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35 ◇噂の? 渚ちゃん
周囲の話振りから稲岡の一押しの女性は-渚美央-というらしい。
自分たちの卓で酒が進み楽しい会話で盛り上がっている中、先ほどから
そわそわしている稲岡が俺の腕を軽く叩いた。
「加納、アレ……」
そう言うと顎をしゃくらせ、奥のBOX席のほうを見ろと知らせてきた。
『……?!』
俺は何度も目を凝らしてそのホステスの顔をガン見した。
もっともっと、目を皿にして確認したかったのだが、生憎
その人物の顔は見えなくなってしまった。
「どうだ、見えた?」
「ああ、たぶん」
「いい感じだろ? あとで来てもらえそうならもっと間近で見れる」
「稲岡さんったら、随分ご執心なんですね。
そんなふうに思われてる渚さんが超羨ましい~」
本心からなのか、営業からなのか、よく分からない調子で俺たちに付いている
愛理というホステスが羨ましがって見せた。
「いやいやいや、俺は愛理のことも好きだよン」
「稲岡さん、あ・り・が・とう。ウッフン」
二人の遣り取りで笑いに包まれている中、もう一人の季々というホステスが
話を俺に振ってくる。
「加納さんも、渚ちゃん狙いかしら?」
「いやぁ~、友だちと被るのはちょっと……」
「あらっ、加納さんったら今どき珍しくいい人なんだ」
「何々? 加納がいい人ってどういうこと?」
愛理と話をしていたはずの稲岡が俺たちの会話に割り込んできた。
「加納さんも渚ちゃんのこと『いいなぁ~』って思うのに、稲岡さんのために
身を引くってことですわよ」
恐るべしっ、そんなふうに話を大きく捏造して、季々というホステスが
話をモリモリ盛って伝える。
「いやいや、そうでしょ―。初めに唾を付けたのは俺なんだから」
『唾って、どこにだよ……内心で俺は呆れた』
36 ◇人気のあるキャスト
「旦那も子供もいるのに-渚さん-ったらすごくモテるの妬けちゃう」
そんなふうに渚のプライバシーを暴露してしまう愛理に
季々がコラと窘める素振りをする。
俺はすぐに稲岡の様子を伺った。
ヤツはシレっと無言を貫いて酒を飲んでいる。
読めん……ヤツの腹の内が。
「稲岡さん以外にも渚さんって人気あるんですよ。
お客さん曰く、あの清楚な色気にやられるらしいです。
実は私も渚さんに憧れてるんです。
ってことで、渚さんには旦那さんもお子さんもいるので、手出し無用ですよ」
そんなふうに渚という女性のことを褒めそやしたりした上で、愛理が牽制する。
それまで聞くことに徹していた稲岡が火を噴いた。
「分かってないな~。そんなの関係ないさ。
それにここは無法地帯なんだから、俺の魅力で振り向かせてみせるだけだよ」
「そうこなくっちゃ。稲岡さん、素敵っ」
俺は二人の遣り取りを聞いていて頭が痛くなってきた。
酒の席だとはいえ、話の内容がハチャメチャ過ぎる。
この店に来る途上で稲岡から聞いていた感触からすると、内心では激しく
傷ついてる気がしなくもない。
俺はそれとなく、若いホステスに話を振ってみた。
「その渚って女性のことだけど、店のお客さんとの浮いた話は
ないの?」
「一緒に食事をしたという話は聞いてますけど、仕事が終わると子供の顔が
見たいからって、即効帰っちゃう人だから浮いた話は聞いたことないですね」
「だけどさ……子供がいるって話は本当だとして、旦那がいるっていうのは
本当なのかな。この業界ってシングルマザー多いじゃん」
そう横から稲岡が口を挟んできた。
「あっ、私が直接聞いたわけじゃなくて、マネージャーがポロっと口を滑らせた時に
聞いた話なんだけど……。
渚さん、将来自立できるようにお金貯めてるらしいって……。
で、これは私の単なる推測になるんだけど、もしかしたら離婚とか考えてるのかな、なんて。
だから、そのときは口説くチャンスあるかも」
「愛理、さっきは手出し無用って言っておいて、今度は付き合えるチャンスがあると言い、
俺をおちょくってんの?」
「ちょっと、愛理、酔ってんの?」
季々というホステスが稲岡に合わせて合いの手を上手く入れた。
そして結局その夜、渚というホステスが俺たちの席に付くことはなかった。
37 ◇生き方、性格の違い
「加納さんって、あまり普段こういうお店にはいらっしゃらない……とか?」
「ええ、そうですね」
「ふふふっ、そうですよね。
めちゃくちゃ慣れてる稲岡さんとあんまり雰囲気が違いますものね」
年かさの季々というホステスが俺にそんな質問を投げかけてきた。
「ああ、加納はね、学生時代からの友達で職場はまるっきり違うんだ。
俺とはね」
「じゃあ、あまり私たちのようないい女とはご縁がないのね~」
しれっと、その場を盛り上げるような、壊すような? 物言いを彼女がする。
「まぁね、季々さんのような素敵なお姉さまとは縁がないかもしれないけど、
こいつにはね、ちゃんと恋女房がいるんですよっ、淋しい俺と違って」
「えーっ、加納さん、既婚者なのぉ~? 愛理、つまんないっ」
目の前でリップサービスに勤しむ愛理というホステス。
俺はその愛理やら季々というホステスやら果ては稲岡にも向けて、なんだかなぁ~、
この不毛な時間が人生の潤いとは感じられず1人心の奥底で白けていた。
そしてしみじみと思った。
稲岡も自分も、天の采配で各々に適している職場へと導いてくれたのだと。
もしも、俺が稲岡の職場に就職していたとすれば、おそらく半年と
持たなかったのではないだろうか。
逆に稲岡はどうだろう……。
会社の接待はなくとも、同僚たちと夜の街に繰り出していそうだなと思った。
まぁ、あくまでも想像上のことで、奴の深層心理までは理解できてないかも
しれないので本当のところは分からないが。
2時間ほど粘ったところで俺は稲岡を促してお開きにした。
AI自作イラスト
稲岡 左が愛理 右が季々 匠平
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