テラーノベル
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夜。
館の外は深い霧に包まれていた。
ノスフェラトゥは一人、中庭へ出ていた。
冷たい風がマントを揺らす。
喉元には、いつもの黒い首輪。
最近はもう、
重さすら身体に馴染み始めていた。
それが嫌だった。
「……随分みっともない姿ね」
女の声。
ノスフェラトゥが振り向く。
霧の向こう。
黒い髪を揺らしながら、ストリガが立っていた。
金の瞳が、まっすぐ首輪を見る。
その瞬間。
ノスフェラトゥの耳がぴくりと揺れた。
ストリガは鼻で笑う。
「誇り高い吸血鬼が」
「そんな首輪をつけられて、従うの?」
「……」
「あなた、階層を嫌って反乱を起こしたのでしょう」
「鎖が嫌いだったはずよ」
その言葉が刺さる。
ノスフェラトゥは無意識に首輪へ触れた。
冷たい革。
思い出す。
褒められた声。
撫でられた感触。
“許可”。
胸の奥がざわつく。
ストリガは静かに続けた。
「昔のあなたなら」
「そんなもの、引き千切っていた」
「……黙れ」
「図星?」
金の眼が細くなる。
「それとも」
「もう、自分じゃ外せない?」
その瞬間だった。
ノスフェラトゥの爪が、首輪の金具へ伸びる。
カチ。
外れた。
黒い革が、はらりと地面へ落ちる。
静寂。
ストリガは少し目を見開いた。
ノスフェラトゥは低く吐き捨てる。
「……私は誰のものでもない」
その声には、怒りが滲んでいた。
自分自身への。
ストリガはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑う。
「なら、まだ間に合うかもしれないわね」
霧が揺れる。
次の瞬間には、彼女の姿は消えていた。
ノスフェラトゥだけが残される。
地面に落ちた首輪を見下ろしながら。
「……」
外した。
ちゃんと。
なのに。
妙だった。
喉が落ち着かない。
何かが足りない。
無意識に首元を触ってしまう。
そこにはもう何もないのに。
革の感触だけが、
まだ皮膚に残っている気がした。
その時。
「外したね?」
背後から声。
ノスフェラトゥの身体が反射的に強張る。
スペクターだった。
赤いシルクハット。
いつもの笑顔。
彼は地面の首輪を見下ろす。
怒っていない。
ただ、少しだけ。
面白くなさそうだった。
ノスフェラトゥは睨み返す。
「文句でもあるか」
「別に?」
スペクターは肩を竦める。
「君の自由だよ」
「……」
予想外だった。
もっと怒ると思っていた。
無理やりつけ直されるかと。
だがスペクターは拾おうともしない。
ただ、ノスフェラトゥを見つめるだけ。
その視線が逆に落ち着かない。
スペクターはゆっくり近づく。
そして。
指先で、何もない喉元をそっと撫でた。
びくり、とノスフェラトゥが震える。
「ほら」
低い声。
「もう覚えてる」
ぞく、と背筋が冷えた。
スペクターは笑う。
「首輪がなくても」
「君、自分から反応する」
「……ッ」
図星だった。
喉が熱い。
身体が、触れられるのを待ってしまった。
それに気づいた瞬間、
ノスフェラトゥは顔を歪める。
スペクターはその反応を満足そうに見つめた。
「いいよ」
「今日は外してて」
そう言って踵を返す。
赤いコートが揺れる。
「でも」
スペクターは振り返らずに続けた。
「そのうち、自分から欲しくなる」
静かな声。
確信している声音。
そして、そのまま去っていった。
一人残される。
ノスフェラトゥはしばらく動けなかった。
首輪はもうない。
自由なはずだ。
なのに。
喉元がひどく寂しい。
まるで、
まだそこに首輪があるみたいに。
無意識に指先で撫でてしまう。
その姿は。
もう誰が見ても、
“躾けられた痕”そのものだった。
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