テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
🍎
6,595
アイ
11,635
勇 斗にレッスンの見学を許可してからというものの、彼はなかなかの頻度で現れるようになった。
個人レッスンは生徒と直接スケジュールを確認するので、必然的にクラスレッスンの見学になる。更に外から見えるスタジオとなると、これもまたキッズクラスの確率が高めとなるので、来る日がほぼ固定になってきている。見学はほんの少しだけの時もあるが、ふと鏡越しに勇 斗の姿を見ると、ああ、今日も来てるなぁと仁 人は感心してしまうのだ。
それにしても、と仁 人は首を傾げる。
初めのうちは「お疲れ様です」「見学させていただきます」と、こちらが畏まるほどの敬語だったはずなのだ。
それがいつの間にか、
「今日のレッスンのステップ、あれ何? 今度教えて 」
「ねぇ、この後時間ある? 近くに良い感じのカフェ見つけたんだけど行かない?」
と、ごく自然に敬語が外れてタメ口で誘われるようになったのだ。しかも結構グイグイくる。
仁 人が答えに躊躇っていると、愛おしげに目を細めて顔を覗き込んでくるのが心臓に悪い。全方位磨き上げられた美形が近づいてくると眩しすぎて直視できなくなり、困惑し俯いてしまう。
「どうしたの。俺、なんか困らせちゃった?」
これが陽キャの距離感なのか?
いやこの男は元々距離の詰め方がおかしかったから個人の問題か。正解がますます分からなくなる。
「あの、見学よく来てるけど、お仕事とか大丈夫なんですか?」
的外れな質問だなと思いながら、仁 人が話題を逸らすために訊ねると、勇 斗は少し目線を外して口元をもごつかせた。
「え、まぁ、スケジュールはマネージャーが管理してくれてるし、オフとか仕事の合間に来てるから大丈夫」
「休みいらない!働く!その代わり婚前旅行行きたいから長期休みちょうだい!」と主張する勇 斗に、「婚前旅行ってなに? ワケわからない事言ってないで、お願いだから休んで!」とマネージャーの泣き落としのすったもんだがあった事など知らない仁 人は、そうなんですか。と納得するしかない。
そして、これは仁 人の想定外だったが、勇 斗が来るようになってから、日に日にギャラリーが増えてきていた。
どうやら割と早い段階で、キッズクラスの保護者たちは勇 斗の存在に気づいていたようだ。
保護者のひとりがビックリして「さっ……」と思わず言いかけたところ、気づいた勇 斗が微笑み、ゆっくりと人差し指を唇に押し当てて見せたのだ。
その一連の動作だけで、保護者たちの気持ちは一つになった。
あー、ね。了解。
さ……、に似てるあの人は仁 人先生のお友達らしい。
さ……、そう、最近よく見かけるよね。
仲良いのかな。
仲良いんだねきっと。ずっと見てるし。
決して名前を出さない。騒がない。でもソワソワはする。
『名前を言ってはいけないあの人』扱いされている……。良い意味で。
生温かく見守られてる……なにこれ。
仁 人は増えてくる視線の数を背後に受けながら、戸惑うしかなかった。
だが、生温かい目で見守られているだけならまだマシだった。
更にスタジオ外のギャラリーは増え、保護者だけでなく隣のクラスの生徒や、たまたま通りかかった他のインストラクターまでがガラス越しにチラチラと視線を送ってくるようになったのだ。
めちゃくちゃ人が集まってくる !!!
仁 人の動揺にトドメを刺したのは、太 智と舜 太だった。
勇 斗のことは暗黙の了解で騒ぎ立てなかったが、勇 斗が来る時は大体この二人もセットで来る。
仁 人先生の友達としてイケメンが揃っているものだから、ギャラリーは勢いを増した。
太 智は可愛いベビーフェイスで愛嬌を振りまいてキッズたちに瞬く間に人気者になり、舜 太も整った顔をくしゃくしゃにして人懐こい笑みで一緒に遊ぶようになったので、仁 人はワクワク顔の生徒たちに「今日あのお兄ちゃんたち来るの?」と聞かれるようになった。
「んー、どうかな」
仁 人は困ったように笑いはぐらかす。
ほんとに知らない。
まず勇 斗のスケジュールを知らないし、柔 太朗は勇 斗が来たら勝手に太 智たちに連絡してるしで、仁 人の預かり知らぬ所で周囲が動いてしまっているのだ。
太 智と舜 太は柔 太朗から連絡をもらって来ている筈なのだが、最近妙に勇 斗との距離が近い気がする。
勇 斗が仁 人に近づこうとすると、二人はさっと入り込み「はい、ストップ〜。これ以上は認めへんで」「お触り禁止やで!」と牽制はするが、「え〜、ダメなの〜」と勇 斗が明らかにがっかりと肩を落とすと、「また来てね〜」と軽い調子で返しているのだ。
また来てね。じゃねえよ!
と、仁 人は思っているのだが、片付けている合間とかにやり取りされているので、割り込めずにいた。
太 智と舜 太が「仁 人」「仁 ちゃん」と呼んでいる影響か、いつの間にか勇 斗も仁 人のことをそう呼ぶようになっている。
なんか、状況についていけてないの俺だけ? と仁 人はまた迷宮入りしそうになっていた。
仁 人の悩み事はそれだけではない。
「こわい。毎回褒めてくる。あと物が増えてきた」
勇 斗が仁 人のレッスン見学のたびに、毎回何かしらの手土産を持ってくるものだから、仁 人の部屋には勇 斗からのプレゼントが増えてきている。
桃が好きだと聞いてから、桃のジュレを持ってきた日もあれば、桃のキーホルダー、先日は桃型のクッションを持ってきた。
桃なら喜んでくれるだろうという思考らしい。好きなのは食べる桃なのだが、仁 人は可愛いものも好きなので、何気に桃のピンククッションは気に入っているし、キーホルダーは家の鍵につけた。
今も自宅で桃のクッションを抱きしめながら、ぐったりとソファに倒れ込んでいる。柔 太朗はその隣に座り、スマホを片手に仁 人の背をおざなりに撫でた。仁人に直接危害がないので、柔 太朗はこの状況をあまり深刻視していないようだ。
「よっしーが桃が好きだという情報しか知らないから、向こうも探すの苦労してるんじゃない」
「いや、そこまでしてくれなくて良いし、なんなら手ぶらでいいんだけど。こちらも気を遣うんだよな。貰っちゃってばかりだし、何にもお返しできてないし」
勇 斗は見学のお礼だと言うが、それにしても貰いすぎだよなぁと呟く。
仁 人が困っているのは物だけではない。レッスン終わりまでいた時は必ず声をかけてくるのだが、やたらと褒めてくるのだ。
今日のレッスンのこういう所が良かっただの、笑顔が可愛かっただの、着ている服がセンス良いだの、必ず何か誉めてくる。
「よっしーの今日の服装もめっちゃ褒めてきたもんね。ただのTシャツとスウェットなのにね」
「あの調子だとミラーボールみたいな服装でも褒めちぎってくるんじゃないか」
「そんな姿見たくないから全力で止めるけどね」
「俺だって着たくないわ!」
例えだよ、例え!
仁 人は憤慨して起き上がった。唇を尖らせつつ、クッションを抱えたまま呟く。
「ほんとに、なんで俺なんだよ」
「本人に聞いてみなよ。何もやもやしてるの」
「だってさぁ、信じられる? あの佐野 勇 斗が、こんなフリーのダンサーのとこ通い詰めるってあり得なくない?」
「まぁ確かに、今までのαとはちょっと違うけどね」
「このまま王子様みたいな男に見初められて、めでたしめでたし……ってか」
軽い口調で口にしたが、胸の奥で嫌なざわめきと冷たさが広がる。
「周りにいないタイプだったのかな。おもしれーって、ちょっと興味持たれちゃった感じ? じゃあきっともうすぐ飽きるね」
短い期間ではあるが、勇 斗自身の真っ直ぐな人となりには信用を寄せてきている。
しかし芸能界という煌びやかな世界に、かつて深い傷を負わされた身として、興味本位で近づかれて踏み荒らされそうで、警戒心は簡単に消えるものではない。
「俺の何を見てるのかな」
じっと見つめる柔 太朗の視線に、仁 人の目が据わる。
「あ、いま面倒くせぇって顔しただろ」
「まぁね」
「分かってんだよ、自分でも面倒臭い奴ってことは。俺が陽キャだったら今頃イチャイチャ新婚旅行行ってるわ!」
「いや、それは陽キャの解像度低すぎ。飛躍しすぎ。イチャイチャはしてるかもだけど」
仁 人の中での陽キャはすぐに結婚を承諾して新婚旅行に行くらしい。実はすぐ近くに図らずとも遠からずなことを計画している人物がいることを仁 人は知らない。それによって、振り回されて泣いた人がいることも勿論知る由もなかった。
「じゃあ、隠キャの仁 人ピーチ姫は何がお望みなの?」
「言い方ぁ……」
「自分からは動かないくせに、相手にばかり求めさせてさ。そんなんだから、今までの相手とも上手くいかなかったんだよ」
「ここで過去持ち出すっ?」
目を瞠って悲壮な顔をする仁 人に柔 太朗はすうっと瞳を細めた。
「ほら、その顔。俺かわいそう、俺悪くないって顔、今まで何度も見たよ?」
「そんな顔してないっ!」
「だいたい普通に考えてみなよ。スケジュール合わせて相手のレッスン見学なんて難しいよ。それがあの佐野 勇 斗なら尚更なんじゃない? それくらいは分かった上で言ってるの?」
「……え、柔太朗、どっちの味方なの?」
「俺はよっしーの味方だし初対面でキスしたことは許してないけど、事実を言ってるだけ」
「そこは許してないんだ」
「自分の落ち度込みで一生許さないよ」
柔 太朗は手元に持っていたスマホをソファに置いた。ぐいっと仁 人との距離を詰める。
「よっしー……、あのね」
柔 太朗は仁 人の両頬に手を伸ばし、むぎゅっと挟み込んだ。白い弾力のある肌が押し潰される。そのまま覗き込むように目線を合わせた。
「ふぁ、ふぁにっ」
「俺がどれだけ手をかけてよっしーを見守って育てたと思ってるの? どこに出しても恥ずかしくない魅力があるって自覚して」
「柔太朗に育てられた覚えはないんだけどぉ」
不服そうに反論すると、今度は頬を左右に引っ張られる。
「いひゃいっ、ひゃだっ」
「水分量キープOK。もちもちOK。いまのよっしーの肌管理をしてるのは俺だよ。綺麗は継続なり。肌質の遺伝と管理に感謝しな」
「……っ痛かった!」
「それぐらいで済んで良かったでしょ」
柔 太朗の手から逃れ、仁 人が自らの頬を押さえる。引っ張られた痛みで大きな瞳にうるうると水分を湛えて痛みを訴えるが、柔 太朗は冷ややかに返した。
「……外見だけじゃないよ。自分のやってきたことに、もっと自信持ちなよ。よっしーはちゃんと、誰かに見初められるだけの魅力も実力もあるダンサーだよ」
「……柔太朗?」
初めて仁 人の踊る姿を見て、美しいという概念を覚えたこと。柔 太朗の記憶には深く刻まれている。
ふっと笑うと、柔 太朗は再びスマホを手に取った。
「まぁ、よっしーが石橋叩きまくって石臼で引いて粉にして吹き飛ばすのも、渡っちゃうのも自由だから」
「何それ。お前、番を探す気あるの?」
「あ、なんだ。次に行く気あるならそう言ってよ。探しとくよ。アプリがダメなら今度はパーティーでも行く?」
自分の事なんだから、よく考えてみて。
柔 太朗の言葉に、仁 人は再びクッションに顔を埋める。短い起毛生地が肌に心地良かった。
◇
数日後。
クラスレッスンの日。
ギャラリーが増えすぎて、スタジオのオーナーまで興味深げに覗いてくる状態に、仁 人は頭の中で両手を上げた。
あー、これはもう無理。無理無理無理ですわ。お手上げ。
勇 斗はレッスン途中から見学に来ていたが、レッスンが終わると同時に、仁 人は勇 斗の袖を掴んでスタジオの隅へと引き入れた。
「佐野さん、申し訳ないですけど、見学を遠慮してもらって良いですか。ギャラリーが増えすぎてしまって、生徒たちにも他のクラスにも影響が出てきてしまってるんです」
「うっ……、ごめんなさい。邪魔しないって言ったのに」
しゅんと落ち込む勇 斗に、仁 人は眉尻を下げた。ぐっとひとつ覚悟するため唇を噛み締める。
「いえ、俺が許可したわけですし。佐野さんのせいではないので、そこは気にしなくて良いです」
「……じゃあ、俺はこれから仁 人のダンス見れなくなる?」
「それなんですけど……、あの、前に打診されていた個人レッスンで良ければ、どうですか? お忙しいとは…」
「いいのっ?」
被せ気味に言われ、仁 人はコクコクと頷く。ぱあっと明るい笑顔になった勇 斗が、「よっしゃー!」とガッツポーズを取って喜ぶ姿に、最初からこうしてれば良かったな。と仁 人は思ったが、ふと引っ掛かりを感じ目線を上に向けた。
ん? よっしゃー?
いや、待て。なんだか最初からそこを狙われていたような……。まあ、結果的に見学の問題も解決して個人レッスンに移行できるのだから、深く考えるのはやめておこう。仁 人は小さく息を吐き、思考を無理やり切り替えた。
スケジュールの調整をするため、初めて個人的に連絡先を交換する。自分のスマホに佐野 勇 斗の名前が表示されたことに現実感がなく、仁 人はぼんやりと眺めてしまった。勇 斗はニヤついたように唇の端を引き上げスマホを懸命に操作している。「仁 人♡にしようかな、仁 ちゃん♡の方が良いかな」など呟いているので、名前の登録を考えているのだろう。♡はやめて欲しい。
「個人レッスンの内容に希望はありますか?」
「ジャズやりたい。今ドラマの撮影中で、ダンスのレッスンも受けているけど、自主練じゃ飲み込めないところがあって、そこの補填をお願いしたい」
「分かりました。じゃあ今度のレッスンで確認しますね」
元々勇 斗と出会うきっかけとなった依頼内容だったので、仁 人も承諾する。レッスン日はスケジュール調整をすることになり、勇 斗は帰っていった。スキップしかねない軽快な足取りで帰る後ろ姿を見送り仁 人は頬を緩めた。
「よっしー、いいの?」
事の次第を見守っていた柔 太朗が仁 人に確認する。
「うん、最近は勇 斗が近くにいてもフェロモンを乱されることもないし、安定してるから大丈夫でしょ。心配なら追加で抑制剤も飲むし」
「あまり追加摂取は推奨されてないんだけど」
「分かってる。でも本当に調子良いんだよ。柔 太朗も知ってるだろ」
勇 斗のフェロモンに耐性が出てきたのか、初めて会った時のような衝撃や影響をほぼ受けなくなってきていた。
こちらのフェロモンを誘発されるようなこともなく、勇 斗が近くにいると心地良さすら感じることがある。
「ま、何かあったら、その時は柔 太朗頼むわ」
「わかった」
肩を叩かれ、柔 太朗は頷いた。
コメント
2件
続きお待ちしておりました! テンポのいい会話とjntさんの発言行動に一喜一憂しているsnさんが可愛くて…!なんだかんだ桃グッズつけてるjntさんも可愛すぎます😭 いつも素敵な作品ありがとうございます♡