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サイド緑
空になったデスク。パソコンも書類も、何も置かれていない。
自分の机とは少し離れたところにあるから、休憩時間にはここまで歩いてきて話しかけていた。
使う人がいないこの机は見慣れたはずなのに、なぜだか悲しくなってくる。
だが、もう少ししたら新しい人が入るはず。北斗が使っていたデスクに。
いつやってきたのか、受付の係の人が俺の傍にいた。
森本さん、と呼ばれ、いささか驚く。「あ、はい」
「お客様がいらしてます。お時間があれば、森本さんにお会いしたいそうで」
「え…? わかりました、今行きます」
パソコンをスリープ状態にし、席を立つ。
営業マンでも重役でもない自分に来客なんて、珍しいな。誰だろう、とネクタイを直しながら来客用玄関口へ向かう。
玄関では、二人の男女を見つけた。どちらも顔を知っていた。
「突然押しかけてすみません。会社しかわからなかったもので…。いつも息子がお世話になっておりました」
北斗の両親だった。
「あ、いえ、こちらこそ」
「森本さんのことは、北斗からよく聞いていました。本当に仲良くしてもらったようで、一番の友達だと言っていました」
「そうなんですか」
クールな北斗らしくない言葉で、思わず照れる。
「葬儀にも来てくださって…ありがとうございました」
「そんな、僕も行きたかったんです。やはり別れの挨拶だけはしたくて」
北斗は、次の誕生日を迎えることはなかった。だからあのときクリスマスプレゼントを渡しておいてよかったな、と思った。
「…あの、今日はどうして?」
「これを、どうしても渡したくて…」
母親が、鞄から一冊の本を取り出す。それは、いつもオフィスで北斗が読んでいた愛読書だった。
「え、これって…」
「ええ、あの子が大好きだった本です。ほかにもいくつも好きなものはあるんですけど、遺品整理をしていたらこれが見つかって」
差し出された本を開くと、はらりと一枚の紙が出てきた。「おっと」
それは封筒だった。真っ白な封筒の中には、手紙が1枚入っている。表には北斗の字で、『慎太郎へ』と書かれていた。
「好きだった本はほとんど、棺の中へ入れました。でも、手紙が入っていたその本だけは残そうと思ったんです。たぶん、本ごと渡したいのかなと…」
「ああ…。わざわざ渡しに来てくださって、ありがとうございます。ゆっくり読みます」
オフィスに戻っても、手紙を開ける気にはなれなかった。
読んだら、涙が止まらなくなると思った。
静まり返った、一人の部屋。
いつもならすぐテレビを見始めるが、今日は付けずにソファーに座る。
鞄に大事に仕舞っていた手紙を出す。
改めて、封筒の宛名を見つめた。北斗は字が綺麗だ。俺の名前も、惚れ惚れするくらい綺麗に書かれている。
そっと、便箋を取り出した。ゆっくりと、目で追っていく。
『慎太郎へ
こうやって手紙を書くのは初めてかもな。たぶん言えなかったこともあると思うから、文章にしました。
単刀直入に言うね。今までありがとう。
ほんと数えきれないくらい世話になったし、どれほど助かったか。特に闘病中は、ずっと見舞いに来てくれたよな。俺も、慎太郎が来てくれるから治療を頑張ろうと思えた。
でも、投げ出しそうになったときもあった。俺さ、入院する前はこんな辛いなんて思ってなかったもん。マジで病気なんてなるもんじゃねえなと思ったから。
けど、しょうがないよね。きっとこれは変えられない運命だったのかなって考えてる。
あとさ、クリスマスプレゼント、ありがとな。
まさかもらえるなんて思ってなかった。あの日は急に倒れて、もう死ぬかもって絶望的だったから、ものすごく嬉しかったんだよ。
結局ネクタイ着けることはなかったけど、読んでた本にブックカバー付けて、最後まで読み切ったよ。ほんとにおもしろい! また読んでみて。……慎太郎は本、好きじゃないだろうけど。
この手紙を挟んだ本も、慎太郎が持ってて。おすすめだから。
俺、思うよ。本当、慎太郎のおかげで人生ハッピーエンドだったなって。感謝してもしきれないな。
それとね、最後に一つだけ、お願い。
絶対に守らないといけないお願い。
俺の分までとは言わないけど。
生きて
北斗より』
不思議と涙は出なかった。
最後の3文字に、ドンと心を前へ押された気がした。
俺は、自分の人生を歩む。
北斗に恥じないような人生を。
終わり