テラーノベル
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スタジオに組まれたマンションの一室。
今日撮るのは、長いすれ違いの末、ようやく想いが通じ合った恋人同士が迎える、何気ない朝のシーンだった。
印象的な台詞はない。
目を合わせて微笑みながら、名前を呼ぶ。それだけの場面。
「さあ、本番いくよ!」
大事な最終回の撮影に、気合いの入った監督の声が響く。
相手役の女優が、ゆっくりこちらを見上げる。
「…おはよう」
ベッドで向かい合って笑うその人に、微笑み返す。その瞬間。
「カット!」
監督の声が飛んだ。
「あー、ごめんごめん」
モニターを覗き込みながら、困ったように笑う。
「芝居はすごく自然なんだけどさ、」
はい、と軽く息を吐きながら頷く。
「もうちょっとだけ、好きな人を見る目、欲しいかな」
監督は自分の目元を軽く指しながら、以前にも何度か受けた演技のアドバイスを、穏やかな口調で繰り返した。
それが今日は痛いくらい胸の奥へまっすぐ入り込んできて、無意識に息を詰めた。
「前にも言ったけどさ。目って隠せないんだよ」
遠くを見るように、懐かしい何かを思い出すように、監督は続けた。
「好きってさ、見ようとしなくても、その人ばっかり見ちゃうんだよ。役者はそこを演じようとするけど、本当は逆なんだ。好きになったら、勝手に目が追う」
役者泣かせだけどね、腕の見せどころだよと、監督は笑いながら言った。
きっと本人にとっては、何度も演者へ伝えてきた、ありふれた演技論のひとつなのだろう。
けれどその言葉だけが、不思議なくらい胸の奥に残った。
――勝手に、目が追う。
その一節が、小さな棘みたいに引っ掛かったまま、離れなかった。
⸻
何度撮り直しても、OKは出なかった。
「ごめん、もう一回!」
「すいません!お願いします!」
相手は何も変わらない。嫌な顔ひとつせず、きちんと一定の演技を繰り返していた。
変われないのは、自分だけだった。
見つめて、笑って、名前を呼ぶ。
全部できる。
なのに、どこか空っぽだ。
「カット!」
監督が首を傾げる。
「惜しいんだよなあ」
「……すみません」
「いや、芝居じゃないんだよ。芝居はどんどん研ぎ澄まされていってるの、佐野くんは。だから、余計にもったいなくて」
求めすぎなのかな、と監督は笑って首を振る。
「経験の問題かもしれないね。でも、それは技術じゃ埋められないから」
⸻
一回気持ちを切り替えようと促され、休憩に入った。
頭を冷やすためスタジオの外に出て、先ほどまでのシーンを思い返していると、監督が缶コーヒーを片手に隣へ腰を下ろした。
「疲れた?」
「いや、大丈夫です」
「ほんと?」
「時間かかっちゃって、みなさんに本当に申し訳なくて…すいません」
監督は笑う。
「佐野くんさ、」
「はい?」
「誰かを、心の底から好きになったことある?」
一瞬、何を聞かれたのかわからず、反応が遅れてしまった。
「……え?」
「いや!ごめんね、そういうんじゃなく。役作りの上での世間話」
監督は声を出して笑った。
「そんな警戒しなくても。まあ今が大事なときだもんな」
「…びっくりしました」
「恋愛するとさ、好きな人を見るだけで、目が変わるんだよ。演技で作るより、本物のほうが早い。…まあ、アイドル相手にする話じゃないか」
冗談っぽく笑って立ち上がる。
「さ、あと一本!」
残された缶コーヒーの香りが、静かに漂った。
⸻誰かを心の底から好きになったこと、ある?
その問いだけが、頭から離れなかった。
⸻
「本番いきます!」
もう一度、女優と向かい合う。
見つめる。
違う。
また違う。
分からない。
好きな人を見る目。
⸻好きな人。
その瞬間だった。
「はやちゃん」
耳の奥で、声がした。
「おかえり」
ふわりと笑う顔。
「またね」
閉まりかけたエレベーター。
「ありがと」
少し照れた声。
「はやちゃん」
「おやすみ」
「大丈夫?」
ひとつ浮かぶ。
またひとつ。
止めようとしても止まらない。
名前を呼ぶ声が、笑顔が、
全部、柔太朗だった。
相手役の女優を見ているはずなのに、視線の奥にいるのは、どうしても別の誰かだった。
胸の奥が、少しだけ熱を持つ。
不思議なくらい自然に、相手へ笑い返した。
「……カット!」
監督の声が響く。
数秒の静寂。
それから、
「そうそう!」
監督がぱっと笑った。
「今の!今の目!それだよ、その温度!ちょ、ちゃんと撮れてる?寄りと、引きと…ちょっと、確認!!」
現場の空気が少しだけ緩んで、スタッフも頷いている。
「めちゃくちゃ良かったです」
相手役の女優がそう言って、歓声があがった。拍手をしてくれるスタッフ、隅の方で安堵のため息を吐くマネージャー。
でも、自分だけは動けなかった。
いま俺は、誰を思い浮かべた。
その問いだけが、心の奥へ、静かに沈んでいった。
あんり
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あんり
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#YJ
コメント
3件
いや〜、めっちゃ良かった……! 演技の話かと思いきや、ちゃんと「好きな人の目は勝手に追う」っていう監督の言葉が後で効いてくるの、構成が上手すぎる。で、あのシーンで相手女優を見てるのに脳裏に浮かんだのが柔太朗ってところがもう…グッと来たわ。技術じゃ埋められない“本物”の感情が演技を変えた瞬間、すごく丁寧に描かれてた。最後の「誰を思い浮かべた」って問い、余韻が深い。はやちゃんと柔太朗の関係性が気になって仕方ない! あんりさん、また続き書いてくれます?