テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
──チャイムの音が遠かった。ボロボロになった制服の袖を引き、遥はゆっくり立ち上がる。
太ももに残る鈍い痛み、首筋についた埃と赤い痕、喉が焼けたみたいにヒリついていた。
(笑ってた。全員、笑ってた……)
用具室から出ると、すでに廊下には誰もいなかった。
けれど教室に戻れば──いる。
わかっているのに、脚はそっちへ向かっていた。
ガラッ──と引いた教室の引き戸。
その瞬間、沈黙がひとつだけ生まれた。
「おかえり、勇者様」
「ちゃんと“入って”た?」
「先生ー、波多野くん保健室行ってましたー、って書いときましたー!」
わざとらしい声。演技すら下手な演技。
教師は前を向いたまま「ありがとう」とだけ言った。
遥の席に戻る途中、何人かが足をひっかけてくる。
机の上には、飲みかけの水が撒かれていた。
日下部は、その中にいた。
まるで何も知らない、ただの転校生の顔で──ノートを取り、笑い、誰かと話している。
遥は目を逸らす。
(他人のフリ。いつも通りだ……)
でも、ポケットの中──スマホが震えた。
震えは一回だけ。通知は一つ。
「下校前。西階段の踊り場、例のとこ。扉は開けとく」
送信者名は伏せられていた。
でも、わかっていた。
そして、その指示が“次の時間”なのだと──もう、体が理解してしまっている。
放課後のチャイム。わずかに教室が緩む。
誰もが帰る準備をする中で、遥だけが立ち止まる。
自分に課された「次」のために。
──階段裏、3階と4階の間。
その踊り場は、死角になっていた。
防犯カメラも教師の目も届かない、“正式な”スケジュールの場所。
ガチャ──
開けたドアの奥、すでに何人かがいた。
「おせーよ。スマホ見てねーのかと思ったわ」
「ちゃんと来るんだよな、こいつ。健気すぎて泣ける」
「じゃ、今日は“音なし”でいこうぜ。声、出すなよ?」
足が蹴られ、背を壁に叩きつけられる。
左の肩を誰かが踏みつけた。
顔を撫でるような指の動き、わざとらしく髪を引かれる。
「喋れよ。昨日みたいに、何か言えよ」
遥は口を開いた。震えながらも、声を出す。
震えがバレたら、余計にやられると知っている。
「……マジで、面白がってんだな、おまえら」
「ん? なに?」
「自分がやられたら──すぐ泣くくせに」
笑いが起きた。
「やっべ、こいつ煽ってんじゃん?」
「いいね、反応点高め」
殴られた。
壁にぶつけられた頭が、遠くで“カーン”と音を立てる。
視界が一瞬、滲んだ。
でも、それでも喋った。
「……終わるまで、喋り続けてやるよ。黙らせてみろよ」
「──なあ」
ふと、低い声が混じる。
「おまえ、日下部にだけは逆らえねぇんだよな?」
誰かが笑った。遥は息を止めた。
「なんかあるの? 弱みとか?」
「マジで日下部の言うことだけは聞くよなぁ」
──瞬間、寒気が走った。
けれど誰も、それ以上深くは突っ込まず、ただその場を暴力で塗り潰していった。
階段の音で、父の帰宅を知った。
(まだ飯も食ってない……)
夕食の皿はすでに片付けられていた。
リビングに入ると、晃司がソファに肘を置いて足を投げ出している。
「あ、いた」
低い声。
遥は立ち止まった。
「オレ、今日“当番”だっけ? それとも、父さんの番?」
ソファの背にもたれていた晃司が、にや、と笑った。
「さっき、父さんが“やる気ねえなら交代してもいい”って言ってたよ」
遥は無言で息をのんだ。
「……どっちでもいいよ。どうせ誰かには、やられるんだし」
「ああ? なにその口のきき方」
晃司が立ち上がった。
その背後、義母の視線が冷たく流れてくる。
「じゃあ決めようか。“どこから”やるか」
父の足音が近づいていた。
テレビがついたまま、部屋は何もかも“いつも通り”だった。
(──今日も、普通に終わるんだ)
地獄のリレー。
朝、昼、夕方、夜──
その全部に、“自分の身体”が組み込まれている。