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〈ストーリー〉
「こちらの物件は、お客さまのご希望の予算にも収まりますし、最寄り駅も徒歩5分ほどです」
あれは少し寒さも和らいできた冬の終わりのこと。
デートの帰りに、彼女と不動産屋に寄った。
物件探しに夢中で何やらニヤニヤしている彼女を見ていると、案外面白いのかな、と思ってくる。
この家なんかは間取りがよさそうだし、外観もお洒落。おまけにコンビニのすぐ近くだ。
そこには、明るい未来しかなかった。
「ねえ開けるよ?」
早く開けろよ、と彼女を急かす。ガチャリと錠の開く音がして、鍵が外れた。
内見のときと中は変わっていないが、ここに今日から住むのだと思うとワクワクする。
広いリビングでくるくると回っている彼女を尻目に、窓を開けてみる。お世辞にもいい景色では全くない。隣家の壁が見えるだけだ。
でも春の風が吹き込み、気持ちがいい。髪がなびいた。
「コーヒー飲む?」
早速近くのコンビニに行き、ふたり分のコーヒーを買ってきた。
荷物が全部運び終わり、段ボールだけが残されている。必要なものだけ出した。
「あっ、そこガムテープ落ちてる。拾って」
はいはい、と苦笑しながら立ち上がり、ゴミ袋に入れる。
真新しいソファーに腰を落ち着け、ブラックコーヒーをすすった。
「美味しいね」
「たかがコンビニだけどな」
これから僕らの記憶がここで書き足されていくと感じると、この始まりの日でさえも愛おしく感じた。
その頃には、もうすっかり新鮮な気持ちは抜けていた。
玄関のドアが開き、彼女が帰ってきた。「おかえり」
ただいま、と答えるその声はいくらか疲れているように聞こえる。
「あ……ねえ、自分の食器は自分で洗ってって言ったじゃない」
キッチンのシンクを見て言う。
「ごめん、俺今手が離せないんだよ」
ちょうどリビングでパソコンを開いて作業しているところだった。大事な資料作りの最中なのだ。
「私だって仕事して帰ってきたのよ」
イライラしたような言い方に、思わずカチンとくる。
「俺だって忙しいんだよ、リーダー任されてるし!」
もうどうすることもできなかった。彼女は踵を返そうとしたが、立ち止まる。
「…もうやめませんか」
突然の距離のある言葉に、呆然とした。
「私、限界かも。あなたとはやっていけないかもしれない」
ふたりの間に徐々に広がっていた亀裂が、完全に割れてしまった気がした。
続く