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「それで、動揺しちゃって、返信できなかったんですよ。
今までプロポーズされても気にならなかったのに、何故?
って思うんですけどね」
翌朝、悠里は自動販売機の前で、そう語った。
「いや、気になれ。
そして、何故、俺に相談している」
と後藤に言われる。
「この会社で一番親しいからです」
と言ったあとで、悠里は気づく。
「あ、修子さんとも最近、親しくなりましたけど。
あ、一階カフェの鈴木さんとも。
そうだ。
経理の杉沢さんも。
それに、営業の……」
「俺の順位下がってってないか?」
「……何故、今、名前を上げたメンバーより自分が下だと思うんです?」
「ともかく、早く返事をしてさしあげろ」
お前なんぞのことで、仕事に差し支えたら困る、と後藤は言う。
「私のことで、仕事に支障が出るなんてないと思いますが。
うーん。
なんて打ちましょうかね?」
スマホ片手に唸った悠里に、後藤が言った。
「『勤め先を変わったばかりで、落ち着かないので、なにも考えられません』と打て」
「はい」
と素直に打とうとして、悠里は顔を上げる。
「いや、別にそんなに精神的にゆとりがないわけでもないんですけど。
ここの皆さん、いい方ですし。
むしろ、ラジオのアシスタントしてたときの方が、日々、語る小ネタを探すのに苦労していたというか……」
「苦労してあの小ネタか」
「聴いたんですか?」
従弟が録音していたのを聴いたと言われる。
「冷蔵庫開けたら、ラップが入ってて。
それに包まれる予定だった出しっぱなしの肉まんが皿の上で静かに腐ってたとか。
コンタクトが飛んでったんじゃなくて、コンタクトが入ったまま、ケースごと飛んでったとか。
駅のアナウンスが『健康にお気をつけください』と言ったように聞こえたとか」
ほんとうにくだらない、と言う後藤に悠里は言う。
「よく覚えてますね、後藤さん。
社長なんて、長年聴いてても、私の笑い声しか覚えてないって言ってたのに」
どうしたことだ。
社長も覚えてないことを覚えているとは。
まさか、俺の方が社長より愛が深いとか――?
後藤がそんなことを考えながら、廊下を歩いているころ、大林修子は違う階の廊下を歩いていた。
向こうから七海がやってくる。
――心はかなり後藤さんに傾いてるけど。
やっぱり、美しいわ、社長っ、と思いながら、できるだけ感情を顔に出さないようにし、修子がペコリと頭を下げたとき、七海が呼びかけてきた。
「大林」
は、はいっ、と通り過ぎかけた修子は足を止め、振り返る。
「お前、最近、貞弘と仲いいよな」
「えっ?
ああ、そういえば、結構、一緒にいますねっ」
後藤さん、ごめんなさい。
社長は声もキラキラしていますっ。
低くていい声だっ、と修子が思ったとき、
「貞弘が親しくしている『ゆう』って男、知ってるか?」
と七海が訊いてきた。
「『ゆう』ですか? さあ?」
そうか、と七海はそのまま行こうとする。
その素敵な声をもうちょっと聞きたい修子は頭をフル回転させた。
「お、お待ちください、社長っ」
と叫ぶ。
七海が振り返った。
「そういえば、悠里のスマホのアドレスに『しやち』さんって方がいるんですが。
名前が『ゆう』だった気がします」
「変わった名字だな」
「それで覚えてたんです」
と修子は頷いた。
どんな奴なんだ、『しやち ゆう』。
社長室に戻りながら、七海は考える。
俺より背が高く。
「いや、あなたより大きかったら、大きすぎでは?」
俺より、いい顔をしていて。
「そんな人、なかなかいませんよ」
俺より性格もいい奴なんだろう。
「それはそうかもしれませんね」
といちいち悠里がツッコミを入れてきそうなことを考えていた。
すると、後藤も何処からか戻ってきた。
追いつくのを待つ。
「社長、なにか……」
なにか用事があって、自分を待っていたと思ったらしい。
いや、特に用事はない。
だが、共に悠里にフラれた者同士、情報を共有したいと思ったのだ。
「後藤」
「はい」
厳しい顔をした自分の呼びかけに、後藤がなんのプロジェクトの話だ、という顔で身構える。
「貞弘が好きな奴の名前は、『しやち』らしい」
「……しやち?」
「『しやち ゆう』という男だそうだ。
龍之介さんが言うから間違いない」
後藤も衝撃を受けていたが、
「……北原さんがおっしゃるのなら、間違いないですね」
と頷いていた。
二人のニート北原に対する信頼感は半端なかった。
どんな奴なんだ、『しやち ゆう』。
秘書室に戻りながら、後藤は考える。
社長より背が高く。
「いや、何故、社長と比べるんですか?」
と悠里が困惑し。
社長より、いい顔をしていて。
「いやいや、どうして、七海くんと比べるの?」
と北原が笑い。
社長より性格もいい奴なんだろう。
「後藤さんも、性格いいですっ。
その冷たい瞳がサイコーですっ」
と修子が叫んできそうなことを考えていた。
すると、悠里が何処からか戻ってきた。
追いつくのを待つ。
「お疲れ様で……」
「サボるなよ」
被せるように後藤が言うと、
いやいや。
サボってませんよ、と悠里は苦笑いして言ってくる。
なんだろう。
俺は、さっきから、ものすごく衝撃を受けているようだ。
社長にとられるならともかく、何処の誰とも知らない男に。
いやまあ、貞弘のことを好きなわけではないのだが……。
そう。
俺にはなにも関係ない。
「貞弘」
「はい」
「………………
……しやちって誰だ?」
「……誰なんですか? その人」
そう悠里は訊き返してきた。