テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「チート? スキル? 要りません」
「―――は?」
神は自分を前に混乱していた。
自身のデータは30代後半の男性。
就職氷河期ド真ん中のアラフォー。
中肉中背。
中堅会社の中間管理職。
極めて平均的な能力値と、常識を併せ持つ
一般人であると自負している。
「いや……でもホラ、アレだよ?
このまま異世界に行ったら君、2、3日の命だよ?
下手したら即死だよ?」
この状況には気付いたらなっていた。
何のとっかかりも無い空間に、神と名乗る老人が
いつの間にか目の前にいた。
常識的に考えればあり得ない事だが、いるのだから
仕方がない。
その神様とやらの説明では―――
何でも自分は死んだのではないらしいが、
そのまま異世界とやらに飛ばされるらしい。
確率だか空間だか何だか言っていた気がするが、
確定しているのは『元の世界に戻れない』、
これだけ。
ただこれは神々の都合で起きてしまう事なので、
そのお詫びというか、取り敢えず移動先で順応
出来るよう、『能力』を与えてくれるのだという。
「……君、ずいぶんと落ち着いているねえ」
「泣きわめいて事態が好転するならしますが」
「いやそうじゃなくて」
何か神様とやらが考え込む。
神様でも悩むのだろうか。
まあ自分は独身だし、両親もすでに他界している。
仕事以上の人間関係も無かったから、悲しむ人間が
ほぼいないのは、妥当な人選と言えなくもない。
「だからもう一度聞くが、
本当に能力はいらないのか?」
「いえ、ですから―――
なるべく元の世界に近い世界に行かせて
頂きたいのですが」
「次に行く世界は決まっておるのじゃ!
そこは魔法もあれば竜も精霊も魔物もおる!
悪い事は言わん、『能力』を授けて進ぜるから
望みを言ってみるがいい」
だからその『能力』とやらがクセモノなのだ。
魔法やらスキルやらという概念は理解出来る。
しかし、それが当たり前の世界ならば、
何をもらっても付け焼刃。
あちらに一日の長があり、対応されるのも
時間の問題だろう。
そもそも、未知の世界でわざわざ相手の土俵に
上がって競うというのがナンセンスだ。
こちらとしても迂闊に応える事が出来ずに悩むが、
そんな自分を神様は不思議そうに見つめる。
「むう……
あれこれ注文する人間はいたが、お主のような
ケースは初めてじゃ」
まあ確かに、特別な力をもらえるのであれば
舞い上がるのはわかる。
だけど、それでヒャッハー状態になるヤツも
いるだろうし、そういう連中の末路は大体
決まっているわけで。
それに、異世界モノやらラノベやらは一応
知識としてはあるものの、自分がそれに
対抗出来るだけの便利な『能力』を考え付くとは
とうてい思えない。
せいぜいあがく時間が延びるだけ―――
そんなのはゴメンだ。
それなら潔くスパっと死んだ方が苦しまないし
時間の節約にもなる。
「はぁ……本当に無いのか?
若者のナントカ離れと言うが、まさかここまで
広がっていようとは」
若者のチート離れとでも言いたいのだろうか。
アラフォーの自分が若者かどうかは別として。
「そういえば、言葉や読み書きはどうなってます?」
「それは安心してよい。
あちらの住人になるのだから、基本的な
意思疎通に困る事はないだろう。
で、何か無いのか?
本当に無いのか?」
なおも食い下がる神様に、悩みに悩み―――
「う~ん……ではせめて、
私の目の前では、自分の常識外の事は起きて
欲しくないんです。
そういう場面に出くわさないというか、
そのような運の良さというか……
それなら可能でしょうか?」
「むむぅ」
神様が腕を組んでまた考え込む。
おかしいな、神様というのは全知全能では
無かったのか。
「……よし! わかった!
お主に授ける能力は―――
『お主の常識以外の事を起こさせない』ものじゃ!
これなら文句はあるまい?」
「いえ、ただ単に起きて欲しくないだけなんですが」
「もういい加減にしてくれ!
早よ行け今行けすぐに行け!!」
「あ、最後に1つだけ―――」
「何じゃ!? まだ何かあるのか!?」
「お手数をおかけしました」
「全くだよ!!!」
社会人としてのマナーを最後に行使した
だけなのだが。
何がそんなに気に障ったのだろうか。
こうして、半ばヤケ気味になった神様の捨て台詞を
耳に残し―――
私はまばゆい光に包まれ、思わず目を閉じた。
―――はじめてのまもの―――
「……ん」
再び目を見開いた時には―――
うっそうとした森の中に立っていた。
木々の匂い、木洩れ日。
足裏から伝わる土の感触。
植物には詳しく無いが、異世界っぽいものは
今のところ見当たらない。
まだ『常識の範囲内』だ。
そして、自分が着ている衣装が視界に入る。
どうやら、服くらいはこの世界に合わせてくれた
みたいだ。
中世か、それ以前の一般人が着ているような
シンプルな布服。
靴……布靴らしい物も履いている。
歩行、移動に問題はない。
「さて、これからどうするか」
遭難したのであれば、動き回らないのが
基本だが―――
救助など望めない状態では仕方ない。
セオリーから行けばまずは水の確保だ。
何しろ、自分には便利なスキルなどというものは
無いのだから。
ただ、一人でいるのが好きなアウトドア派という
珍しい属性だったので、休日はよく一人で旅行に
出かけたり、登山などをしていた。
なので、自然相手なら知識はそれなりにあった。
水の音がすれば水源がわかるのだが―――
匂いでもいい、と思った時、それは強烈に鼻に
入ってきた。
「……!?」
それはいきなり現れたのか。
それとも、最初からいたのに気付かなかったのか。
ベキベキと、それなりに太い木をなぎ倒しながら
茂みをかきわけ―――
見上げるような高さの存在が、その姿を現した。
「フゴッ、フーッ、フゴゴ……!」
これは地球でも知っている。
イノシシだ。
そのサイズを除けば―――だが。
鼻の両側についた二本の牙、突進に特化した
流線形のボディ、その体には不釣り合いな
短い四足が、山中での要注意事項、危険生物を
思い出させる。
「しかし、さすが異世界……
―――『常識外』のデカさですね」
つくづく、見上げながらその桁外れの大きさを
実感する。
鼻までの高さだけでも3mはあるだろうか。
「いや、あり得ないですね」
第一、地球のイノシシをそのままの縮尺比で
巨大化させたような感じになっているが―――
・・・・・・・・・・・・
現実には、そのような事はあり得ないのだ。
『大きい事はいい事だ』が、当然リスクというのは
あるもので―――
かつて、巨人と言われたプロレスラーがいたが、
彼は試合前に酒を飲み、バランスを崩して足を
骨折したという逸話がある。
自分の体重が原因だった。
恐竜の復元図を見ればわかるが、巨大な恐竜ほど
その足は太く大きい。
逆に言えば、それだけ巨大にならないと、自身の
体重を支え切れないのだ。
「……プギィッ!?」
突然、その巨体が地面に座り込む。
いや―――そのように見えただけで、実際は……
サイズはただ等倍すればいい、という訳ではない。
二次元でもない限り生物は立方体で構成されている。
求められる体積は、縦×横×高さ。
人間がもし10倍になったら、その食料は10倍では
済まない。
胃袋が立方体として拡大しているはずなので、
およそ100倍の量が必要になるのだ。
それは体のどの部分も同じ。
もしその計算を考慮しない場合―――
あの縮尺比の足ならば、当然の結果として……
自らの体重に押しつぶされ、折れて―――
「ピギッ、ギィイッ、フゴッ、ピイィイーッ!!」
何が起きたのかわからない、というように、
その巨大なイノシシは、悲鳴にも似た鳴き声を
上げる。
「ああ……君、ちょっと体重オーバーですよ」
確かに、地球の動物でも巨大なものはいる。
クジラとか、サメとか―――
だがそれは水中という環境下に置いてである。
例えば砂浜に打ち上げられたクジラは、そのまま
『死』が確定する。
単純な話だ。陸上に上がってしまった彼らは、
自分の体重に内臓や肺が耐えられないのだから。
文字通り『自重』に潰され―――
「フギー……ッ、プギィ、ピギ……」
哀れとは思うが、自分にはどうする事も出来ない。
その巨体が弱々しく息絶えるのを、ただ見届ける
事しか出来なかった。
「はあ……異世界にやってきていきなりコレですか。
先が思いやられる……ん?」
ようやく、水の流れる音が耳に入ってきた。
川が近くにあるらしい。
5分ほど草木をかき分けて歩くと、やっと道らしい
道に出て、お目当ての川、さらに下流の方にこの
世界に来て初めての人工物、橋が見えた。
「村か町がありそうですね。
あそこで休憩させて頂きましょうか」
―――はじめてのまち―――
川沿いに歩き、橋に近付くにつれ―――
その先にある建造物の全容がわかってきた。
塀かと思ったが、それなりに小高い3mほどの
石壁で囲まれた城塞のような―――
それが眼前に広がっていた。
「まあ、あんな魔物がいるくらいですし。
これくらいの防御施設は無いと」
大きな門に、警備らしき武装した男の姿が2人ほど。
野宿は覚悟していたが、可能ならば文明的な生活を
送りたい。
意を決して、彼らの前に歩を進める。
なるべくにこやかに、友好的に。
「誰だ、お前は?」
「どこから来た?」
どうやら言葉は通じるようで、根本的な問題は
クリア出来た。
あの神様の言う事を信じていなかったわけでは
ないけど、正直、半信半疑だったというのが
本音だ。
だが、本題はこれから……
別の世界から、神様に送り込まれてきました。
―――などと言う度胸は無い。
自分だったらそんな人間、中には入れさせない。
『わたくし怪しい者ですが』と言うのも同然だ。
「いえ、旅の者なのですが迷ってしまって……
あちらの森から来たのです」
川向こう、自分がいた場所を指差す。
ウソは言ってない……はずだ。
すると警備兵らしき2人は顔を見合わせ―――
「よ、よく無事だったな?
あの森には今、巨大な魔物が出たという情報が
あって―――」
「そ、そうだ! お前、その魔物について何か
知らないか?
討伐隊を編成している最中なんだが、
どんな事でもいいから知っていたら
教えてくれ!」
あまりにも焦るような彼らの表情に押され、
「い、いえまあ……
確かにそれらしい魔物は見ましたが」
「本当か!」
答えるや否や、一人が自分の腕をつかみグイグイと
引っ張って、門の中へと誘導する。
「わ、わかりました、わかりましたから!
それで、どこへ行くんですか?」
「冒険者と軍の合同で編成隊を募っている。
取り敢えず、冒険者ギルドへ来てくれ!」
どうやら、対応するための組織はきちんと
あるようだ。
緊急事態のようだし、ここは信用を得るためにも
大人しく協力した方がいいだろう。
そして自分は町並みや風景を見る事もなく、
慌ただしく2階建ての建物の中へ連れ込まれた。
連れて来た警備兵らしき人が、何やら焦りながら
受付の女性に説明し―――
そのまま、階段を上がる事を指示される。
どうやら受付の女性が、そのまま案内人に
なるらしい。
「任せた! じゃあ俺は門番の仕事に戻るから」
警備兵と別れ、いかにも、という責任者がいそうな
一室へ通される。
ソファらしき長椅子に座るよう勧められ―――
その間も、人が忙しそうに行き交う。
そうして1分もしないうちに―――
自分より若干年上の、見た目50代くらいに
見える白髪が混じりの男が、部屋に入ってきた。
長身ではないものの、その体はいかにも近距離
パワータイプといった感じだ。
ただ状況に追われているのか、息遣いと焦りが
表情・態度に感じられる。
ここに案内してくれた女性は立ったままで―――
その前の席に、自分と対峙するように彼は座った。
「お待たせした、すまん。
ここのギルドの支部長を務めるジャンドゥだ」
「あ、私、進佐久と言います」
名字……は今のところ話す必要は無いだろう。
向こうも話していないし、もし身分制度の厳しい
世界であれば、そもそも平民には姓名が許されて
いない場合も考えられる。
「シン、サック?
妙な名前だな……
言いにくいから、シンと呼んでいいか?
俺もジャンと呼んでくれて構わん」
「あ、はい。構いませんよ」
結構フレンドリーだな。
まあ、切羽詰まっているから、礼節を気遣う
余裕が無いだけかも知れないが。
「さっそくだが、例の魔物について知っている事を
教えてくれ。
本来なら、行きずりのアンタの手を煩わせるような
事はしないんだが、事態が事態だ。
何でもいい、場所とか、そいつの状態とか―――」
「それなんですけど、私が見たのがまずその目的の
魔物かどうかわかりません。
なので、特徴から話しますが……」
コクコク、と頷いて先を促される。
そして少ないボギャブラリーを駆使して、何とか
自分が出会った魔物の外見の情報を伝える。
見た目は地球でのイノシシとほぼ合致していたので、
それほど不正確ではなかったと思う……多分。
それを聞いて、時々後ろの女性と顔を見合わせたり、
何か短く会話をし―――
その顔は焦燥の色を濃くしていった。
「間違いない、ジャインアント・ボーアだ。
大きさからすると亜種かも知れんが……
よくアンタ、逃げおおせたな」
まあ確かに、あれだけの巨体が普通に動けたら、
今自分はこの場にいないだろう。
「で、そいつの場所は?
暴れていたか? それとも弱っていたか?
休んでいたか?
どこに向かったとかわかるか?」
「あ、死にました」
パサッ、と後ろの女性が手にしていた書類を
落とす。
目の前のジャンさんも、口を開けたまま
停止していた。
「……え? あー、んん?
えーとつまり? シンが見つけた時は、すでに
死んでいたって事か?」
「いえ、私が見た時は生きていました。
それで、目の前で死にました」
ジャンさんはしばらく腕を組み、下を向いて
いたが―――
やがて頭を天上を見つめるほどにまで上げて、
またしばらくそのまま停止する事10秒ほど。
そしてイスに深く腰を掛け直しながら、こちらに
視線を移し、口を開く。
「うぅむ……
悪いんだがシン、そのジャイアント・ボーアが
死んだという場所まで案内をお願い出来るか?
確認はしなければならんのでな」
「それは構いませんが、その前に何か飲み物と
食べ物を頂けませんか?
お恥ずかしい話ですが、自分は森で迷って
いたものですから……」
するとジャンさんはすぐ後ろの女性に向かい、
「ミリア、何か適当に食べる物を持ってきてくれ。
あと、下にいる―――
今集まっている連中に、取り敢えず偵察に行くと」
「は、はい。わかりました」
パタパタと、スリッパのような靴の足音を残して
彼女は部屋から退出した。
そうか、あの受付の女性はミリアというのか。
すると、目の前のジャンさんも立ち上がり、
「俺は下に行って偵察隊のメンバーを選出する。
シンはここで待っててくれ」
こうして私は、あの巨大なイノシシらしき魔物と
再会する運びになった(死んでいるけど)。
まあ、出来ればこの世界でも穏便に生きていければ
それに越した事はない。
有力者に貸しを作ると思えば安いものだろう。
自分以外、無人となった事を確認すると―――
ホッと一息吐いた。
―――ふたたび、もりのなか―――
「死んで……いるな」
「見りゃわかる」
偵察隊の一人の感想に、隊長担当であろう
ジャンさんがぶっきらぼうに肯定する。
あの後、いくらか腹に入れた私は、ギルドに
集められた偵察隊と一緒に、ジャイアント・ボーアの
死体のある森へと入っていった。
お目当ての物はすぐに見つかり―――
10人ほどいた彼らは、すぐに群がるようにして
何やら調べ始めた。
改めて見るその巨大さに圧倒され、驚きと共に
ため息が自分の口から漏れる。
「はー……やっぱり大きいですねえ」
そんな私の言葉を聞いて、隣りにいるジャンさんは
肩を叩き、
「だから、よく逃げおおせたなと言ったんだ」
そして、肩に手を置いたままズイっと顔を近づけ、
「(で、どうやって倒したんだ?)」
周囲の人間に聞かれないくらいの小声で、
確認のように話し―――
自分もまた小声でそれに答える。
「(だから、勝手に死んだんですってば)」
「(……そうか。
で、これからどうする?)」
「(?? どうする、とは?)」
小声で話す必要が無くなったのか、ジャンドゥは
普通の声量で話し始める。
「シンの言った通り、ジャイアント・ボーアの死体は
確認出来た。
コイツにゃ高額な討伐報酬が掛けられていてな。
見つけただけでも、いくらかもらえるはずだ」
これはなかなか魅力的な情報だ。
何せ、ここに来るまでの間に所持している物を
確認したが、めぼしい物は無かったのだ。
生活するには先立つ物が必要だ。
もらえる物は頂いておこう。
「んー……どこに行けば頂けますか?」
「ギルドだが―――
先に帰って待っていてくれ。
あの俺と会った時の部屋でいい。
レイド!
この人と一緒に町まで戻れ。
解体と、運搬の人員を集めてこい」
レイドと呼ばれた、10代後半くらいの、いかにも
陽キャという感じの若者がヘラヘラ笑いながら
やってきた。
黒い短髪に日焼けしたような褐色の肌が、
生息地・渋谷という印象を受ける。
「もー、人使いが荒いッスねー。
あ、シンさんッスか?
じゃあ行きましょっか」
馴れ馴れしく近付く彼を、ジャンさんは
ヘッドロックのように組んで、私に背を向ける。
新人さんの教育はどこでも大変なようだ。
レイドが解放された時には、何やら厳しく
注意されたのか、疲れ気味の顔をこちらに
向けてきた。
「あ、じゃあシンさん。行きましょう」
こうして私は、またギルドまで戻る事になった。
―――ふたたび、ぎるどのなか―――
「へー、森の中で迷って……
そりゃ大変だったッスねえ」
「私としても、お金とか心もとなかったので―――
ほとんど着の身着のままの状態でしたし、
助かりました」
あのギルドの支部長の部屋と思われる場所で―――
今度はレイドと対峙して、私は長椅子に座る。
町中のギルドまで向かう間、彼と私はいくらか
打ち解け、これ幸いにと情報収集をしていた。
やはりというか、魔物や魔法がはこびる世界であり、
治安もそんなによろしくない。ぶっちゃけ悪い。
魔法に長けた人間が、盗賊や山賊をするのも
珍しくないらしい。
ここの町は一応安全らしいが、酷いところになると
町ぐるみで犯罪組織、という場所もあるのだという。
リアルで麻薬王やマフィアの物語を地で行くような
世界―――
「まーここはギルド長がしっかりしているから、
ンな事ぁ無いんですけどね。
あのオッサン、何だかんだ言って面倒見いいし」
「そうですねえ。
案内にしても、無理強いする様子もありません
でしたし。
上に立つ人がああであれば、下の人も
安心するでしょう」
その人のいないところで言われる評価が本当の評価
とは言うが、その通りだと思う。
実際、ギルドに帰ってきた時に、酒場兼待合室に
なっていた1Fで、酔った冒険者に絡まれたが―――
レイドが『後でジャンドゥのオッサンに怒られるぞ』
と言うと途端に手を引いた。
「じゃ、俺は下で、オッサンに言われた解体と運搬の
連中を集めてまた森に行きますんで―――
シンさんはこちらで待っててください。
多分、俺と入れ替わりでギルド長も戻って
来るッスよ」
「ええ、ありがとうございました」
パッと見は軽い感じがしたけど、なかなかの好青年だな。
私は彼の評価を一変すると、その背中を見送った。
そして―――廊下に出たレイドであったが、扉から
少し離れたところで、放心するように膝をついた。
「じょう……だん……じゃ、ねえっての……!」
実は、彼はジャンドゥからある警告を受けていた。
ヘッドロックを喰らった際、
「いいか……!
シンには絶対ちょっかい出すなよ。
もし絡んでくるようなバカがいたらお前が
全力で止めろ。
ジャイアント・ボーアを前にして、無傷で戻って
くるようなヤツを怒らせたくなかったらな……!」
頭の中で言われた事を反芻し、冷や汗が
彼の頬を伝う。
「以前、魔導爆弾を運ばされた事があるが……
アレ以上に緊張するミッションがあるたぁ、
思わなかったぜ。
そーゆー情報は予め共有しておいてくれってんだ。
あのバカどもが絡んできた時、生きた心地が
しなかったぜ……クソ」
独り言で悪態をつきながら―――
彼は下のフロアへと戻っていった。
―――1時間後―――
「スマン、待たせたな」
「いえ、そんな。
しかし、結構時間が掛かりましたね?」
町から森までそれほど遠くはない。
まさか一緒になって解体していたわけではない
だろうし……
私の言葉に、ジャンさんはガシガシと
頭をかいて―――
「ジャイアント・ボーアの素材なんて滅多に
手に入らないからな」
「解体、買い手の選別、各方面への連絡―――
おかげで残業確定ですよ、もう」
ミリアさんがジャンさんから言葉を引き継ぐ。
今までドタバタしていて、印象がよく
わからなかったが……
丸眼鏡にショートヘア、日本でいうところの
タヌキ顔、年齢は20才になるかならないか、
という感じの女性だ。
その彼女が目の前の彼に袋を手渡す。
それはそのまま自分の前に置かれ、ジャラッ、と
金属がこすれる音を立てた。
「……これは?」
「アレを見つけてくれた情報料だ。
金貨100枚入っている」
「はあ」
気の抜けた声に、不安そうな言葉がジャンの口から
返ってくる。
「少ないか?」
「あ、いえ……
ただ相場がわからないんです。
遠い土地から来たので、高いのか安いのか―――
そもそも、いくらくらいあれば生活出来るのか、
とか全然」
ジャンさんは後ろに立っているミリアさんと顔を
見合わせ―――
2人で交互に、相場について教えてくれた。
衣食住に関してはピンキリだが―――
高価な物を望まなければ、1食銅貨3~8枚。
お酒は安酒ならジョッキ一杯銅貨2枚ほど。
銅貨10枚で銀貨1枚になり、銀貨5・6枚で
宿屋で一泊出来る。
食事付きならさらに+銀貨1枚くらい。
銀貨20枚で金貨1枚になり―――
(……ん? という事は……
銅貨1枚がだいたい日本円で100円くらい?
となると、宿屋1泊が5・6千円……
1000円×20枚が金貨1枚とすると……
2万円×100で……)
いったん、目の前に置かれた袋に目をやり―――
「……っはぁああああ!?
も、もらい過ぎじゃありませんか!?」
それを聞くとジャンさんはアゴに手をあてて、
「今回は初動が早かったんでな。
素材は当然新鮮なものほど良い―――
アレなら末端価格で金貨3千枚はいくだろう。
それに、軍や冒険者の編成がまだ準備段階
だった事も大きい。
人を動かすのはタダじゃねぇんだ。
特に、今回みたいな危険なクエストだと
前払いになっちまうしな」
要はまだ本格的に動く前だったので、
お金が浮いた分考慮してくれたって事か。
「あと、今回はまだ軍の人が集まってない状態で、
ギルドの冒険者だけで偵察隊を組んだんです。
つまり!
ジャイアント・ボーアは丸々ウチの物って事です。
シン様々ですよ~♪」
ミリアさんが嬉々として事情を話す。
―――なるほど。
6千万円以上の利益が確定しているのなら、
200万円くらいどうって事はないのだろう。
私からすれば、ジャイアント・ボーア様々だ。
「で、これからどうすんだ?」
「ああ、そうですねえ……
お恥ずかしい話、右も左もわかりませんので」
腕を組んで考え込んでいると、ミリアさんから
提案がなされた。
「それじゃあ、ギルドの職員寮に泊まったら
いかがですか?」
「と、とんでもありません!
そこまでお世話になるわけには……」
「どっちにしろ、泊まる場所は必要だろう。
宿屋なら、俺が知っているところがある。
紹介状を書いてやるからそこへ行け。
あと、お前さんのギルドカードも作っておくぞ。
そうしないと、後々手続きが面倒になるからな」
これは願ってもない話かもしれない。
何しろ、今の自分はどこに出しても恥ずかしくない
身元不明にして住所不定無職なのだ。
何らかの身分証明書は必要だろうし、ギルド長が
直々に用意を申し出てくれるのならありがたい。
「では、よろしくお願いします。
何から何まですいません」
「多分下にレイドがいるだろうから、アイツに
案内してもらえ。
ギルドカードは明日にゃ出来る。
午後にでも取りに来てくれればいい」
私は何度も頭を下げて、部屋を退出した。
いきなり別世界なんぞに飛ばされて、どうなる事かと
思ったけど―――
幸いにもいい人たちに出会えたようだ。
「……行ったか?」
「は、はい」
部屋に残ったジャンドゥとミリアが、顔を見合わせ
互いの顔色を確認していた。
「……後で回覧を作る。
下のバカどもにもよく言い聞かせないとな」
「えっと……
シンさんについて、ですよね?
そんなにヤバい人なんですか?」
彼は手で座るように指示し、彼女はシンが座っていた
場所に腰を掛けて対峙する。
「ジャイアント・ボーアの死体だが―――
・・・
魔力痕と刺し傷、刀傷、矢傷の類が無かった」
その説明に、ミリアはしばらくキョトンと
していたが、
「え?? は?? つまり??」
「魔法も武器も使わずに倒されている。
毛皮はキレイなものだったが―――
前足と後ろ足の骨が砕けていて、内臓には酷い
損傷があった。
……どう思う?」
その質問に、彼女は先ほどまでここにいた
男性の事を思い出し、
「……確かに、これといった武器も携帯しては
いませんでしたけど……」
「何らかの物理的な手段で倒した、と考える方が
自然だろうな。
当然、身体強化くらいは使っているだろうが。
素手で、しかも1人で―――
ジャイアント・ボーアを倒せる……
『超』危険人物だ」
重苦しい空気が部屋を支配し、それに耐えられないと
いうように、ミリアが口を開く。
「でもでも、温厚そうな人に見えましたよ?
こちらから何かしなければ、問題無いんじゃ
ないですか?」
「じゃあ何で、『倒した』とは言わずに
『死んだ』なんて言ったんだ?
・・・・・・・・
しかもウソはついてないときたもんだ。
目立ちたくない理由があるとしか思えん。
それに、あの大人しさが厄介なんだ。
もしブチ切れても―――
『私は礼儀を尽くしましたよね?』
と言い訳も出来る」
「そうですね……
『俺を詮索するな』という圧力とも
思えてきました」
2人が沈んだり顔色を青ざめたりさせている頃―――
内心穏やかではない人物が一人、渦中の人物と
歩いていた。
「(もう少し…もう少しだ。
宿屋まで送り届ければ、
『その日の気分を持った爆弾』
の案内は終わる……!)
あー、宿屋に着いたらオッサンの手紙を見せて
ください。
それで向こうも対応してくれるッスから」
彼の苦悩など知る事もなく、案内されている方は
マイペースで対応する。
「そうですか。
ん……あそこですか?
じゃあ、案内はこのあたりで大丈夫ですよ、
レイドさん」
宿屋に入れば、後は受付の人なり店員さんが
応対してくれるだろうし、あんまりレイドさんの手を
煩わせる事もないだろう。
「そッスか?
じゃあ、俺はこのへんで……
あと、レイドでいいッスよ。
シンさんの方がずっと年上っしょ?」
「んー……そう言われましても。
じゃあ、レイド君で。
ジャンさんとミリアさんにもよろしく」
手をひらひらさせて、帰ろうとする彼を
後ろから呼び止める。
「あ、レイド君」
「へっ? な、なんスか?」
振り向いた彼に、金貨を握らせる。
その数3枚ほど。
「ここまで案内してくれたお礼です」
「い、いやいやいや!
ギルド長に言われてやっただけですから!
別にいいッスよこんなの……!」
返そうとしてくる彼の手を押し戻して、
「私自身、こんなにもらえるとは
思ってなかったんですよ。
それに、これからも何かとご迷惑をおかけするかと
思いますので―――ね?」
「そ、そッスか……それならありがたく」
彼は金貨を受け取ると、頭を下げて帰っていった。
よし、これで第一印象はバッチリのはず―――
せっかくこの世界で得た数少ない知人だ。
今後の事を考えると、味方にしておいて損は無い。
自画自賛のようだが、悪くはない先行投資だろう。
こうして私は、宿屋の玄関をくぐった。
―――はじめての、おやど―――
「ギルド長の紹介か。
それなら歓迎するよ」
宿屋『クラン』に着いた私は、ジャンさんが
用意してくれた手紙を渡し―――
宿泊の手続きをしてもらった。
『クラン』という名前がわかったのは、看板を
見たからだ。
もちろん日本語では無かったが、言語と同じく
表記も『わかっている』事になっているらしい。
取り敢えず30日、朝夕の食事付き。
1泊銀貨7枚として、210枚=
金貨10枚+銀貨10枚だ。
「前払いかい?
金持っているんだねえ。
いいさ、銀貨10枚はオマケしておくよ」
自分より少し年上の、40過ぎくらいの
女将と思われる女性は、こちらが渡した
金貨11枚のうち、1枚を返してきた。
「あ、ありがとうございます」
「お釣りの計算が面倒なだけさね。
部屋は2階の突き当りさ、ホラ」
カギを受け取ると、階段に目をやり、それとなく
宿の中を視線が泳ぐ。
ふと、視線を感じ―――
その先、じ~っとこちらを見つめる女将と
目が合った。
「……? あの、何か」
「あぁ、何でもないよ。
ただギルド長がこうやって紹介してくるのは、
駆けだしの新人のコが多くてねぇ」
あー……
そういう事であれば、確かにアラフォーの自分は
目立つ存在だろうな……
「まあ冒険者になろうって人は、いろんな事情が
あるから、深くは聞かないけどさ」
私の場合は神様に強制されて、仕方なく流れで
なったんですけどね……
と言えるはずもなく。
とにかく衣食住の食住は確保出来た。
夕食まで少しあるし、それまで寝る事にしよう。
私は一礼すると、階段の手すりに手をかけた。
「ったく、とんでもない化け物を寄越したモンだね」
客の姿が見えなくなってから、彼女は深く
ため息をついた。
「“素手でジャイアント・ボーアをひねり殺せる”、
“決して怒らせるな”、だって?
後で割増料金もらわないと、やってらんないよ」
ジャンドゥからの手紙には、ギルドから特別料金が
支払われる旨が書いてあったのだが―――
それはシンサクの知るところでは無かった。
「戻ったぜ、オッサン」
シンが宿屋に入ってから10分ほど後―――
案内したレイドは、ギルドの2階、支部長室に
戻ってきていた。
「おう、悪かったな」
「ったく、ホントだよ」
ギルド長のねぎらいに悪態をつき、しかし座ろうとは
せずに、立ったまま彼と向き合う。
取り敢えず席に誘導し、初老の男は座ったが、
青年の方は元から座っていた女性の背後に
陣取った。
ミリアは背後のレイドを見上げるようにして、
口を開く。
「ど、どうでしたか?」
「お駄賃もらったぜ、金貨3枚―――
今後ともよろしく、だとよ」
彼女は顔を正面に戻し、視線がジャンドゥと
対峙する。
「臨時収入だ、良かったな」
「本気で言ってます?」
ミリアの問いに、ジャンドウは彼女の後ろに
目をやり、
「……どう思う?」
「今後も、良い関係を―――
って事でしょうねえ。
自分はここまで譲歩し、友好的に努めた……
逆に言えば、もし逆らったら―――」
ジャンドゥは座ったまま踏ん張るように両足を広げ、
その膝をつかむように、両手を乗せる。
「―――おい、レイド。
今すぐ下に行って、バカどもに酒を
振る舞ってやれ」
「へ?」
「そのもらった金貨3枚で、だ。
連中が一通り飲み終わったら―――
『シンからの奢りだ』と言え」
それを聞いたミリアは口元に手をあてて、
「な、なるほど。
シンさんからみんなに奢ったという形にして、
責任の分散を図る、と」
「おー、ないすあいでぃあ~♪
そーッスよねえ、苦しい事はみんなで
分かち合わなきゃあ♪
れっつ連帯責任♪」
そして、鼻歌を歌うように彼は下の階に向かい―――
金貨3枚分の酒が振る舞われた。
タダ酒に酔った彼らは後で真相を聞かされ、
阿鼻叫喚の地獄になったのは言うまでもない。