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鏡に映る自分を見るたび、胃の奥がせり上がるような吐き気を覚える。
ありふれた顔立ち、手入れの行き届かない髪、猫背で卑屈な立ち姿。
どこにでもいる、冴えない女子大生。
それが、私、奈緒という存在のすべてだった。
キャンパスを歩くとき、私はいつも壁際を這うようにして移動する。
周囲に漂う華やかな空気から
自分という存在が異物のように切り離されているのを感じながら。
「奈緒って、本当に慎ましいよね」
不意に背後からかけられた明るい声に、私は肩を震わせた。
振り返れば、そこにはこの大学で知らない者はいない、人気インフルエンサーの親友・美咲が立っていた。
彼女の周りには、いつでも陽だまりのような温かさと、人を惹きつける煌めきがある。
美咲が微笑むたびに、彼女の周囲の空気が甘く色づく 。
隣を歩く私の影は、彼女の強烈な光に晒されて、より一層色あせていくような気がした。
「ほら、これ。最近インスタグラムで案件もらってね、私が開発に関わった新作のフィルターなの。奈緒に一番最初に試してほしくて」
美咲が差し出してきたのは、最新機種のスマートフォンだった。
画面には見慣れないアイコンのアプリが起動している。
私は戸惑いながら、恐る恐るその端末を受け取った。
「……え、これ、なに?」
画面越しに映る自分の顔を、私は凝視した。
いつも通り、疲れた目元と冴えない表情の私がそこにいる。
だが、美咲が画面をスワイプした瞬間、現実は音を立てて崩れ去った。
「ふふっ、一番可愛く写るフィルターだよ」
美咲の囁きと共に、画面の中の私が変容する。
ぼやけていた輪郭が引き締まり、鼻筋は彫刻のように整えられ
瞳はレンズの中に宝石を閉じ込めたかのように潤んで大きくなった。
肌は発光するように陶器の滑らかさを纏い、画面の中の少女は
私の抱えるコンプレックスをすべて消し去った「完璧な美少女」へと昇華していた。
「えっ、す、すごい……!!美咲、これ、本当に私なの?」
心臓が跳ね上がり、呼吸が浅くなる。
鏡で見ているはずの自分とは違う
しかし「こうありたかった」理想の私が、画面の向こう側で微笑んでいる。
私は夢中になってシャッターを切り続けた。
フィルターを通した私が、SNSという海へ解き放たれていく。
その瞬間から、世界の色が変わった。
画面の中で微笑む「完璧な自分」を見て、私は初めて、自分の鏡像を許せる気がした。
いや、それどころか、この完璧な自分こそが本来の自分であり
今までの地味な姿はただの仮の宿に過ぎないのではないか――
そんな歪んだ高揚感が、血管を駆け巡る。
「気に入ってくれたみたいでよかった!これで、奈緒も私の一部になれるね」
美咲が満足げに細めた瞳が、どこか獲物を品定めするような熱を帯びていることに
その時の私は気づかなかった。
彼女の声が、妙に冷たく、そして甘美な呪いのように鼓膜の奥にこびりついたような気がした。
私はスマホの画面に釘付けになり
止まらない「いいね」の通知音を聞いていた。
それはまるで、私の魂を少しずつ吸い上げていく拍動のようだった。
脳が痺れるほどの承認欲求が、私の現実の輪郭を削り取っていく。
「もっと、もっとちょうだい」
私は無意識に呟いた。今の私には、画面の外の現実なんてどうでもよかった。
ただ、この完璧な自分を維持するために、どんなことだってできる。
そう確信した瞬間、私は知らず知らずのうちに
美咲が仕掛けた蜘蛛の巣の、もっとも深い場所へと足を踏み入れていたのかもしれない。
#パワハラ上司
#インフルエンサー
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