ベッドに腰掛けたまま固まってしまっている結葉のそばにやってくると、偉央が「今日から結葉はその鎖をつけて生活するんだよ?」と抱きしめてきた。
「偉、央……さん?」
夫が何を言っているのか分からなくて、抱き寄せられたまま偉央の名前を無意識につぶやいたら、「ん?」って優しく顔を覗き込まれて。
結葉は偉央の心底嬉しそうな表情に、ゾクッとしてしまう。
「結葉は家にひとりで置いておくと何をするか分からないからね」
言って左足の太ももをそっと撫でると、
「安心して、結葉。この鎖、ちゃんとトイレやキッチンまでは行ける長さだから生活に支障はないよ?」
と微笑む。
「結葉が眠ってる間に僕がちゃんと長さを調整したからね。ただし――」
そこまで言って、偉央は結葉の肩を押してベッドに横たえると、結葉の足に繋がった鎖を引っ張って、彼女にそれを見せつけるようにしながら続けた。
「玄関までは届かないようにしてあるんだ。結葉が僕の留守中、家の中へ誰も入れられないように、ね?」
結葉は偉央が何を言っているのか理解出来なくて、呆然と彼を見つめ返して。
いま目の前で起こっていることは夢の中の出来事だろうかと、クラクラする酩酊感と、ズキズキとした頭の痛み、胸焼けのようなムカムカに耐えながらぼんやりと思う。
「ねぇ結葉、聞いてる?」
偉央に額にかかった髪の毛を撫で上げられて、その指先のひんやりとした感触にゾクッと身体を震わせた結葉は、「これはもしかして現実?」と今更のように意識が追いついた。
「偉央さん、私――」
自分に伸ばされた偉央の手に恐る恐る触れてつぶやけば、
「結葉はね、僕に監禁されたんだ。これから僕とキミの新しい生活が始まるんだよ?」
偉央がニコッと笑ってそう宣言して。
結葉は谷底に突き落とされたような気持ちになった。
***
それからの毎日は結葉にとって凄く苦痛で。
リビングにあったはずの電話も、パソコンも、おそらくどこかへ移動されてしまったんだろう。
結葉の手の届く範囲には外部に繋がれるものはことごとく置かれていなかった。
唯一あるのは例のキッズ携帯のみ。
しかも今までは登録されていたはずの親族関連の連絡先が、偉央の携帯と『みしょう動物病院』の第一診察室――偉央の診察室――への直通電話のみになっていて。
偉央との連絡には何ら支障はないけれど、他には連絡させるつもりはないのだと暗に仄めかされているようで、結葉は陰鬱とした気持ちでその小さな端末を眺めた。
そんな結葉に、この一ヶ月というもの、偉央は可能な限り「愛してる」とささやいて、時には泣きそうな顔で「僕をひとりにしないで?」と結葉を腕の中に閉じ込めて抱きしめた。
一方結葉の方は、偉央からの歪んだ愛情が受け止めきれなくて、行動の自由とともに偉央へのなけなしの愛情までもがすり減っていくのを感じずにはいられなくて。
日々思うのはこの鎖を断ち切って外に逃げ出したいということばかり――。
なのに実際にはそんなこと出来そうになくて心が死んでいくような、そんな感覚に蝕まれていく。
結葉のなかではこの生活に対する「もう無理だ」と言う臨界点はとっくに超えていたから。
毎日のように自分に嵌められた足枷を外そうと、無駄な足掻きを続けている。
偉央には結葉のそういう気持ちが分かるんだろう。
「僕はこんなにもキミを愛してるのに何故分からないの?」と言う言葉で、ますます結葉をがんじがらめにしていった。
金属の足枷は歩くたび結葉の柔らかな肌をこするから、どうしても足首に擦り傷が出来てしまう。
偉央は毎日夜になると結葉の足枷を外して傷口をチェックしては手当をしてくれたけれど、右足、左足、と交互に日替わりで付け替えても、傷はどんどん深くなるばかり。
実際には結葉がそれを外そうと日中に色々模索しているから余計にいけないのだけれど、それも含めて偉央は承知の上で処置を続けてくれているように思えた結葉だ。
とうとう結葉が、枷をつけたままでは歩くのも困難になってきて、偉央は小さく吐息を漏らして「傷口が良くなるまでの間、これ、外そうか」と言ってくれた。
結葉はそうなることを期待して、わざと自分の足を痛めつけるような行動を取っていたのだけれど、偉央が結葉の傷口を見てそう判断してくれるかどうかはある種の賭けだった。
偉央は自分のことを愛してくれているという自信はあったけれど、愛情が重過ぎるから、どういう行動に出るのかは結葉には予測不可能で。
結葉の怪我よりも、偉央が「監禁」にこだわるようなら、結葉の小さな抵抗は自分を傷つけるだけで何のメリットにもならなかったはずだ。
だけどいつだったか熱いお茶から、自分の身を挺して守ってくれたように、偉央は結葉の身体を最優先してくれた。
「結葉、これを外しても逃げたりしない?」
偉央に、親指の腹で唇をそっとなぞられて、結葉は甘えたようにその指先をチュッと吸い上げてから小さく頷いた。
この監禁生活で結葉が学んだことのひとつは、偉央にこんな風に甘える仕草を見せると、ほんの少しだけ偉央の態度が軟化するということ。
偉央はもちろん、自分の心も騙しているようで凄く辛かったけれど、結葉は現状を打開できるなら何でもしよう、と思うようになっていた。
今の生活が長引けば、きっと自分の心は完全に死んでしまうから。
コメント
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逃げ出すチャンスを窺わないとね