破片に触れた○○の指先方は案の定細い切り傷が出来ており、そこから絹糸のように細い赤い血がぷくりと滲み出ていた。先ほど抑えていた頬も少し爛れたように赤らんでいる。そんな軋むような指先と頬の痛みに耐えられなくなったのか○○の表情が微かに歪んだ。
「…ねぇ、医療品ってどこにあるの?」
『え?えっと、こっちよ…』
「そう」
困惑した音を舌の上に滲ませながらそう答える○○の腕を引いて無理やり立ち上がらせる。そして、骨の目立つ○○の細い指が差す方向を確認すると、僕はそのまま足を進ませた。
生贄ってなに?君は明日結婚するんじゃないの?というか君たちの言う“神様”って誰?何者なの?どこに居るの?どうして神様なんかと結婚するの?
─…死ぬって、なに?
聞きたいことは次々に浮かび上がって脳内を目まぐるしく動き回るのに、どうしても上手く言葉に出来ない。混乱と動揺が混ざり合って段々と視野が狭くなっていってしまう。
「…誰?あの女の人。」
結局言葉に出来たのは今一番気になっていることなんかじゃなくて、別に今聞かなくてもいいこと。言い終わった瞬間、自責の念が心を締め付ける。
『わたくしの姉よ』
そんな僕に気づかず、○○は意外とあっさりとそう答えた。
「随分と面倒くさい姉を持ってるんだね。」
『相変わらずの素直っぷりね。』
相変わらずなのは君の方だ。
実の姉に叩かれたのに、暴言を吐かれたというのに。○○は泣くことも弱音を言うことも無く、ただただいつも通りの下っ手くそな笑みを頬に刻んでいた。涙で言葉が沈んでいくことも、逆に声のトーンを無理やり明るくするということも無く、いつも通りの声で淡々と。
そんな○○と、恐らくその原因なのであろうあの大人たちに苛立ちが積った。
『手当てなんていいのに』
「黙って」
清潔そうな白い布に消毒液を掛け、○○の腫れた頬をそっと抑える。時折、傷口に沁みたのかギュッと目を閉じ、痛みに耐えるように顔を歪める○○の姿に罪悪感が込み上げてくる。
消毒が終われば腫れた頬には湿布を張り、切れた指先には絆創膏を巻く。
そうして一通り手当てが終われば、またもや疑問の嵐が脳内で止まない雨を降らす。
この村で何が起きているかだなんて、どれだけ考えても答えは欠片すらも浮かんでこない。
「…さっきのこと、教えてくれる?」
目の前で手当てされた自身の指先の絆創膏をぼんやりと見つめ、ジッと時が止まったかのように黙り込む○○に向って、僕はそう尋ねる。長い黒髪が顔に垂れているせいで表情は上手く読み取れない。だけど微かに聞こえてくる息遣いはいつもよりずっと弱弱しかった。
『…わたくしの部屋で話すわ。ついてきて。』
しばらく悩むような沈黙を降らしていた○○だったが、意を決したように言葉を吐き、いつも通りのあの感情の伏せた青い瞳で、僕の目を見つめた。
○○の部屋はまるで絵のような景色だった。
窓から覗く、墨のように黒一色に染められた空一面できらめく無数の星たちの姿がとても綺麗に見え、庭に植えられている“クロユリ”の花が神秘的な雰囲気を抱いて、風に吹かれユラユラと揺れていた。
6月から8月あたりに咲くはずの“クロユリ”が何故こんな季節に咲いているのだろう。
そんな疑問を問うよりも先に、○○に座るよう促され、縁側へと腰かける。
○○は俯いたまま。
『…あのね、』
そこまで言いかけると、下を向いていた○○の視線が動き、長い睫毛に囲まれたガラス細工のように綺麗で大きな○○の青い瞳が僕の姿をしっかりと捉えた。緊張の詰まった空気に圧倒され、ゴクリと固唾を飲みこむ。
○○は大きく息を吸い込んで、その先の言葉を綴った。
『…わたくしたちが暮らしているこの村は呪われているの。』
何年も前に録音されたテープを回しているような、酷く曇った声だった。
突然告げられたその言葉に一瞬、思考が止まる。
「…のろい?」
一瞬の間を開けて聞き返したその言葉は、異国の言葉のように聞き馴染みのない響きを持って、僕の耳に入り込んで来た。疑問の雲は解けるどころか段々と広がっていく。僕はこんがらかっていった思考を無理やり掴み、話に着いていくことに神経を集中する。
『わたくしや無一郎くんたちが産まれる、ずっと昔。』
『この村のある住民が“神様”の逆鱗に触れてしまったっていう話を聞いたの。』
吐息が多く含まれた、声というよりも息に近い声色で○○がそう言った。そして僕から視線を逸らし、丸っこい目を糸のように細めて氷のように凍ってキラキラと輝く星空を眺める。
逆鱗触れられて激怒した“神様”はこの村に呪いをかけ、一定の年になると村人たちは不可解な死を遂げることになったと言う。そうして村人たちは次第に、「次は自分の番だ」と恐れるようになり、夜も満足に眠れなくなっていった。
ある年、そんな村全体に降りかかってきた苦痛の嵐に耐えきれなくなった何百年前のこの村の長が、自分の娘を“神様”に売ったらしい。言わばご機嫌取り、そして“生贄”。
『こうして年頃の娘を神に贄として捧げることでこの村は災いを受けずに済んだ。』
幼子に絵本の読み聞かせをするような、体中に響く柔らかで澄んだ○○の声が自身の鼓膜を埋める。耳底に残った今までの話の余韻が濃い違和感を植え付けていく。
嫌な予感が脳裏を掠めた。
『そして今代の贄がわたくし。』
今一番聞きたくなかった言葉が一瞬の躊躇いも無く僕の鼓膜に触れた。その言葉の意味を理解した途端、胸の内に眠っていた心臓が嫌に大きく跳ね、生暖かい血液をべっとりと身体中に塗りたくられたような不快感が心を占めた。頭が割れそうになるほどの強い頭痛と甲高い耳鳴りが頭の中をハエのように駆け回る。
「…君は死ぬの?」
そう問うた自身の声のトーンは全く変えていないはずなのに前よりもずっと冷たく硬く、冷えた風に聞こえた。
「こんなちっぽけな村の為に死ぬなんて。逃げようとは思わないの?」
自分の意思とは反対に口は言葉を紡いでいく。
すぐ隣の、手が届くほどの距離で星の明るい光に打たれる少女が、まさか明日死ぬのだなんて信じられなかった。…いや、信じたくなかった。
『それが出来ないのは歴史が証明しているわ。』
絞り出すように告げられたその○○の声に合わせて、それまで真っ暗な夜空に隠れていた月がベールほど薄い雲を纏って姿を現した。そんな幻想的で夢幻的な風景が、花弁のように繊細で弱弱しい笑みを浮かべる○○の姿と重なる。
「…君の家族はこのことについてどう思っているの?」
今にもバラバラに壊れて消えていきそうなほど儚く、脆い目の前の少女をどうにか自分の傍から離れていかないようにしたくて、口が勝手に言葉を作り出してしまう。
どうか救いの手を見つけてほしかった。助かる方法を見つけたかった。
だけど、○○が紡いだ言葉はそんな希望とは程遠くて。
『親として子供であるわたくしに情が移らぬようにと殺されたわ。残っているのは姉だけ。』
頭の奥に染み入るように響いてくる濁りのない声で告げられたその言葉に僕はなんて声をかけるのが正解だったのだろうか。
「…殺された?」
彼女の口から綴られた言葉が信じられなくてそう問い返す。
『えぇ。わたくしも深くは知らないけどね。』
用意された台本を読むように淡々とした口調でそう語る○○の姿は村の操り人形のように見えた。“感情”という部品を盗まれ、いいように使われているだけの将棋の駒のようで。
そんな姿が─
…螟ァ螂ス縺阪□縺」縺�
一番書きたかったシーン❕❕
遊園地楽しかったです🎠✨
コメント
2件
遊園地🎡私も行きたいなぁー!