角の先に、影が見えた。
「……遥?」
その声で足が止まった。
振り返らなくても、誰の声か分かった。
──日下部。
(なんで……いま)
無言で立ち尽くす遥に、日下部が数歩近づく。
「……おまえ、顔……どうしたんだよ」
見てわかるはずの痕。
頬の擦過傷。首元にうっすら浮いた手の跡。
膝は擦れて、制服の袖口は汚れていた。
「ぶつけた。転んだ」
遥は、口角を引いて答える。
笑ってもいないのに、笑ってるふりの声音で。
「……で? なに。正義の味方のつもり?」
「そんなんじゃ──」
「なら、通りすぎれば? 用、ないんだろ」
冷たい声だった。
風のせいじゃない。
遥の声そのものが、芯から凍っていた。
「……前にも言ったろ」
「“演技だ”って、言ったよな」
日下部が言葉を詰まらせた。
遥はそれを見て、なおも口角だけで笑った。
「いいじゃん。正解なんだし。な? あのときの“見立て”、間違ってなかったろ」
足元のアスファルトを、遥が靴のつま先で蹴る。
「もう、ちゃんと“演じてる”よ。
喜んでるふりして、言われる前にやって、バカみたいに笑ってる。
……おまえが言った通りに」
日下部の手が、ほんの少し動いた。
けれど、その先には届かない。
「なあ……それでも」
「それでも、なに」
遥が初めて、真正面から日下部を見た。
目に光はなかった。
虚ろでも、涙でもない。
ただ、“底が抜けた”ような目だった。
「いまさら何言われても、戻らねえよ。
……おまえが、最後だったんだ」
言葉が、夜に沈んだ。
「おまえが“そっち側”だったから、もう全部どうでもよくなったんだよ」
日下部は、なにも返せなかった。
何も言えない沈黙が、ふたりの間に積もった。
その静寂を裂くように──遥が、笑った。
「なあ、見とけよ。
俺がどこまで堕ちるか。どこまで“見世物”になれるか。
……おまえが望んだとおりに、やってやるからさ」
その笑顔は、壊れた仮面でも、助けを乞うものでもなかった。
──捨てるための、最終的な武装だった。
そうして遥は背を向けた。
痕を引きずるように、夜の闇に消えていく。
日下部はただ、そこに立ち尽くすだけだった。
手を伸ばせば触れられたはずの距離で、
けれど──もう、どこにも届かない。