それから何日かが経った。相変わらず鬼の気配はするのに姿は見えない。結果が掴めない中、ただただ時間だけが過ぎていく。
「明日が結婚式ね…私は任務が重なって行けないけど幸せになってね!」
『ありがとう。蜜璃さんも幸せになって。』
“結婚式”。その言葉を聞くたびに体が重くなり、胃の奥が煮えたぎって来る。
どうしてなのだろう。別にどうでもいいはずなのに。
楽しそうに会話を弾ませる甘露寺さんと○○を横目に、しんしんと冷える冬の空が豪華な星空に彩られている景色をぼんやりと見つめる。奥の方にひっそりと広がっている夜の大きな池は、黒と見間違いそうな濃い紺色をしていた。
『蜜璃さんも添い遂げる方が居るんじゃないの?』
「え!?いやだ○○ちゃん、居ないわよ!」
○○はこの短期間で随分と甘露寺さんに懐いたのか、楽しそうに言葉を交わし合うものの、相変わらずその青い瞳には特別な光も感情も何一つ際立ったものの影も無い。ただただ偽りの色を映すだけの青い瞳は、驚くほどに冷え切っていた。
時折声を上げて笑う姿が奇跡なくらいだ。
「蜜璃!任務ヨ!」
しばらくして、そう一定のリズムを刻んで耳に流れ込んで来る○○たちの話し声に混じって甘露寺さんの鎹鴉の甲高い声が耳の中に入り込んで来た。
「あら…もうそんな時間なの…」
一気に気持ちが萎んだような声色でそう言葉を零す甘露寺さんの目には、寂しさが石のように沈んでいた。顔が首の付け根まで朱を注いだように真っ赤だった皮膚の赤みが口調に帯びていた軽い興奮とともに引いていく。
「ごめんなさい、もう行かなきゃ。」
『いいのよ。頑張ってきてね。』
○○は申し訳なさそうに眉を下げ謝る甘露寺さんに向って、淡い微笑みを頬に添えて。鈴をふるわすような澄んだ声で小さな言葉を落とした。
『蜜璃さんも行ってしまったし…ねぇ、わたくしの御話し相手になってくれないかしら。』
刀を握り、仕えた鎹鴉とともに慌しく村を出て任務へと行った甘露寺さんの背を見届けた○○が突然、親しい友人に語り掛けるような身近さで段々と話を進めていく。
「…あっち行ってくれない?僕、君のこと嫌いだから。」
『あら素直』
ふふ、と口元を隠して上品な笑いを零す○○について、しばらく一緒に過ごして分かったことがいくつかあった。
○○は村の中に隔離されていた。
別に特別体が弱いわけでも、性格が内向的という風にも感じられない。
むしろその逆だ。
着物が汚れるのも気にも留めず木登りや庭を走ったりだってするし、僕がこうやって迷惑そうに顔を顰めさせるのも構わずニコニコとお得意の愛想笑いを浮かべて馴れ馴れしく話しかけてくる。よく言えば元気で明るい子。悪く言えばうるさくて迷惑で馬鹿な子。
「…ねえ、なんで君はこの村の外に出ないの?」
しんみりとした沈黙を埋めるようにそう問いかける。
これだけ元気ならこんな窮屈で陰気な村じゃなくてもっと広く賑やかな町にでも出ればいいのに。そんな意味も込めて、すぐ隣で空一面に広がる星空を眺める○○に視線を移す。
『これでも一応この村の神様の許婚者ですからね。下手な行動は許されないの。』
水を張ったように静かな声で考える一瞬の素振りを見せず、○○はそう答えた。
視線は星空に縫い付けられたままだがその瞳には星の輝きなんて映してなくて、酷く虚ろ気に濁っているだけだった。「虚空を眺めている」という表現の方が正しいだろう。
『あ、お茶でも飲む?入れてくるわ』
パッと視線が僕に移り変わり、またもや別の方向へと定められる。
○○はそれだけ言うと、僕の返事を聞くよりも先に座っていた床から即座に立ち上がり、厨房へと駆けて行った。パタパタと小さな足音をたてて遠のいて行く黒髪に目を細め、僕は
細いため息を吐く。彼女はどうしてこうも人の話を最後まで聞かないのだろうか。
呆れを含んだままの視線を○○が去っていった場所から星空へと戻す。暗闇の中で一際目立つ3つの星がキラキラと周りの目も気にせず三角形の形を作って光り輝いていた。
「なんだっけあの星の名前…」
思い出そうと頭を働かせても脳内に覆いかぶさった霞が邪魔をして一向に思い出せない。
どうでもいいか、星の名前なんて。そう思考を手放そうと星から視線を区切ったその瞬間。
「なんで鬼狩りなんて奴らを村に入れたのよ!」
頭の芯に突き刺さるような尖った女の人の声が鼓膜を震わせた。それを追うように何かを叩くような乾いた音とガシャンという固い衝撃音が自身の耳のなかに飛び込んで来る。
「…うるさい」
あまりの騒がしさに、尖った釘の先で窓ガラスをこするような不快な音が鼓膜の奥底に纏わりついた。無意識に自身の眉の間に皺が寄り、表情が歪む。
音がするのは厨房、○○が去っていた方向だ。
何となく興味を奪われ、足を進ませる。
「あの方のご機嫌を損ねたりなんかしたら……アンタが全ての責任を終えるの!?」
厨房へ行くと、喉を締め付けられたような甲高い怒声を上げるどこか○○と似た顔立ちの女性が、何人かの大人たちに羽交い締めされていた。その顔立ちは○○に似ているのに、荒い感情をむき出しにする口調や纏う雰囲気は間反対だった。
バラバラに割れて散らばっている湯呑み。四方八方に手足を伸ばす薄い生き物のように広がる零れたお茶。半狂乱になって暴れまくる女性。その女性を取り押さえる大人たち。叩かれたであろう僅かに腫れた頬を押さえ、静かに俯く○○。
想像以上に修羅場過ぎて戻ろうか迷う。
「アンタなんてどうせもうすぐ死ぬんだから!この村の生贄になるためとして生まれただけのくせに、勝手なことしないでよ!」
熱い湯でも浴びたような早口になった女性の激しい怒りの籠った口調で吐き捨てられた“生贄”という単語に一瞬で鼓膜を引っ張られた。その瞬間、何者かに体を刺されたような衝撃を感じる。自身の耳の中に入り込んで来たその言葉が上手く脳内で処理できない。
「やめろ!儀式は明日なんだ、その前に贄が使い物にならなくなったらどうするんだ!」
大人たちが女性を落ち着かせるが、女性の口から押し寄せてくる言葉の怒涛は止まない。
生贄、儀式?死ぬ?誰が?…○○が?
どうして。だって。○○は嫁入りするって。それに、死ぬだなんて一言も。
様々な疑問が脳内を駆け巡って、溶けない困惑で思考がグシャグシャと停滞する。
「○○様…どうかお許しください…」
「お慈悲を……」
怯えた犬の悲鳴に似た哀れな声たちが鼓膜に触れた。
その声に、ハッと我に返って先ほどの光景に集点を合わせると、それまで頬を押さえてジッと俯いていた○○はしっかりと前を向いて感情の伏せた瞳で女性たちの方を見据えていた。
『…頭を上げて。気にしていないわ、彼女を放してあげて。』
そう言葉を零す○○の青く染まった瞳や鈴を転がるような声には怒りの音も悲しみの色も何一つ籠っていなかった。ただただ文字通り、淡々と言葉を零しているだけ。そんな不気味なほどに落ち着いた声は、怯えの詰まった静寂の空間に一筋の風のように響いてくる。
『自室で休むから緊急時以外呼ばないで。この棟には客人も居るのだから静かにしてね。』
「は、はい…!申し訳ございません…」
大人たちはそう言って、まだ怒りの籠った声で何かを叫んでいる女性を無理やり引きずるような形で連れて行き、場から消えていった。大勢の乱れた足音が段々と遠のいて行く。嵐が去ったような空気の荒れた静かさにどこか居心地の悪さを感じた。
○○は大丈夫なのだろうか。と視線を彼女の方へと滑らすと、何かの花が添え当てられた着物の裾を軽く捲って、割れた湯呑みの破片を素手で拾おうとしている様子が視界に映った。
「…そのまま触ったら指、切っちゃうよ。」
気付いた時には○○の傍に駆け寄っていて、その腕を掴んでいた。
大きく見開かれ、驚きの色が刻まれた青い瞳の中に僕が映る。
『え…無一郎くん…?』
星の明るい光に照らされて鮮やかに光る○○の赤い唇から、暗く掠れた声が落とされた。
『…バレちゃったわね。』
ぽとりと雫のように呟いた○○は、変に取り繕う素振りも戸惑う素振りも見せず、諦めたように弱弱しい笑みを頬に浮かべた。
明日卒業遠足で遊園地行く❕❕
コメント
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遊園地楽しんできてください‼︎