僕はトラビスから手を離し、今度はレナードの手を握る。
「レナードも頼りにしてるよ。王と民を守ってほしい。僕の最後のお願い、聞いてくれる?」
「…かしこまりました」
レナードが大きな手で僕の手を握り返して、頭を下げる。
僕がレナードとトラビスを見て頷いていると、トラビスと目が合った。
「なに?まだなにか言いたいことがあるの?」
「はい。あの…ラズールは戻ってくるのですよね?フィル様とリアム様と三人でバイロン国に残ったりは…」
「まさか!僕がリアムと会えたら、ラズールには国に戻ってもらうよ。彼は優秀だから、これからもイヴァルのために働いてもらいたい」
「そうですよね…。しかしラズールが素直に戻って来るだろうか」
「僕が命ずる。それにラズールも、僕のことばかりではなく、国のことも考えてるよ」
「そうは思えませんけどね…」
トラビスがブツブツと口の中で呟きながら、元の場所に戻って座る。
ラズールとトラビスは仲が悪い。僕がいなくなった後、大丈夫かなと少し心配になる。でも、何とかなるだろう。僕が信頼する大好きな人達だから。きっとうまくやってくれる。
僕はカップに入った香りのいい茶を一気に飲み干すと、明るく言った。
「さあ、今から準備をするよ!トラビスはクルト王子とラズールを連れてきて。レナードは、数名の見張りを残して帰城の準備をお願い。クルト王子をバイロン国に帰した直後に僕とラズールが潜入する。バイロン軍が国境を離れたのを確認したら、トラビスと共に王都に戻って。そしてすぐに大宰相と大臣達を集めて、ネロを王にして」
「…はい」
「承知…しました」
「二人とも、声が小さい。他国の騎士の前で情けないよ」
「情けなくもなります。将軍だから威厳を保たねばとかどうでもいいです。俺は、フィル様とお別れすることが、心底辛いです…」
大きな身体を小さく丸めて、トラビスが暗い声を出す。
レナードも、同じようにして頷いている。
この国で僕にまともに向き合ってくれるのなんて、ラズールだけだった。ずっとラズールしかいないと思っていた。だけど、トラビスもレナードも、僕がいなくなることが辛いと悲しんでくれる。辛いことばかりの人生だったけど、もしかして僕は、幸せだったのかもしれない。呪われた子だからと諦めていたけど、もっと頑張ればよかった。長い命が約束されていたなら、国や民を幸せにするために、もっと頑張りたかった。でも仕方がない。僕には時間がない。あとは皆に託すから。どうか僕の想いを受け取って。
朝餉を食べ終えてトラビスとレナードが出て行った。そしてすぐにトラビスがラズールと共に、クルト王子をつれて戻ってきた。
クルト王子の両手は拘束されたままだ。
僕はクルト王子に椅子に座るようにすすめ、天幕の隅にいたぜノにも座るように言う。
「ゼノもこっちに来て座って」
「はい」
「ふん、ゼノは拘束されてないのだな。やはりリアムと貴様は以前から繋がっていた」
「リアムは僕の命の恩人です。王子の立場とか関係なく二人で旅をしました。僕にとって大切な人です」
「国よりもか?」
クルト王子の言葉が胸に鋭く刺さる。でも僕の気持ちは揺らいだりしない。
「はい。比べられるものではないけれど、僕はリアムを選びます」
「ははっ!とんだ王様だな。国よりも一人の男を選ぶのか!」
「…もし僕に時間があれば、両方を選びます。でももう、時間がない。それならば後悔しない方を選びたい」
「時間とは?」
僕はハッとして、顔を上げてクルト王子を見た。 危ない。僕の命が短いことを知られてはいけない。リアムに会いに行こうとしていることを気づかれてはならない。
「クルト王子には関係のないことです。王子は昨日、僕に興味などないと言ってましたよね?どうかお気になさらず。速やかに軍を撤退させることだけを考えてください」
「ふん、口が立つのが小賢しい」
「それは褒め言葉ですか?」
「知らぬ。では早く俺を国境へ連れて行け。もう一人の俺の部下はどうした?」
「先に国境へ行ってもらいました。クルト王子には、行く前にやっていただくことがあります」
「なんだ?」
「こちらに名前を書いてください」
僕はクルト王子の目の前に、紙を差し出した。
必ず軍を撤退させるという、誓約書だ。
クルト王子は黙って紙を見つめた後に、素直に筆を受け取ると、腕を拘束されたまま、器用に名前を書いた。
僕は紙を手に取り、トラビスに渡す。そしてクルト王子に微笑む。
「ありがとうございます。拒否されると思ってたので、少し驚きましたよ」
「俺を見くびるな。こちらこそ驚きだ。二度とイヴァル帝国に攻め入るなと誓わせればいいものを。なぜそこまで書かなかった?」
「二度と攻め込まないと約束してくださるのですか?」
「いや、先のことはわからぬ」
「それならば、今は撤退してくれるだけで十分です。今後は僕とは違う王が、あなた方の相手をしてくれる」
「誰だそれは」
「ふふっ、いずれ会えますよ。では行きましょうか。国境に着いたら、剣を返します」
「ふん、なんとも気味の悪い王と国だな…」
先に天幕を出た僕の後ろから、クルト王子が言葉を投げる。
「それは褒め言葉として受け取っておきます」
僕はゆっくりと振り向くと、クルト王子に向かって優雅に微笑んだ。