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前にほたるとMisokaへ来て、こうちゃんにフラれたヤケ酒に付き合ってもらった時、スカートなんて金輪際履くもんか!って思ったのを思い出す。
なのに今日の私はヒラヒラの、ラベンダー色の小花柄ワンピースなんかを嬉しげに着ちゃってる。
だってだって、後からほたると合流はするけれど、前半は|宗親《むねちか》さんとデートなんだもんっ。
そう思ったらついフェミニンな格好をしてみたくなったの。
ただ、康平と付き合っていたとき身に着けていたのと違うのは、あの頃の私が彼好みの服ばかりを選んでしまっていたこと。
対して、いま着ているワンピースは宗親さんに可愛く見られたいという思い以外は何もないの。
別に宗親さん好みの服というわけでもないし、そもそも宗親さんが私にこういう格好をして欲しいと要求してきたことなんて一度もなかった。
考えてみたら宗親さん、私が何を着ていても「可愛い」って言って下さ……ゴニョゴニョ。
足元だけはしっかり歩けるように履き心地のいいオープントーのサンダルにした。
踵側とつま先側に余り高低差のない低めのウェッジソールだから、歩いてもそんなに疲れないのに、デザインはすっごく女の子らしくて可愛らしいのが気に入っているの。
***
Misokaと宗親さんの――あ、今は私もか――のマンションは徒歩十分圏内。
車だとすぐだけど、歩くとまぁまぁの距離だ。
でもきっと、一人で歩いているからそう感じるだけで、宗親さんと一緒だったらあっという間に違いないの。
夕方とはいえまだまだ陽は落ちていない。
日中太陽に温められた熱いアスファルトの上を、長く伸びた影とともにテクテクと歩く。
颯爽と、といかないところが私の残念なところだけど、暑くてとてもそんな気にはなれないんだもの。仕方ないじゃない。
(髪、束ねてきて正解だったぁ〜)
いつもは下ろしている肩下ちょっとの長さのゆるふわウェーブを、出がけにふと思い立って左寄せのサイドテールにしてみたのだけれど。
歩くたび、ポインポイン左肩で揺れる髪の毛に、少しだけリズムをつけられたように足が軽くなる。
(Misokaの中涼しいかなぁ)
お店だもの。
空調はきいているはず。
前方に見えてきた『Bar Misoka』と書かれた控えめな丸い突き出し看板は、中にLEDライトが入っていて、夜に見るとぼんやりと宙空に浮いて見える。
だけど今はまだ明るいので、ただの丸い白地に手書きみたいに味のある太字の筆記体が踊っているだけという、割と地味な印象だった。
バーだし、夜がメインなことを思えばお日様の下で目立つ必要なんてないってことかしら?なんてどうでもいいことを思いつつ。
斜め上方にばかり気を取られていた私は、後少しでMisokaの入り口って所で建物の隙間の狭い路地から出てきた手に、いきなり右腕を掴まれて引っ張られた。
「キャ」
ァァァァ!と続くはずだった悲鳴は、私をギュッと腕の中に閉じ込めた相手に、空いている方の手で口を押さえつけられて呆気なく封じられてしまう。
鼻も一緒に押さえられたから、息が苦しくて涙目になって。
恐怖に震える手で口を覆う相手の腕を、それでも必死にギュッと掴んだら「春凪、俺だよ」と名前を呼ばれて「え?」と思った。
「俺だ」って言われても、背後から押さえつけられている私には相手の顔が見えないの。
だけどこの声。
確かに聞き覚えがある。
ゆっくりと、私の反応を窺うように口に当てられた手と、抱き止める腕の力が緩められた私は、一生懸命息を吸い込みながら恐る恐る背後を振り返って。
「こう、ちゃん……」
付き合っていた頃より痩せて目がギラギラしている印象になってしまっているけれど、それは確かに元彼の康平だった。
***
「会いたかったよ、春凪」
腕は緩めてくれたけれど、未だに手首は固く握られたまま。
下手に刺激したらいけない雰囲気に、呼吸は整ってきたというのに私の心臓は苦しいくらいに猛スピードで全身に血を送り続けている。
「今更……何の用?」
一方的な最低の別れから数ヶ月。
卒業間近という肌寒い時期から、日が沈んでからも少し動けば汗ばんでしまうほどに季節だって移行していると言うのに。
その間、一度も音沙汰なんてなかった相手なんだから、そのぐらい聞いてもいいよね?
掴まれたままの手首を気にしながら恐る恐る言ったら、「俺、会社辞めたんだ」とか、どこか要領を得ない答えが返ってきて、私はますます混乱してしまう。
「今は……どう、してる、の?」
だけど康平の言葉に乗っからないと話が前に進まないというのも、付き合っていた時の経験から何となく分かっていた私は、一旦自分の疑問は横に避けてそう尋ねた。
「貯金を食い潰しながら何とかやってる。けど……とうとう家賃が払えなくなっちまってさ」
アパートを引き払うことになったらしい。
自分もちょっと前に――滞納ではなかったけれど――家を追われたことを思い出した私は、康平のその言葉にほんの少しだけ同情して。
私にはたまたまその時、手を差し伸べて下さる宗親さんが現れたから良かったけれど、そうでなかったら今頃実家に戻らざるを得なくなっていたと思う。
「じゃあ、これからどこに住む予定? 実家に戻るの?」
何気なく聞いたら「お前を頼ろうと思ったのに……何で勝手に引っ越したりしたんだよ」とか、それ、貴方に言う義務ありませんよね?という因縁をつけられた。
「だって……私たちもう……」
「別れたからってサッサとそこで縁切りかよ。冷てぇ女だな」
ギュッと握られたままの右手首に力を込められた私は、痛みに思わず眉根を寄せる。
康平は付き合っていた頃、暴力を振るうような人ではなかったけれど、ちょいちょい暴言で私を傷付けた。
今の彼はどこか普通ではない気がするし、もしかしたら手を上げられる可能性だってないとは言えない、と思って。
「康平、……痛い」
なるべく彼を刺激しないように。
すぐそこは道路とはいえ、そんなに人通りが多い道でもないし、ましてや今私たちがいるのはそこから少し奥に入った建物の隙間だったから。
せめて外の道に出ないと、って気持ちばかりが焦ってしまう。
私を掴んだ康平の手にそっと左手を乗せて抗議したら、「お前、何だよ、その指輪」って今度は左手を掴まれてしまった。
(指輪……? 宗親さんからの?)
康平が睨むように見ている私の左手薬指には、未だに私自身怯んでしまうような煌びやかな宝石たちが惜しみなく使われた、手の込んだ装飾の婚約指輪が光っている。
それが、康平に見えないわけがなかった。――というより、宗親さんの中では目立ってなんぼ、みたいな狙いさえある指輪なのだから見えて当然だ。