テラーノベル
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水曜の朝十時、ラウンジの机に、私はノートを一冊置いた。
「利益の案です」
一ノ瀬はノートを開かなかった。
「紙か」
「パソコンの企画書も作りました。でも、先にこれを」
「理由は」
「十年分、ここに書いてあるので」
一ノ瀬はノートの表紙を指でなぞった。『小さな式のための十二の約束』。私の字だった。
「三十人までの式に絞ります。百人の式は、この式場の会場では一回しかできませんが、三十人なら庭と会場を分けて一日に三回できます。料理と花の原価は半分以下。司会と映像は、プランナーが兼ねます」
「人件費を削るのか」
「プランナーを増やします。司会を外注しない分で」
一ノ瀬はそこで、ノートを開いた。
一ページに一つ、約束が書いてある。十年、客に言ってきたことを、そのまま書いた。
一番。式の主役は二人ではなく、二人を見に来た人。
三番。花は少なく、席は近く。
七番。持ち込みは断る。ただし、一つだけ受ける。亡くなった人の花や、祖母の帯。一つだけなら、式が崩れない。
一ノ瀬は七番のページで、指を止めた。
「先週のバラの客は、これか」
「はい」
「数字が甘い」
一ノ瀬はノートを閉じ、パソコンの企画書のほうを開いた。黙って、最後のページまで読んだ。
「原価の半分以下、の根拠がない。三回転の客が本当に取れるかの根拠もない」
「取ります」
「根拠を聞いている」
「十年で、紹介で来た客が四割です。紹介で来る客は、式を小さくしたがります。見栄を張る相手が、もう来ているので」
一ノ瀬は、少しのあいだ窓を見た。
「この式場は閉めない」
若林が、横で万年筆を走らせた。
「新ブランドの最初の店にする。少人数の式。本部には私が出す」
「期限は」
若林が言った。一ノ瀬の代わりに言うのが、この人の役だと分かってきた。
「十二月十二日のプロポーズの式を、最初の実績にします。本部の人間が見に来ます。その日の式が、このノートの一番の証明になるかどうか」
私は、はい、と言った。
十二月十二日。ひなのの式が、私のノートの証明になる。
「ノートは返す」
一ノ瀬がノートを私のほうへ滑らせた。
「紙は一冊しかないんだろう。写しを取っておけ」
「はい」
私はノートを鞄に入れた。鞄の底には、紺のエプロンがまだ入っていた。
◇
ひなのの三回目は、十四時からだった。
「字幕、全部考えてきました」
ひなのはスマホの画面を私に向けた。かれんが横で撮っている。
「日記みたいに、日付と、私の一言。それでいいですよね」
「はい。お客様の言葉を、そのまま入れます」
「出会いは今年の三月。友達の店の飲み会で。彼、その日『合宿』だったんですって。会社に嘘ついて来てくれたの」
三月十四日。手帳の『合宿(栃木)』。
「そのときは、まだ奥さんのこと知らなくて。知ったのは五月かな。でも、もう終わってる人だって言うから」
「お写真は、三月から順に」
「そう。最後は十二月十二日の、プロポーズの瞬間を入れて終わり。当日撮ってもらえます?」
「カメラマンを入れます」
ひなのは打ち合わせ室の壁に貼った、過去の式の写真を見回した。
「ここ、写真はきれいなのに、スタッフは地味ですよね」
美咲が、ドアの横に立っていた。進行の確認に来たところだった。
「地味な人、ここ多いね」
ひなのは美咲を見て言った。かれんが半拍遅れて笑った。
美咲の口が開いた。私は、美咲の手の進行表を受け取る動きで、美咲の前に出た。
「スタッフは、お客様より目立たないように決めています。当日、一番きれいに映るのはお客様です」
「あ、そっか。そうですよね」
ひなのは満足して、スマホに戻った。
美咲は進行表を私に渡し、「すみません」と小声で言って出ていった。何に対しての謝りなのかは、聞かなかった。
◇
家に帰ると、悠人がいた。
二十時台に家にいるのは、今月で二度目になる。
「飯は食った」
「そう」
テーブルの上に、私のノートが置いてある。
鞄に入れたまま、玄関に置いたはずのノートが。
ノートは閉じてある。表紙が、私が置いたときより少し右を向いている。鞄の口も、開いている。
「お前の式場、グランシエルに買われたんだろ」
「ええ」
「弱点、教えろよ。ピッチの参考に。向こうが何を困ってるか知ってたほうが、勝てる」
「弱点は、人が足りないこと」
「それだけか」
「それだけ」
悠人は「使えねえな」と笑って、スマホを伏せた。
私は風呂に入り、二十分で出る。
悠人は仕事部屋にいる。テーブルの上のノートは同じ場所にあり、表紙だけが、まっすぐに直してあった。
伏せてあるスマホの横に、悠人の指紋が一つ、テーブルの照明で光っている。
私はノートを鞄に戻し、鞄の口を閉めた。閉めてから、鞄を寝室に持って入った。
何を撮られたのかは、分からない。分からないことは、分からないまま数える。四百十五個目は、言葉ではなかった。
◇
木曜の朝、一ノ瀬に呼ばれた。
ラウンジの机に、一枚の紙があった。アクセル広告、と社名が印刷してある。
「競合コンペの、現地確認の申し入れだ。三社とも、この式場を見に来る。新ブランドの最初の店だと伝えてあるからな」
「はい」
「アクセル広告の担当は、高梨悠人」
一ノ瀬は、私の顔を見なかった。紙を見ていた。
「明日の午後、ここを下見に来る。同席しろ」
木風
791
#サレ妻
都築七美
1,141
赤井 里会
1,613
ゆうき
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コメント
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# 第6話の感想 一ノ瀬相手に「十二の約束」のノートを堂々と提示する姿勢、めっちゃカッコよかったっす。「一番」の「主役は二人ではなく、二人を見に来た人」って考え方、この作品のテーマを体現してる感じがして痺れました。 そして家での悠人との静かな攻防…ノートの位置、指紋の光り方。何を撮られたか分からない「四百十五個目」の一文が不気味で、次回がどう転ぶかめちゃくちゃ気になる。