テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
美咲が、帰って来ない。
夕飯を食べ帰宅した廉は、玄関を開けて直ぐ違和感に気づいた。美咲のスニーカーがない。いつもバイト先へと履いて行くスニーカーがないのだ。
嫌な予感が頭をよぎり腕時計を見おろせば、時計の針は零時をまわっていた。
美咲は、どこにいる。
頭を支配する恐怖に急かされ、靴を脱ぎ捨てリビングへと駆け込むが、部屋は暗く静まりかえっている。慌てて踵を返し寝室の扉をあけるが、見慣れたベッドは綺麗に整えられ、そこに美咲の姿はなかった。
廉の心に焦りだけが募っていく。
まだ、帰っていないなんてこと、あるのか。
寝室の真向かいにある美咲の部屋の扉を開けるが、彼女はいない。
美咲が、帰っていない。
スーツの胸ポケットからスマホを取り出し、震える手でGPSアプリを立ち上げる。
今日はバイトの日だ。
きっとバイト仲間に誘われて飲みにでも行っているのだろう。たまに、抜けたところのある美咲のことだ。連絡を入れるのを忘れてしまっただけだ。
焦るなと己に言い聞かせGPSを操作した廉だったが、スマホ上に美咲を表す点滅を見つけることが出来ない。
「――くそっ!」
美咲は、どこへ行ったんだ。
何度も、何度も電話をかけるが無情にも廉の耳に入るのは、無機質な機械音のみ。意図的に、電源が切られている。
事故、事件……、嫌な想像ばかりが頭の中をクルクルと回る。
いつもと変わらない朝。
家を出る直前に美咲を起こし、眠気まなこの彼女へとキスを落とし出勤する朝。幸せな朝のやり取りに浮かれ、美咲の変化に気づかなかったのだろうか。
美咲の私室へと取って帰した廉は、部屋の中を手当たり次第、探しはじめる。そして見つかったのは、不採用を告げる手紙だった。
まさか、最終面接に落ちたショックで。
「美咲、どこにいる!」
どこに居るのか、何の手掛かりもない今の状況に焦燥感だけが募っていく。
嫌な想像ばかりが頭に浮かび、ジッと座っていることも出来ず、ウロウロとリビングを歩き回る。ただ、状況は変わらない。己の無力さに、ただ絶望するだけだった。
「どうにかして、美咲を探し出さなければ。バイト先、大学の友達、実家……、警察……」
突然、手元のスマホが鳴り出す。
「美咲なのか!?」
廉は、相手が誰かも確認せず電話に出ていた。
「兄貴、俺だよ。今いいか?」
「――遥か。すまないが、話している余裕はない。明日、聞くから切るぞ」
スマホを耳から離し、電話を切ろうとした廉の手が、遥の口から発せられた言葉に止まる。
「ちょっと、待って!! 美咲のことだから」
「美咲、だって!! 遥、何か知っているのか!?」
「あぁ、知っている。今、美咲は俺の家にいる。
あっ! 勘違いするなよ。間違っても手は出してないから。夜中に突然メールが来てさ、呼び出されたんだよ。メールの文面が、あまりに物騒だったから慌てて合流したら、泣き崩れるしさ、そのままにして置けないだろう。とりあえず、家に連れて来た」
遥の言葉に一瞬、血がのぼりかけた己の狭量さに苦笑し、落ち着けと自分に言い聞かす。
「兄貴の家に帰りたくないって言うし、仕方なかったんだよ。兄貴、何か心当たりないか? 美咲、何にも、話さないんだ」
「美咲は、遥の家にいるんだな?」
「あぁ。やっと、寝たよ。しばらく、泣いてたかなぁ」
「美咲は、泣いていたのか?」
「あぁ。呼び出された喫茶店で合流した時からずっとだ。何も言わないけど兄貴絡みじゃないのか。兄貴の家に、帰りたくないって言うしさ」
遥の言葉が信じられず、耳から耳へと抜けていく。美咲との関係は、良好そのものだったのだ。数日前に観覧車の中で将来を誓い合ったばかりだというのに、美咲が逃げ出す理由がわからない。
やっと気持ちが通じ合い、これから未来へ向け二人で進んで行こうと考えていたのに……
「まさか、始めから……」
確信めいた答えが脳裏をよぎり、スマホが手から滑り落ちた。
心が狭く、嫉妬深い男。
美咲の気持ちを無視して、囲った。
本当は、ずっと逃げ出したかったのだろう。
だから、美咲は逃げた。
三年前より辛い現実が、廉の心をむしばむ。
絶望に沈んだ日々が頭をくるくるとまわり、心が崩壊していく。
「俺は……、俺は、何を間違えた」
「おい! 兄貴。おい、大丈夫か!?」
床へと落ちたスマホから遥の声が聴こえ、我に返った廉は力なくソファへと落ちる。
美咲を手放すべきだと頭ではわかっている。これ以上、彼女を苦しめるべきではないと。しかし、心が、美咲を手放すことを許さない。
「なぁ、はるか。俺は、それでも美咲をあきらめられない」
スマホ越しに遥の息をのむ声が聴こえ、廉は自嘲的な笑みをこぼす。
「ちょっと、落ち着け。兄貴まで激情のまま動いたら、上手く行くものも行かなくなるだろう。冷静になれって」
「はるか、俺は冷静だよ」
「うそ言え。今の兄貴、怖ぇよ。本気で美咲を囲うつもりだろ。違うか?」
美咲を囲う。
失うくらいなら、囲ってしまえと過去の俺がそそのかす。
「くくく、そうだな。美咲を囲ってしまえば、もう俺から離れない」
淀み、濁った欲が壊れた心を満たし、真っ黒に染めていく。狂気めいた感情に支配されそうになったその時、遥の言葉が堕ちそうになる心を引きとめた。
「兄貴、それでいいのかよ。このまま囲ったら、美咲の心は一生手に入らない。それでも、いいのかよ」
激情のまま、怒りに我を忘れ美咲を傷つけた日々が頭をめぐる。冷静に向き合う必要があると分かっている。きちんと、話し合う必要が。
しかし、美咲が手元にいない焦燥感に我を忘れ、闇へと堕ちそうになる。
「そうだな……、結局、俺は何も変わっていない。美咲と別れた三年前から、何も。愛想を尽かされても仕方ないな」
「なぁ、兄貴。まだ、遅くねぇんじゃね。今だから言うけど、美咲は三年前も今も、兄貴が全てなんだよ」
一筋の光が、闇に染まった心に差し込む。
「まだ、間に合うのだろうか……」
「あぁ、まだ間に合う。だから、待ってやれよ。美咲の気が済むまでさ」
「はるか、ありがとう」
涙声だった。
きっと遥には気づかれているだろう。
「まぁ、どちらにしろ、今は無理に連れ帰らない方がいいと思う。とりあえず、俺ん家で預かるから、様子見て兄貴と話すように促すわ」
「分かった」
電話を切り、深いため息をこぼす。
「美咲……、ごめん」
過去の過ちが、脳裏に去来しては消えていく。後悔の念に耐えながら、廉は一人待つしかなかった。
コメント
1件
第26話、廉の焦りと絶望がすごく伝わってきた…。美咲がいないってわかった瞬間の、あの「囲ってしまえ」っていう狂気と、遥の「心は一生手に入らない」って言葉の対比が胸に刺さったよ。過去の自分を責めながらも、待つことを選んだ廉、ちゃんと成長してるんだね。重いけど、優しい世界をありがとう、湊未来さん😢🤍