テラーノベル
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「……は?詐欺? 私が?」
警察官の吐き出した不穏な単語が、鼓膜の奥で不快な耳鳴りを引き起こす。
ドアの細い隙間から差し込む共用廊下の白い光。
その向こうに控える数人の刑事たち。
背後のリビングでは、男が息を殺し
クローゼットの死角に身を潜めている禍々しい気配が肌に伝わってきた。
(違う。私は、ただサヤになりたかっただけ。投資も、お金も知らない。誰も騙してなんてない……!)
喉元までせり上がった悲鳴を、サヤから盗み取った「気品ある微笑み」の型に無理やり押し込める。
ここで取り乱せば、私はただの不審な侵入者として
あるいは共犯者として引きずり出される。
サヤとして、完璧な淑女として振る舞い通すことだけが、この泥沼を渡りきる唯一の浮き輪だった。
「……何かの間違いじゃないですか? 私、今日は一日中、ずっと家で動画の編集作業をしていたんです。ほら、これを見ていただければ……」
私は指先の震えを抑え、自分の安物のスマホではなく
先ほど奪い取ったばかりの「本物のサヤ」の端末を、聖遺物のように恭しく差し出した。
刑事の一人が、眉間に深い皺を刻んでその画面を覗き込む。
その時だった。
静まり返った背後のクローゼットから、ガタッ、という乾いた破壊音が室内に響き渡った。
「……奥に誰かいるのか?」
刑事の眼光が、一瞬にして猛禽類のような鋭さを帯びる。
「あ、いえ! それは、最近飼い始めた猫が暴れているだけで……!」
必死に嘘を編み上げる私の視界の端に、クローゼットの扉の隙間から
這い出そうとする「本物」の指先が見えた。
ガムテープを自力で引き剥がそうとしたのか
爪は剥がれ、どす黒い血が床のシャギーラグを汚している。
「……念のため、中を確認させてもらいます」
刑事が私の制止を無視し、強引にドアを押し開けて土足で部屋へと踏み込んできた。
万事休すだ。
男が逆上してスコップを振り回し、血の海と化すか。
あるいは変わり果てたサヤが発見され、私が殺人未遂の現行犯として連行されるか。
破滅の足音が、狂った心臓の鼓動と重なり、頭の中が真っ白に弾ける。
しかし、次の瞬間
クローゼットを蹴破るようにして飛び出してきたのは、ボロボロになり果てた惨めなサヤではなかった。
「……刑事さん! 助けてください!この女が、急に部屋に押し入ってきて……っ!」
そこには、いつの間にか自力で拘束を解き
あろうことか男をも背後から置物で殴り倒したらしい「本物」のサヤが立っていた。
彼女は、私が今着ているのと同じブランドの予備のワンピースを素早く羽織り
乱れた髪を一瞬で完璧に整え、大粒の涙を流しながら私を指差した。
「この人、私のストーカーなんです! 私の服やメイクを全部盗んで、私のフリをしてSNSまで乗っ取って……! 私、殺されると思って、ずっと隠れてたんです!」
その演技は、あまりにも、あまりにも完璧だった。
私の100倍、いや1000倍も
彼女は「大衆に愛される悲劇のヒロイン」を演じるプロフェッショナルだったのだ。
刑事たちの冷徹な視線が一斉に、標的を変えて私に突き刺さる。
「……君。君が、佐藤サヤさんのストーカーか?」
私は声が出なかった。
鏡を見るまでもない。
今の私は、深夜にゴミを漁って服を汚し
他人の家でガタガタと震えている、ただの気味の悪い「偽物」の姿。
隣で刑事の腕にすがりつき、可憐に泣き崩れる彼女こそが
世間が求め、崇拝している、あの美しいサヤそのものだった。
本物のサヤが、刑事の影に隠れ、私にしか見えない死角で───
ニヤリと、蛇のように口角を上げた。
「やっと会えたね。……私の『代わり』になってくれる人」
その歪な満面の笑みは
私が鏡の前で一万回以上練習した、あの「世界で一番幸せな顔」そのものだった。
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#パワハラ上司
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