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なぜ今、このタイミングで……そう思いながらも、ランナの意識は深く長い熱と共に真っ黒に染められて働かない。
目の前のベッドにはファイアがいる。その側にはルアージュも。それなのに熱いキスを止めてくれない。
(ルアージュ様の前で、ヨル様と……)
ヨルがヒルのふりをしているとはいえ、バレたらどうなるのか。危機感と背徳感が同時にランナの心を襲い締めつける。
それなのに抵抗や拒絶をするのは不自然だから動けない。ランナはヒルを最高に愛してると宣言したばかりなのだから。
(ヨル様、ずるい……)
ヨルはランナが抵抗できない状況であると見抜いて、わざとやっている。ヨルとはそういう悪魔の男だ。
人格が変わっても体はヒルと同じ。いつもヨルの口付けが心地よいと感じるのも当然だった。
十分にランナの唇を味わったヨルが離れると、呆然と二人の口付けを見守っていたファイアとルアージュに向かって不敵に笑う。
「当然だ。ランナはオレの最強の聖女だからな」
それはヨルとしての発言だが声質はヒルと同じ。声のトーンは微妙に違うが、フードをかぶっている彼はヒルにしか見えない。
ファイアは二人のキスを目の前で見ても驚きもせずに微笑んだ。
「ふむ。素晴らしい愛だ。ヒル殿はヨル殿と違って実に愛情深い」
「……なんだと?」
ヨルの声はさらに低くなり、こめかみに怒りの血管が浮き出たように見える。
「ヨル殿はさんざん娘を弄んだ男だ。ワシは決してヨル殿とは分かり合えん。あの女たらしに比べてヒル殿は……」
次々とファイアから湧き出るヨルへの文句にランナが顔面蒼白になる。ヨル本人の前で言うなんて命知らずだ。
(あぁぁヨル様ってば、ファイア様にまで印象悪いじゃない!!)
ランナはヨルの腕に抱きつくと強引に出口の方へと引っ張る。
「さぁ、帰るわよ、ヒルくん!」
「待て。あのジジイを殺……」
「はいはい!! 帰りましょうね、ダーリン!!」
わざとらしく声を張り上げて、ランナはヨルの声をかき消した。
純白の国が夕日のオレンジに色付き始めた頃、王城を出た馬車はレッドリアの国境を出た。
馬車の中ではランナとヨルが隣り合って座っているが終始無言であった。国境の門を越えたのを確認するとランナが独り言のように呟く。
「あれ? 国境の門がヨル様の魔力に反応しない」
行きはヒルの魔力に反応して兵に囲まれて大変な事態だった。ヒルよりも強いヨルの魔力を感知しないのが不思議に思う。
ヨルはフードを脱いで黒髪を曝すと、ランナに目を合わせずに外の景色を眺めながら返す。
「普段は魔力を最小限にまで抑えている。ヒルには出来ない芸当だがな」
「……さすが」
ランナは素直に感心してしまった。これならアサもヨルも聖なる国で活動できる。ヒルに関しては魔力が弱く不器用なところは憎めない。
何にしても、レッドリア国の件に関しては無事に和平に持ち込めた。一応はヒルのふりをしてくれたヨルにも感謝する。
ランナはお礼を言う代わりに今日の出来事をヨルに詳しく話した。ヨルは黙って聞いているだけなので、ランナの一方的な語りになってしまう。
「でも、ファイア様に呪いをかけた人は誰なんだろう」
「なるほどな。貴様がオレの呪いを解いたのか」
「……え?」
ランナは耳を疑った。いや、聞き間違いであってほしい。あまりにも淡々とした口調で紡がれたヨルの一言は衝撃的すぎた。
ようやくヨルの方に顔を向けると、ランナの揺らぐ金色の瞳に無感情な紅蓮の瞳の色が重なる。
「ヨル様が……ファイア様に呪いを……?」
「あのジジイは邪魔だ。ルアージュとの婚約にも反対してきたしな」
「そんな理由で……?」
「だいぶ前に軽く呪いをかけてやったが、今頃効いたか。あのジジイも衰えたな」
ランナの拳が震えるのは怒りなのか悲しみなのか分からない。ただ気付けば片手を振り上げてヨルの頬を叩こうとしていた。
しかし、そんなランナの衝動は読まれていた。振り下ろした手はヨルに届く前に逆に手首を掴まれて、そのまま強く体ごと背中から倒される。
「……あっ!?」
「甘いぞ、昼の女」
馬車の座席で押し倒されてしまったランナだが、その瞳からは怒りに似た感情と共に涙が溢れてくる。悔しいのかもしれない。
「貴様も聖女なら気付け。あのジジイは生かしておいたら敵になる」
「敵を作ってるのはあなたでしょ!? もうやめて、人を呪わないで!!」
ランナは両手首を掴まれて組み敷かれている状態で泣き叫ぶ。ヨルの感情は一切揺れ動かないのも悔しい。
祭壇に押し倒されたあの日のように、吐息がかかるほど近くに闇が迫り来る。
「ならば貴様がポーラの呪いも解くがいい。オレは何度でも呪いをかけてやる」
「……! 姉さんをどうするつもりなの?」
「ポーラは最強の聖女の片割れだ、愛してやる。貴様次第だがな」
つまりヨルはポーラを人質に取っている。ランナとポーラを意のままに動かして、人格を殺す毒薬を調合させるために。
それ以前にランナは今、自分の身が危険である事に気付いた。ヨルならば、この場でも事に及んでしまう。
「や、やめてヨル様……こんな場所で……」
「甘い。オレはどこでもやるぞ」
(ドヤ顏で言わないで!)
場所の問題ではないが、まさか馬車の中で押し倒されるとは思わなかった。よく考えたら祭壇でも押し倒すほどの男だ。
ヨルには力でも聖力でも勝てない。非力な自分を悔やむが、どうする事もできない。
吐息が近付き重なろうとした、その瞬間。ランナを拘束しているヨルの手の力が急に緩んだ。その顏は苦痛に歪んでいるように見える。
「ヨル様……?」
「ぐ……この不快感……は……」
ヨルは手を放して起き上がり、胸に手を当てて呼吸を荒くしている。薬師のランナは冷静にヨルの症状と顔色を見るが、車酔いではないと分かる。
何かに気付いたヨルはローブのポケットに手を入れて中を探る。そこから出てきたのは小さなガラスの瓶。中には粉薬が入っている。
「あ、それは、私が調合したヒルくんの風邪薬……」
「ヒルのやつ……め……」
ヒルは、ヨルがランナに手を出す事も想定して事前に薬を飲んでいた。人格が変わると生気も変わるのでヨルの体には合わずに具合が悪くなる。
こんな時にでもヒルに守られているという愛情を感じて、ランナの心は温かく満たされていく。
レッドリアの国境を抜けて約1時間後、馬車はジョルノ国の王城に到着する。
時刻は午後6時過ぎ。日は完全に落ちて夜の暗闇に包まれている。馬車から降りた二人は歩いて城門を通るが、ヨルの足取りは鈍い。
自分の薬のせいで体調が悪いヨルを見るのは、ランナにとっても気分が良くない。ヨルに肩を貸そうとして隣に寄り添った。
ヨルの城の入り口の前にはポーラが立っていて、寄り添う二人の姿を見て駆け寄ってくる。
「ヨル様、お帰りなさいませ。お待ちしていました」
ポーラはヨルの前で立ち止まると笑顔で迎える。隣のランナは眼中にない様子で声もかけない。文字通り、今のポーラにはヨルしか見えていない。
しかしヨルの様子がおかしい事に気付くとポーラの笑顔が消える。
「ヨル様、ご体調が悪いのですか?」
「あぁ、具合が悪い。少しベッドで休む」
ポーラは、ヨルの隣のランナをようやく視界に入れた……いや、睨みつけた。そしてランナの腕を掴むと強引にヨルから引き離した。
強く乱暴に引っ張られたランナは倒れそうなほどに体勢を崩した。目の前に立つポーラは冷酷な瞳でランナを見下ろしている。
「ランナ。ヨル様に近寄らないでって言ったはずよ。具合が悪いヨル様を連れ回すなんて」
「姉さん、ちがう! 私はヒルくんと一緒に和平のためにレッドリア国に……」
「言い訳しないで! そうよ、あんたがヨル様に毒薬を盛ったんじゃないの!?」
ランナはそれを否定できなくて言葉が詰まる。自分が調合した薬が結果的にヨルにとっての『毒』となったのは事実なのだから。
ヨルは殺気立つポーラに近寄ると、その体を抱いて慣れた手つきで口付ける。
「大丈夫だ、ポーラ。行くぞ」
「はい、ヨル様……」
ポーラは恍惚とした表情でヨルに寄り添いながら歩きだす。二人の背中は闇夜に溶け込むように漆黒の城の中へと消えていく。
その場に一人で取り残されたランナの心に迫るのは、悲しみとは違う混沌とした闇。
ここまでポーラの人格を変えてしまったヨルの呪いも恐ろしい。それ以上に、ランナに口付けたその唇で平然とポーラに口付けるヨルが恐ろしい。
呪いを殺し、人格を殺す毒薬を調合する能力が覚醒したランナ。三人のヴァクトは今まで以上にランナの力を欲するに違いない。
ランナが最も恐ろしいと思うのは、癒しではなく『殺し』の力を得てしまった自分自身の能力だった。