「おもらっし~ッ♪」
突然、歌うような男の声。
「ネコのおもらっし~♪ ボクの小ばなっし~ッ♪」
軽く韻を踏んでいる?
「ネコのおもらっし~♪ キミの腹巻き~ッ♪ ネコのぉ……」
入って来たのは見覚えある赤毛の若者だった。
中に人がいることに気付かなかったのだろう。
アタシたちを見てギョッとしたように口ごもり、立ち止まった。
「あ、あの時の……」
商店街でアタシの足を引っ掛けた失礼な奴。
アタシにハンカチを渡して去っていったアイツや。
アカン、アカン。
あんなんで恋に落ちたら自分、チョロすぎんでとアタシはちょっと反省したものだ。
若者はアタシらが手にしたバスケットを見て「フフン」と鼻を鳴らした。
「ネ、ネコがお漏らしした毛布とか洗いにきたのかと思ったぁ~。そのボロいのってぇ、自分が着てる服なのぉー?」
あまりに非道な台詞を堂々と言う。
アタシは腹立ちを通り越して絶句し、ワンちゃんは落ち込んだ。
多分、妙なポエム(?)を聞かれたのを誤魔化す為に悪態をついているのだろう。
大人気ないにもほどがある。
「アンタは玄関マットでも洗濯してんのちゃうん?」
そう言ってアタシは反対の端のドラムに、ワンちゃんの分もまとめて洗濯物を放り込む。
「ボ、ボクは犬のウンP踏んだスニーカーを洗ってるだけ~」
ウンPって何やねん。
ともかく、ちょっとホッとした。
死体じゃなくてスニーカーが回る音か。
まぁ、どっちにしろ今後絶対に使わないでおこう、そのコインランドリー。
チラチラと若者(若者って表現もどうよ? 実年齢は分からんけど。それにしても、こんなにチョロチョロ現れるなら名前を明かして欲しいもんや)がアタシを見る。
「キミ、関西のヒト~? その喋り方、かなりおかしい~。ねぇ、何かオモシロイこと言ってよ。ウケるかんじの」
言い方にいちいちカチンとくる。
「か、関西人の誰もがオモロイわけちゃう! みんなが漫才できるわけ違う! 特にアタシは不器用なタイプや」
「またまた~。こないだのアレ、相方でしょ? 日本一ってハチマキのアイツ。何のコント? テレビとか出てるの?」
「アタシは芸人ちゃう! 浪人やッ!」
うわぁ、自分で言って痛い。
代わりにワンちゃんが「ウッ」と呻いて胸を押さえてくれた。
「え、何ソレ。どういう意味?」
今更説明するのも嫌なので黙っておくと、奴は勝手に解釈した。
「桃太郎と浪人が諸国を漫遊する、的な?」
それってどうよ~? ウケる~。
そう言って1人で笑っている。
そうこうする間に洗濯が終わった。
乾燥機に入れ替えようとしたワンちゃん、不意にその動きを止める。
器用なことに、耳をピクピク動かした。
忠犬が飼い主のご帰宅を察したようにパッと顔を輝かせる。
「ももも桃さまっ!」
ハァ? と言いかけたアタシの耳に、聞き覚えのあるおかしな歌が届く。
「もーもたろっさん、もーもたろさんっ♪ おっこしにつけたきりたんぽ~♪」
「き、きりたんぽ?」
明かに出身地がおかしな感じの桃太郎は、アタシたちの姿を見付けると明るい笑顔で建物の中に入ってきた。
もちろんあの格好(ナリ)で。
「待たれぃ!」
桃太郎、カッと目を見開いて右手の平を突き出した。
唐突過ぎる、その動き。
「待たれぃ、待たれぃ!」
乾燥機の蓋を閉めかけていたワンちゃん、硬直している。
桃太郎は彼女の肩をつかんで押し退けて、乾燥機の中に上体を突っ込んだ。
「ヒッ! ガッ……」
赤毛の若者が妙な格好でのけぞる。
笑いかけて、みぞおちに激痛が走ったらしい。
そんなことには目もくれず、桃太郎は乾燥機の中からアタシのTシャツとワンちゃんの特大バスタオルを取り出した。
「な、何してんの?」
嫌な予感に、顔が強張るのを感じる。
桃太郎は何の躊躇もなく、Tシャツをピンピン引っ張って延ばしてから首に巻いたのだ。
そしてバスタオルを腰に巻く。
「アンタ、まさか……」
乾燥機代をケチって?
「布が地面につかぬよう、全速力で走るのだ。帰るころには洗濯物も乾いているという算段よ」
桃太郎……アンタ、賢いんかアホなんか分からんわ。
更に奴は、当たり前みたいな顔してアタシとワンちゃんにも洗濯物を割り振った。
首にシャツをかけられ、腕にクルクルとタオルを巻かれる。
腰にはズボン、手首には靴下。
ワンちゃんは嬉々としてそれらを装着した。
「ははは走りましょう! 桃さま、リカさん」
──空気壊したらいかん!
なぜだかその時、とっさにそう思った。
アタシたちは全身に洗濯物を巻いて、夕陽に向かって走ったのだ。
「ううう歌いましょう!」
ワンちゃんの提案に、桃太郎がリズムをとる。
アタシは全力疾走しながらも、声を張り上げて歌った。
「もーっもたろさんっ、ももったろさん。おっこしにつけたきりたんぽ~」
オールド・ストーリーJ館に到着した時、アタシらは息を切らしていた。
かなりの運動だ、これは。
洗濯物が濡れているから重いし、地面につけたら汚れてしまうから速度も求められる。
しかし必死で走った甲斐あって、アタシが巻いてた洗濯物はほぼカンペキに乾いていた。
こちらも息を切らしているワンちゃんと手を取り合って喜ぶ。
困難ゆえに達成感、凄まじい!
かなり時間が経ってからだ。
ポテポテ足を引きずり、ゼェゼェ言いながら見苦しい様相で言い出しっぺの桃太郎が帰ってきたのは。
「ゼーッ。す、水分を含んで布が重く……ゼーッ。走れぬ。う、動くことも敵わぬ……ゼーッ」
引きずられた洗濯物はドロドロだ。
文句も言いたいところだが「ゼーッ、ゼーッ」とものすごい呼吸音を振り絞っている桃太郎には、ちょっと声をかけにくい雰囲気がある。
ワンちゃんがコソッとアタシに耳打ちした。
「よよよ夜中にやってる映画を何気なく見ていたら、オッサンが美少年に迫られてるんですぅ。オジサン、初めてなの? ボクが教えてあげるから大丈夫だよとか言われてコトが始まって、オッサンのお尻がペロンと出たとこらへんでお父さんがトイレに下りてきて、一瞬ギョッとしたように画面見て、何か言いたそうにあたしを見てから結局黙ってトイレに入っていった──その後姿を見送るような気まずさがありますね。ももも桃さまって意外とトロいんですね」
ヒィヒィ言ってる桃太郎を見てウットリしている。
「……ゴメンやけどワンちゃん、アタシにその経験はないわ」
その夜遅くのこと。
アタシがフトンを敷いているとお姉がやって来た。
ゲッソリやつれ、顔は青白い。目だけが爛々と輝いている。
重度のゲーマーは時々こういう顔をするのだ。
聞いてもないのにお姉はこう言った。
「3日間……のべ54時間で、あらかたのことはしたわ。少し休んで、今度はじっくりやりこむつもりよ」
「はぁ……」
「それはそうと、おかしな噂を耳にしたのだけど?」
そこでお姉、ジロリとアタシと桃太郎を睨む。
「な、何でしょう」
正に蛇に睨まれた蛙。
タオルケットにくるまっていた桃太郎ですら、起き上がって正座した。
「おかしな4人組が体中にヒラヒラつけて、歌いながらうちのアパートに入っていったって」
「あ、それは……」
シラを切ろうと思っていたのに、桃太郎が致命的な台詞を吐く。
アカン、桃太郎!
目配せしたがダメだった。
「それには理由が……」
「やっぱりアナタ達ね」
お姉、ゲーム明けの壮絶な容貌でニタリと笑う。怖すぎる。
「ん、ちょっと待って。4人って?」
洗濯物を全身に巻いて歌いながら町を駆け抜けたのはアタシとワンちゃん、桃太郎──3人の筈。
「まさか、あの若者も?」
心音がドキリと高鳴った。
「若者? 何その言い方。アラアラ……男ですか」
お姉が目を細めた。
突然いやらしげな敬語になる。
「違う、違う。何もないわ」
そう言ったものの、アタシはちょっとドキドキしていた。
あの人、アタシらと同類やったんや。
そう思うと少し嬉しくて……それからじっくり考えてみて相当ガックリきた。
「12.不毛な予感~恋だか変だか、だからそんなかんじ?」につづく