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にゃみ3
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「しっかり、しっかりしろ!」
身体を揺すられる感覚と、何度も呼びかけられる声が遠くに聞こえた。
どうせ母が起こしにきたに違いないと思い、そのまま無視して眠ろうとしたが、何度も必死に呼びかける声がしつこく段々と意識がはっきりとしてきた。
「目を覚ますんだ!」
この声が男性のものだと、そこでようやく気が付いた。
母の声ではない。私は今一人暮らしをしているし、誰かを家に上げた覚えもない。
それじゃあ、この声の持ち主は一体……。
「……だっ、誰?!」
ぼんやりとした視界の中で、私は声を上げる。
まだ寝ぼけていて視界がかすむ中、いっぱいに広がっているのは――青色。
この青色の正体が人間の瞳だと気づいたのは、数秒後のことだった。
「やっと目を覚まし――」
「な、な……! さわらないでっ!」
少し動けば唇が当たってしまいそうなほど近い距離に居た謎のイケメンから逃げるように体をよじらせ両手で胸板を押す。
かなりの強い力で押したにもかかわらず、男の身体はびくともしない。
ここはどこ? 誰よ、このイケメン!
いつものようにベッドに入って、いつものように眠りについただけなのに。
目を覚ますと、そこに居たのは見知らぬ男。それも、とんでもないイケメンに抱きかかえられているではないか。こんな状況でパニックになるなという方が無理な話だ。
「……元気そうで安心しました」
眉尻を下げて、どこか呆れたような、困ったような顔をしたイケメンがそう呟く。
「あの、あなたは……」
「ソフィア様! ああ、目を覚まされて本当に良かった!」
あなたは誰なのか。そう質問しようと口を開いたが、イケメンの横からひょっこりと顔を覗かせた女性が私の声を遮った。
クラシカルなメイド服に身を包んだ彼女は目に大粒の涙を浮かべてこちらを見つめている。
ソフィアとは外国の人の名前だろうか。どうしてこの女性は私をその名前で呼ぶのか。どうして泣いているのか。
混乱する頭を押さえながら、私はもう一度彼女をじっくりと観察する。
というか、この人たちどこかで見た覚えが……。
「公爵様、とりあえずソフィア様をお部屋にお連れいたしましょう。私は医者を呼んで参ります」
「ああ」
赤毛の女性の方も綺麗な顔立ちをしているが、それでもこのイケメンは別格だった。
青みを帯びた漆黒の髪が光を受けて煌めている。
吸い込まれそうなほど深く澄んだ青い瞳はまるでサファイアのように美しく、右目の下にある小さなほくろはその美貌にほんの少しの色気と危うさを添えていた。
やっぱり私は彼らをどこかで見たことがある。
……いや、そんな曖昧なものじゃない。
この髪と瞳、そして無駄に整いすぎた顔立ち。
「ま、待って、あなた……」
胸の鼓動が全身に鳴り響いていた。
私は初めて会ったはずの彼らを知っていた理由。
遠いはずの記憶に、はっきりと浮かんだその名前。
「……ノア?」
思わずこぼれたその名に、彼は静かにこちらを見据え、頷いた。
「はい」
たった一言。
それだけなのに胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
「……あ、……」
確信していたというものの、改めて頷かれるとどう答えれば良いのか分からなかった。
・ ୨୧ ┈┈┈ ⋯ ┈┈┈ ୨୧ ・
頭の中ではさっきから何度も同じ光景が再生されている。
あの男――ノアが、何のためらいもなく私をお姫様抱っこした姿だ。
至近距離で見たその整いすぎた横顔が脳裏に焼き付いて離れない。
彼は私をベッドに降ろすと、何も言わずすぐに去っていった。
そして、すぐにこの状況を理解した。今私が見ているすべては単なる夢なのだと。
物語の中に入り込んだ夢を見るとは、なんとも都合の良い夢だ。最近は悪夢ばかりだったから神様がご褒美をくれたのかもしれない。
こんなことなら、ノアともっとお話がしたかったな……。
そんなふうに思いながら私はベッドに体を沈める。
夢の中でベッドに横になるなんて、なんとも不思議な気分だった。
「アンリエット」
名を呼ぶと、私を心配そうに見つめ続けていた彼女の顔が一瞬にしてぱっと明るくなる。
「はい、アンリエットはここにいますよ。記憶が混同されているようでしたので心配でしたが、私を覚えてくださっていて嬉しいです」
「いや……覚えてるもなにも、あなたは小説の中のキャラクターでしょ?」
アンリエットは確か、小説『きゅるりーん物語』の悪役ソフィアに仕えていたメイドだったはず。
たった1ページの挿絵しかなかった彼女だったが、親友に名前と姿が似ていることから覚えてしまっていた。
……あれ? 悪役のソフィア……?
「ま、待って。まさか、あなたがアンリエットなら私は……!」
私は慌ててベッドから飛び起きると、部屋の隅に置かれた鏡台の前に駆け寄る。
「本当にどうされたのです、ソフィア様! あなた様はこのティアルジ公爵様の奥様である、ソフィア・ディアルジ様ではありませんか!」
鏡に映っていたのは、いかにもお嬢様風の美少女。
真っ白な肌に、ほんのりと染まったピンク色の頬。
淡いピンク色のウェーブがかったロングヘア―に、まんまるのローズピンクの瞳。
「あ……ありえない、ありえない!」
最低最悪の悪女ソフィア。
「どうして悪女の方なの? ここは絶対、ヒロインの方でしょ!」
だからあんなにもノアは冷たかったのかと納得した。
夢の世界なのだから、そのくらいは気を利かせてくれてもいいのに……。
それにしても、やけにリアルな夢だ。設定が凝りすぎているというか、なんというか。
「ほんと、変な夢……もう起きちゃおうかな。ノアにまたあんな顔を向けられても気分悪いだけだし」
「ソフィア様? 先ほどから何を……」
「よし、起きよう。起きたらもう一回、きゅるりーん物語を読み返そう」
私は鏡台に置かれていた豪華な装飾が施されたアクセサリーケースを手に取ると、鏡に向かって思い切り投げつけた。
「キャアアアッ!」
アンリエットの悲鳴と共に、大きな音を立てて割れた鏡の破片が散らばった。
「すごい、本当にリアル……」
私はその破片を手に取ると、自身の左手首へと添わせる。
「それじゃあ、目覚めますか」
そう言うと、私は思い切り手首にその破片を突き刺した。
数年前から、私は毎日のように悪夢を見るようになった。
毎日のように見ていると、そのうち夢から目覚める方法を知った。方法はいたって簡単。自ら死を迎えることだ。
今までだって何度もこの方法で目を覚ましてきた。
初めは恐れがあったものの、夢の世界に痛覚は存在しない。それを分かってからは何の抵抗もなく死を選ぶことができた。
しかし、今回はそうもいかなかった。
「い、痛い……」
色白なソフィアの手首から、赤い血があふれ出す。
それだけではない。痛いのだ。確かにこの身体は痛覚を感じていた。
「ソフィア様どうしてそんなことを! 誰か、誰か来てください!」
意識の遠くで、アンリエットの叫び声が聞こえる。
「どうして……? 夢なのに、どうして痛いの……」
鼓動が早鐘のように打ち鳴らされ、手のひらがじっとりと汗ばんだ。
頭の中が真っ白になり、私は立っているのがやっとだった。