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──午後のチャイムが鳴る少し前。
遥は教室を出た。
タイミングを測って、誰にも声をかけられないように。
顔に貼りついた痛みと汗を誤魔化しながら、階段を上がる。
吐き気と頭痛、鈍く痺れた腰。
それらを「風」でごまかしたくて、屋上のドアを押し開けた。
思いのほか強かった風が、制服の前をはだけさせる。
しっかり閉めていたはずのボタンが、またひとつ取れていた。
──最悪だ。
フェンスにもたれ、ゆっくりとしゃがみ込む。
どこにも当たらないように、膝を抱えるように丸まる。
この時間帯はまだ誰も来ない。教師も巡回しない。
いっときの、“本当に誰もいない場所”。
──だったはずだった。
「……サボり?」
気配もなく降ってきたその声に、遥は顔を上げた。
屋上の扉にもたれるように、日下部が立っていた。
無表情に近い、冷えた顔。
「また逃げてきたんだ。教室から」
「……見てたのかよ」
「まあな。おまえ、よく見られてるから」
「……うるせぇ」
遥は立ち上がろうとしたが、腰の痛みが鋭く襲い、歯を食いしばる。
その様子を、日下部は一歩も近づかずに見下ろしている。
「そういえばさ──あっち(家)のほうは、最近どう?」
その一言で、遥の背中がびくりと揺れた。
「あんま喋んないと、忘れそうになるよな。沙耶香の声とか、晃司の“やり方”とかさ」
「……やめろって言っただろ」
「別に言いふらすつもりはねぇって。……今のところは」
「……!」
遥が睨むと、日下部はわざとらしく肩をすくめた。
「なんでそんなにビビってんのか、不思議なんだよな。
学校でも殴られて、脱がされて、笑われて──
家でも似たようなもんだろ? 何が違う?」
遥は口を開きかけ、しかし何も言えず、ただ唇を噛んだ。
「……知られたくねぇだけだよ」
「どうして?」
「……あいつらに理由つけさせたくない」
「“可哀想なやつ”に、されたくない?」
遥の眉がわずかに震える。図星だった。
「そっか。……わかる気もするな。
『しょうがないよね、あの家庭じゃ』って言われるの、腹立つよな」
「……おまえは、言う側だろ」
「いや。オレは聞く側」
遥がその意味を測りかねて黙ると、日下部はスマホを取り出して、指先で軽く叩く。
「ちなみに、次。放課後。階段裏な」
「──……」
「“午後の部”、だってさ」
スマホの画面は見せないまま、淡々とそう言い捨てる。
「ちゃんと行けよ。バラされたくなかったらさ」
日下部は振り返ることなく、屋上をあとにした。
遥はしばらくその場に立ち尽くし、ゆっくりと、膝から崩れるように座り込んだ。
風はまだ吹いていた。
けれど、涼しさなんて、ひとつもなかった。