薄緑の遮光カーテンの隙間から注ぐ、容赦のない陽光。スマートフォンで五分おきに設定している目覚ましを、薄っすらとこじ開けた片目だけで止めたのは、二回目だった。
ピンポン、と小鳥の囀りよりはいくらか落ち着いた音色の呼び鈴に、功基は再び沈みこんだ意識を浮上させる。
今日は一限からなので、目覚ましの設定は七時にしていた筈だ。時折気紛れに届く実家からの差し入れにしては、時間が早過ぎるだろう。
隣の家だったのかもしれない。そう思いながら功基はゴロリと壁側を向いた。
ピンポン。繰り返された音色は、やはり功基を呼んでいる。
「……誰だよ」
名残惜しくも温かな布団から身を起こし、盛大なあくびを隠すことなく床に足をついてから、指先のヒンヤリとした感覚に功基の思考がはっと目覚めた。
そうだった。すっかり、忘れていた。
「悪い! 忘れてた!」
勢い良く開いた扉の先には相変わらずの無表情のまま、片手にビニール袋を下げた成り行きの『執事』サマが立っていた。
功基の家から大学までは、歩いて三十分程で着く。にもかかわらず、出発より一時間も前に起床時間を設定しているのは、講義の最中に腹が鳴っては困るとしっかり朝食をとっているからだ。
朝食といっても、六個入りのロールパンの半分程をティーバッグの紅茶と共に流し込んでみたり、小分けにして冷凍していた白米にふりかけをかけて腹に収めたりと、手軽かつ適当な食事である。
「さすがっつーか、真面目っつーか……」
目の前に並べられた朝食に、功基はただただ感服する。
カリリと焼かれたトーストに、半熟黄身の目玉焼き。添えられたレタスの緑とプチトマトの赤が、面白味のない白い皿に清涼感を生み出している。
少し遅れて出されたティーカップにはフォートナム&メイソンのイングリッシュブレックファースト。その名の通り、朝食に持って来いのブレンドティーだ。
功基が顔を洗い、着替えを済まし、髪のセットをしていた十五分程で、邦和は『ザ・朝食』を二セット用意していた。
「昨日確認するのを忘れておりまして……和食派でしたか?」
「いや、特に拘りはねーけど、連絡くれりゃ良かったのに」
連絡先は昨日交換している。
首を傾げた功基から、邦和が気まずそうにそっと目を逸らした。
「ご連絡、させて頂こうと思ったのですが……少々問題がおきまして」
「ふーん?」
(電池切れか?)
夕食の後、何かひとつでもという功基の進言を押し留め、邦和は洗い物に風呂掃除と次々とこなしていった。功基の風呂場には浴室乾燥機がついている。溜まってた洗濯もと言われ、功基がさすがにそれはと断ると、心底残念そうにしていた。
結局、自身は風呂に入る事もなく、来た時よりも満足気な顔で「また、明日お伺い致します」と邦和が帰っていったのは、二十三時を過ぎてからだった。充電が切れてしまっても、おかしくはない。
因みに邦和は、ここから十分程の所に住んでいるという。「ご近所さんか」と功基が笑うと、邦和はその端正な顔で至極真面目に「運命的ですね」と返してきた。その頃にはすっかり、邦和のこういった突拍子もない言動にも慣れていた。
ありがたく朝食を平らげて、功基は邦和と共にいつも通りに家を出た。
教授の目が届きにくい後ろ列の窓側を陣取る為、少し早めに到着するようにしている。
(そーいやコイツ、こっちくる方が遠いだろーに)
特にこれといった会話もなく、真っ直ぐ前を見据えて隣を歩く邦和を目だけで盗み見る。
目覚ましのアラームがなる度に、あと五分、あと五分と繰り返す功基にとって、朝の数分は貴重な微睡みの時間だ。
わざわざ遠回りをして、更には他人の為に時間を割くなど面倒極まりないと思うのだが、それを指摘した所であっさりと否定されるのがオチだろう。
(変なヤツ)
そんなに『執事』とやらに憧れていたのか。
脳内に戦隊モノのヒーローを夢見る少年がふっと浮かび、功基は心中でこんな感じかと納得する。
程なくしてたどり着いた正門前で、功基は邦和に深々と頭を下げられた。手を胸に当てていなかったのが、幸いだった。
「ではまた後ほど。何かございましたら、いつでもご連絡ください」
「おう……」
何もないと思うけどな。
喉元で留めて、講義室のある第二号館へ向かおうと背を向けてから、はたと思い当たった功基は「そういえば」と邦和を振り返った。
「お前、何号館? 近いなら途中まで行こうぜ」
「申し訳ありません。私は本日二限目からですので、これから図書室へ向かおうかと」
「……は?」
「ああ、あまり遅くなってしまってはいけません。お急ぎください」
腕時計を確認した邦和に促され、功基は思考を衝撃にとられたまま足だけを動かした。
今日は、二限から?
確かに昨夜、邦和に求められ時間割を教えた。だからといって、まさかこうして功基の予定だけを優先してくるとは。
(マジなんなんだよアイツ……!?)
こんな事があっていいのか、いや、いい筈がない。
功基が大企業の息子やら、実は莫大な資産を抱えているような本当の『主人』ならば、そんな不条理もまかり通るのだろう。
だが功基はただの貧乏学生であり、金銭の授受もなく、交換条件として主人とやらに据え置かれているだけだ。
「ええー、別に本人がそれで満足してるんなら、いいんじゃん?」
昼休みの食堂。オムライスのセットランチを手に席に着くやいなや、庸司に奇妙な主従関係をざっくりと説明すると、スプーンを片手に首を傾げられた。
「いや、よかねーだろ。オレ別に金払ってるワケじゃないんだぞ」
「でもあのワンコ君はそれでいいって言ってるんでしょ?」
「ワンコ君て。まぁ……そうだけど」
「じゃあ、好きにさせておけばいいじゃん。今聞いた限りじゃあ、功基に害があるって感じじゃないし。まったく、朝からすっごい思い詰めた顔してたから、場合によっちゃあ殴りこみが必要かなって意気込んじゃったよ」
「庸司……お前、いいヤツだったんだな」
「え、今更? 拗ねるよ?」
「冗談だって。悪かったよ、心配かけて。でも十分とんでもねーだろ? 昼飯だって弁当作るとか言い出して、止めんの大変だったんだからな」
なんなんだアイツは食わせたがりか。
グッタリと頭を垂れる功基の向かいで、庸司はパクパクとオムライスをたいらげていく。
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